ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

いつの間にか会社が「巨大なコミュニティ」になっていた、、という過去の経験と政治の話

かとうゆうです。

 

今まで「生活」「教育・学校」「経済」と、すべて根底にあるのは、

集団・組織」から

多様・個人」へ、と書いてきました。

 

そしてその大前提が「すべての人は対等である」と。

 

となると、今日は、避けられない(?)、「政治」の話です。

 

あ!、、、

ちょっとお待ちください。もし「政治か・・・」といってなんだかつまらない気がした方も、、、、実は「ちょっとした背景」があるんです。

 

さて、「政治」・・・ときくと、多くの方はテンション下がるかも、、、と(汗)

理由は2つあると思っています。

 

①政治がイケてない

もう、これは私がいわなくても、、、というところなので、②について書いていきたいな、と思っています。

 

ひとつだけ指摘すると「多様・個人」への流れの中で、もっとも遅れているのが「政治」だと思っています。なので、イケてないところたくさんあります。

「あれ?今は、明治時代だっけ?」みたいな、、、ですね(汗)

 

②政治に頼るより「会社」の方がマシ

これは、わりと日本特有です。

 

社会学者の小熊英二さんの『日本社会のしくみ』っていうのを読んだとき、インスパイアされたんです。

 

戦後は本当に壊滅状態でした。餓死者も出た。

そこで採用したのが「集中・組織(モデル化)」です。

 

官民一体、全員東京へ。男性=仕事、女性=専業主婦。

同じ働き方、生活のあり方。

 

これで見事に復興しました。

でも、これってあくまで「特異な時代」だから、ですね。

 

だけと「集中・組織」の成功体験が強すぎて、今もたくさん残存してます。

そして多くの方が、会社や生活でハレーションを体験しています。

 

ともあれ復興するためには、やむを得ない施策です。

議論より、生産です。

どんどん生産するしかない、ですね。命に関わりますから。

 

そのとき軸となったのが企業。特に一定規模以上の企業です。

 

このとき何が起こっていたか?が重要になります。

 

実は「会社が、ある種の巨大なコミュニティ」となっていました。

福祉あり、運動会、部活などもあり。

社員旅行なんて、今やったら「えー・・・」だと思いますが、やってました。

 

戦後、人々は分断され、困窮に。

人間には「コミュニティ」や「つながり」が必要です。

 

それを「会社」が担う形になりました。

 

さらには「給料もどんどん

所得倍増計画・・・なんてありましたけど、

「ゼロからの復興」なので、生産し、時間を投下すれば給料もあがった。

 

だから「男性・女性のモデル化と多様性」といった課題は、ぜんぶ相対化されていきました。

 

簡単にいうと

「給料あがるから、残業も、家庭の中にいるしかないことも、ガマンできた」

 

こうして会社が「コミュニティ」、そして「給料もあがる」とう経験は、次のことを自然に定着させました。

 

「自分の生活を豊かにするなら、投票なんてするより、会社でがんばるか、要望出した方がはるかにましだ」と。

 

もともと「お上意識」なんていわれてますけども。

それに加えて、経済的にも「政治より会社」になったわけです。

 

政治自体がイケてない・・・ということも大きいですが、上記のような「日本特有の体験」もあり、結果的に「投票」だの「候補者」だのきくと、テンションが下がる・・・という雰囲気になったと思っています。

 

「投票」・・・なんとなく面倒。ダサい。

「政治」・・・よくわかんないけど、とにかくダメだ

 

、、、という雰囲気は、こうした社会的背景”も”あると思っています。

 

しかし、その後「会社」は激変しました。

以前ブログで書きましたが、「資本主義としては、ごく普通の”飽和・成熟”」です。

 

分配できるパイを争うことになった「会社」が、まず切り離したのは、

福祉的なもの、ですね。

とにかく余裕がないわけです。

 

そして成果主義

これ自体、否定しているわけではなくて、しかし当時の「会社」によっては、都合がいいです。

正当性を帯びた形で、総枠人件費がコントロールできますので。

 

とにかくどんどん「余分」と思われることを切り離していきました。

 

となると・・・働く人にとって何を意味するか?というと。

コミュニティから放り出される」ことになります。

 

放り出されたものの、コミュニティ機能を「会社」に依存していたため、町内会も地域の集まりも、戦前に比べて極端に低下してました。つながりも希薄。

 

受け皿がない状態ですね。

「孤独」・・・に関する様々な問題も起きてきました。

 

SNSやネットでの「つながり」を実感できた人。

そうではない人・・・

 

様々な社会現象が起きています。

 

そもそも人には次の3つが必要だと感じています。

「公共」

「コミュニティ」

「プライベート」

 

今までは「公共」「コミュニティ」を、「会社」が担っていましたが、放り出されたわけです。

 

実はこの「放り出された」ときに、「公共(政治)」や「コミュニティ」についてしっかり向き合い、体現できればよかったのですが、あいにくバブル崩壊やらなにやらで、賃金が下がったため「生活に余裕」がなくなってきてしまいました。

 

「公共(政治)」って、「人生で一番高い買い物」ともいえます。

家とか車どころじゃないですね。

年金、介護保険、税・・・生涯どれだけ払っているか?・・・

 

しかもリターンとしての「支給」はへるばかりです。

 

さらには「水道」「電気」「道路」その他インフラも担っています。

生活の根幹を担っています。

 

なので、しっかり「選んで投票する」っていうのは、本当に重要です。

というかわかっているけど、テンションあがらない、、、っていう方もたくさんいると思います。

先ほどの社会的背景、会社の変遷など、確かに理由はあります。

 

とはいえ・・・

候補者がいない、、、ってよくいわれますけども。

ちなみに私、ときどき国会中継なんて眠くなるような動画みるんですけど。

 

「います」

(といっても私の主観ですけどね)

 

でもすごい熱意と「助けたい」っていう情熱でぶつかっている議員さんいます。

(残念ながら、私の選挙区ではなかったですが)

 

でも、ニュースでも取り上げられないし、知名度ないから、次の選挙で落ちちゃいました。

 

とはいえ、今YoutubeでもSNS、HPでもわりと議員や候補者は発信しています。

(たいてい、抽象的ですが・・・中には(汗))

 

でも、なんとなく気になった人について、ちょっと調べてみる。

あるいは、待機児童とか年金とか、ちょっと気になることについて、新書のわかりやすそうな本を読んでみる、、、

 

そんな「ちょっとしたこと」はできそう、と思っています。

 

「政治は大事!だから投票!」

なんていわれても、「まぁ、、、それはそうだけど・・・」になっちゃうことあると思います。

 

「投票」自体を自己目的にされても、ひいてしまいますが、自分が関心あることについて「ちょっと調べてみる」・・・そうすると、なにか「考え」が生まれて、

 

「とりあえず、主張がいけてそうな候補者に投票する」・・・・そんな形で、自然でいけるといいなーと思っています。

 

あ、ちなみに。

私はいかなる政治に関する団体・組織には所属しておりません。

書くにあたり「特定の信条などを強調しないよう」注意して書いたつもりですが、もしそのように思われたら、ご容赦くださいませー!

 

それでは、今日はこのへんでー!