かとうゆうです。
今日は、お恥ずかしながら、私が結婚に至る実話です。
妻がソウルメイトか?・・・って、まぁ、そのへんは・・・でも、いっとかないと怒られそうなんで(汗)
実際のところ「定義」によるって思ってます。
・私にとって運命的に用意された、不可欠で出会うべき人
・私にとって大事な意味や影響を与えた人
ここでいうソウルメイトは「後者」です。
・・・ちなみに「定義」の話は、大事なので後半に。
で、、、、私が結婚したのは30代後半です。
なので、それまでは「まぁー、私は結局のところ独身でいくかー」って思ってました。
人並み?かどうかはわかりませんが、それなりにいろいろ出会いを経験しましたけど、なかなか結婚となると、そこまでいかず。
「それなり」・・・なんて書きましたけど、まぁ、「それなり」です。
このへんは詳しく語ると、頭が火が噴きそうなんでお許しを。
「独身でいいやー」と思っていたところ、突然知人とちょっとしたカジュアルバーで少人数で飲むことになりまして。
特になんとも思わなかったんですけど、それがすべてのきっかけでした。
あれよ、という間に結婚までいきまして。
今はもう当時からは想像できない「パパ業」しております。
ただですね。
私は心底「独身でいくかー」って思ってました。
私の人生でそのときは「透明の時代」って読んでます。
透明っていうのは、もうなんていうんでしょうか、結婚とか恋愛とか「もう完全に吹っ切った」状態です。
いろいろやったけど、もともと動物占いでも「狼」だし、一人の時間も大好きだし、まぁ、それでいこう、と。
あきらめてを超えて、なんていうでしょうか、期待もゼロ、期待という言葉すらない。
だから「透明の時代」って読んでます(笑)
なので好きなことやってました。
本読むの大好きなのて、「よし!仏教の原書を読みまくろう。倶舎、唯識から真言密教、禅まで8つくらいあるけど、全部だ。」とかって思って。
ほんとに「原文・書き下し」です。
難解どころの話じゃなかったですけども、でもそれがいろいろ「気づき」になり。
その気づきが、また楽しく・・・という感じです。
なので、すっからん「結婚」のことは考えてなかったんですが、それが突然のスピードで展開しまして。。
それでその後子どもも生まれて、今や「すっかりパパ」に。。
で、、、あるとき、またいろいろ本を読んでまして。
引き寄せとか、思考は現実化する・・・とかいろいろ。
そこで出会った言葉が「願望を叶えるためには、期待は一切しない。ただそれを楽しむこと自体を楽しむ」と。
あ!と思いました。
「透明の時代」なんていってましたけど。
期待もなにもゼロ状態。ちょっと風変わりでしたが、とことん仏教原典読みまくって。
ひょっとすると「期待ゼロ」だったからかな、、、なんて。
ただですね。
「期待ゼロ」にするっていったって、そんなに簡単にはいかないのも痛いほどわかってます。
20代後半くらいですかね、、、もうほんとに「それなり」にやってきましたので。
仏教原典なんておかしな興味かも、ですけど、でもすごく内面の深く、深くをさぐっていくことでした。
なので「期待ゼロ」にする、、、、そんな心境に至るには、やはり自分自身というものをしっかり知ることが大事だと思います。
「知る」っていいても、テクニックではないですね。
「異性の心のつかみ方」とかそういうんじゃない。
「自分とは?生きるとは?」です。
それをとことんやっていくと、誤解を恐れずにいっちゃうと「結婚」って「手段」に過ぎないところまでたどりつきます。
「手段」ですから、人それぞれ、結婚しようがしまいが、結婚の形がどうであろうが、結局のところ「自分とは?」「自分らしさとは?」です。
なので冒頭、「ソウルメイト」の定義について「運命的に不可欠」という定義を採用しなかったのは、そんな理由があります。
「ソウルメイトがいないと・・・」とかってわけでじゃない。「手段」ですから。
やっぱり大事になるのは「自分を知ること」「生きること」の普遍的な価値を自分なりに持つことかな、と。
なんて、、、エラそうなこと書いちゃいましたが、難しく考える必要はなくて。
「私ってなにをやってるときがイキイキしてるんだろう?」
というところから出発してもいいと思っています。
そしてあれからいろいろ学びまして。
「期待ゼロ」にしたから、必ず結婚するってわけでもないし、それが最善っていうわけでもなく、「人それぞれ」だと。
それで、、、「ソウルメイトとは?」という話なんですが。
これも誤解を恐れずに書いちゃうと、「出会う人すべてがソウルメイト」である、ということだと思っています。
