かとうゆうです。
企業とか、経済とかちょっと大きな話が続いたので。
今日は、考え方のTIPSです。
いきなりですが、注意事項があります。
TIPSは「ひとそれぞれ」だということです。
なので、大事なことは「あなたらしい考え方」です。
どこかヒントになれば、と思いますし、書いたことそのままを行動する必要もありません。
さて。
私はずーっと「真理を探究」してきました。
といっても、フツーのパパで、育児家事、仕事やってますので、どこか山奥にいたわけじゃないです(笑)
『事上磨錬(じじょうまれん)』
王陽明の言葉ですね。
実生活での実践が大事だ、と。
もう少しどきつい表現しますと、白隠禅師がこんなことを(大意)
『生半可なことをして悟りを開こうとするより、真剣勝負で博打をうっているときの方がよほど悟りに近い』と。
真剣勝負っていっても、なんか「キツい」ものじゃないです。
楽しすぎて集中していること、ですね。
時間を忘れちゃう。
さて、今日はあちこちいきますね。
私はホロスコープ鑑定をしています(副業)
自分のホロスコープをみると、生涯のテーマは「真理の探究」です。
そのせいでしょうか。
小学生のときから、論語など東洋哲学。次に仏教関連。
原書を読みまくりました。
仏教も、仏典の書き下し文を、唯識から密教、浄土、禅・・・とあらゆる代表作を。
で、、、ひとつの言葉にたどりつきました。
「悩みとは、自分の心から生まれる」と。
法華経っていう代表的仏典あります。
さきほどの白隠禅師。
『これは”たまねぎ”みたいだ。たとえば、、、たとえば、、、、がずっと続く』と。
あんまり重視しなかったらしいですね、最初。
ところが、あるとき、気づいて滂沱の涙が止まらないほど「悟った」
『ああ、おシャカさまは、なんとか気づいてもらおうと、その人にあわせて、これではどうか?これではどうか?とずっと伝え続けたんだ!』
おシャカ様の深い愛情に感動したそうです。
そのおシャカ様が、ずーっといってたのが、
「悩みとは、自分の心から生まれる」と。
あ、、、余談ですけど、私どこかの団体とか所属してませんので。フリーです(笑)
で、、、私たちは「常に反応」しています。
ある人をみて「いい人」
ある人をみて「やな人」
あることをみて「いいこと」
あることをみて「やなこと」
人の頭の中は「妄想だらけ」だ、なんてどこかの禅師がいったそうですが、ほんとにそうですね。
でも、ちょっと見方を変えてほしいので、さっきのを言い換えてみます。
ある人をみて「自分にとって、いい人」
ある人をみて「自分にとって、やな人」
あることをみて「自分にとって、いいこと」
あることをみて「自分にとって、やなこと」
絶対的に「いやな人」っていないです。
自分がイヤだと思う人も、大切なパートナーがいて、愛すべき子どもがいたり。
要するに「イヤっていうのは、自分にとって」ですね。
事柄も同じです。
「仕事がつらい」も、その仕事は別の人にとっては、とても楽しい。
なのでぜんぶ「反応」なんです。
そしてもうひとつ。
「他人の考え方に責任を持つ必要がない」です。
自分がいろいろ「妄想」すると同じように、他人も「妄想」してます。
「自分という視点」で。
だからときにそれが「あなたに向けられること」もある。
いいとか、悪いとか、、、、いわれたり、態度に出たり。
でもその発端は「他人の妄想」です。
そして妄想は、あなたでは変えようがないです。
なぜなら妄想は「その人の根底の考え方」から生まれるものです。
もちろん指摘したり、反論もできますが、その人が心の底から納得しない限り変わらない。
そして「心の底から」と定義できるかどうか?は、あなたはまったくコントロールできません。
最初から最後まで「その人」にかかっています。
なので、伝えたり、シェアは可能ですし、それが「良かれ」に基づくならしてもよいですが、それをその人が実際に受け止めるかどうか?はあなたは何もできません。
する必要もないです。
攻撃とかコントロールではなくて、「こうするとお互いいいかな」と思う言葉をやわらかく伝えたあとは、そこから先の責任は「その人」です。
なので「他人の考え方に責任を持つ必要がない」
自分の悩みは「反応」であること。
他人の考え方を、自分が代行することも不可能なこと。
なので、おシャカ様はもろもろひっくるめて「悩みとはあなたの心」だ、と。
そして法華経のように、もうほんとに丁寧に、丁寧に、何度も伝えようとした。その人を「変えよう」ではなく、「心から気づいてもらおう」と。
8年前くらい。残業やら育児家事でいっぱいいっぱいになり、うつ病になりました。
そういうときは「すべてをネガティブだと定義している」ときですね。
ただ、これ「ネガティブな状態ではない」です。
「ネガティブを、ネガティブと定義したとき」、それがネガティブになります。
怒っても、イヤな人だ、イヤなことだと思うこと自体は、全然ネガティブじゃないです。
それは「あなたが大事にすべき感情」です。
そして「感情は、”あなたはこれについてネガティブだと定義しているよ”」と教えてくれています。
なので、イヤだと思うこと自体は自然。
それを「絶対」と定義すると、どんどん心がネガティブに埋め尽くされます。
そして「絶対」は存在しない、ですね。
「見方」に過ぎません。
ということは「見方」を変えればいい。
たとえば「仕事がイヤだなー」と。
まずその気持ちを「大切に受け取りましょう」
そして、「なんでそう思うんだろ?」とちょっと気持ちを整理してみます。
そうするとたとえば
「あ、、、なるほど、自分がしたいことじゃないんだ」と。
ということは、それ自体がネガティブじゃなくて、あなたがそう感じているだけ。
そしてその気持ちに問いかけます。
「ほんとにそう?単に食わず嫌いとかじゃない?あるいはもっと別のことが底にある?」と。
それでもその気持ちが「強い」と感じたとき。
それはもう「行動してもいいよ」というサインです。
仕事がイヤ。それは食わず嫌いでもない。自分の根底。
だとしたら「転職」の行動です。
ただし、ここで大事なことは「大きな行動でなくてよい」ということです。
いろいろな人から転職の話とか相談されます。
質問してみます。「なにかやってます?」
答えの多くは「いや、、、だって転職できるほどスキルが・・・」と。
行動の前に、否定しているのも自分ですね。
たとえば転職なら、エージェントに登録してみます。
求人案内もらえます。
別に求人に応募しなくてもいいです。エージェントもわかってますし、そういうものです。
求人みてください。
「あ、、、結構、そういうところいけるのか。ここおもしろそう。」
この気持ちが次ぎの行動につながるならやってみましょう。
「あ、、、でも今の会社の方がなんだかんだ、ましだな」
そのときはあらためて今の気持ちに問いかけます。
なので「小さな行動」で十分なんです。
自分の悩みは「反応」
他人の考えまで「責任を持つ必要がない」
気づいたことは「小さな行動をする」
これがポイントかなと思っています。
それでは今日はこのへんでー!
追記)そうはいっても「自分ではどうにもならないしんどさがあるとき」というテーマで以下書いております。よろしければ・・・