出会ったり、つながったりする人って、やっぱり自分にとって何らかの価値や必要があるから出会うわけです。
濃淡はあるけど、気づける価値には差はないですね。
なので「ソウルメイト」それ自体を自己目的化すると、これが発生します。
「それがいないと私はだめ・・・人より劣っている・・・」と。
でもそんなことないですね。
正確にいうと「ソウルメイトと、あなたが定義しているものが、来ていないことに悲観しているだけ」ともいえます。
そして「あなたの定義」が、本当にそうなのか?はまた別の話です。
「ソウルメイト」を自己目的化しない。
そのためにも「出会う人すべてソウルメイトである」という視点。
そしてめちゃくちゃ大事なのが「ソウルメイトと”定義するもの”が、いようがいまいがどちらでも関係なくて、あなたがあなたらしくいること」です。
どこか「他に」、どこか「別に」、何かがある。
そんな風に「自分とは違う、異なる何か?」を求めても、ますます葛藤は深くなるだけです。」
だって「あなたを一番しってるのは、あなた」なので、あなたがあなたを全部認めてあげないと、ほかの誰も認めようがないです。
なので「ソウルメイトは、すべて出会う人」です。
でも、これ本当にチャレンジフルな視点です。
自分に対してネガティブにくる人も「ソウルメイト」だということなので。。
自分を好きとか、認めてくれる人を「ソウルメイト」と定義するのは、比較的やりやすいですけどね。。
でもネガティブというのは、「自分の希望に気づく」チャンスです。
なにかいわれたとき。
「あー、こんな風になりたくない」とか「これは私の考えと違う」とか。
大事なことは、そう感じた「自分を認める」ことです。
よくあるのは、「そうは思いつつ、反論したり、覆そうとする」感情ですね。
でも、究極的にその感情が生まれる前提は「相手のいったことのどこかを、自分が認めているから」です。
たとえば、道をあるいて、突然知らない人から「こら!」っていわれたとします。
腹立つよりも、その前に「なんやろ?」と思います。
「相手を、まったく自分が認めてないと、怒りとかの感情は生まれない」ですね。
「多少でも認めていているから、怒ったりする」
そして冷静に思うと「自分の本当の希望」「自分がほんとうにありたい自分」を強化してくれたりします。
、、、と、まぁ、なんか聖人君子みたいに書きましたけど。
あくまで「チャレンジフル」な視点ですので、書いている私自身、そりゃもういろいろ喜怒哀楽を感じます(笑)
ただ、それをずーっと引きづらないためにも、こんな視点は大事だなとは思っていて、その視点で自分をなだめたり、すかしたりしています(汗)
そして「ソウルメイト」というテーマで書きましたけど、「私は”いわゆる”ソウルメイトと出会った」とかって、自慢するような気持ちは1ミクロンもないです。
「出会う人全員」なので。
自慢とかそういう気持ちにはまったく根本からもてないというか、持ちようがない感じ、、、といいますか。。
「あればある悩み、なければない悩み」なんていわれますけど。
結局「あるとかないとか」に本質はなくて、「あなたらしさは、あなた自身が表現できること」だと思ったりしています。
ただ、これだけは今回お伝えしたいかな、、とは思っています。
「ソウルメイトは、どこか別の、あなたが定義したような、必ずしも、そんな風に存在しているわけではなくて、”あなたらしく”いることが、その”定義”したソウルメイトがいようがいまいが関係なく、もっとシアワセへの最短距離かも・・・」
それでは、今日はこのへんでー!
追記)
すみません。ちょっと言葉添えたくて。
「結婚したい!」と思うならとことんやってみてよいです。
テクニック的でもなんでも。
ただ「そうじゃないと自分はダメだ、、、人並みじゃない」とかって思うようなら、一旦手放した方がいいかも、です。
そこには「人並みでいること」に定義があって、「自分以外」と比較しています。
「他者比較」は意味がないです。「あなたらしく」いることが大事なので。
なので、そのときは「なぜ、人並みである・・ことに価値があると定義しているのか?」自分を深くさぐる機会をたくさん持つ方が、はるかに大事です。
なので「結婚したい!」そしてそれをやっていること、それ自体が「楽しい!」と思える要素があるなら、とことんやってみるのがよいと思います。
その過程でたくさん気づきを得られます。内面もそうですし、健康とか美容とか、、、いろいろ。
「なにがどうなるかわからないけど、やってみよー!」という気持ち、そのままにとことんやる・・・それが大事なので、必ずしも「結婚することを目指しては、結婚できない」っていうわけじゃないことを、追記したくなりました!