かとうゆうです。
私は障がい者です。
とはいえ重度ではなくて、右膝が30度以上曲がらないです。
やんちゃな子供でして(汗)
小学生のときに、がけっぷちで遊んでいて、骨折し曲がらなくなりました。
物理的に曲がらないということなので、日常生活に支障もなく、遅いけど走ることもできます。
ただ冠婚葬祭とかで「正座」は無理ですけどね(汗)
そんな私が手帳をとったのは20歳くらい。
親がですね、気にしまくってまして。
「手帳なんてとったら”劣っている”と思われる」とかなんとか。
でも、私、障がい発生当時から「たいして気にしていなくて」
いろいろ調べたら。
「あ。手帳持っているといろいろ割引なるじゃん。」
ということで自ら取得しにいきました。
まぁ、親の気持ち的にわからなくはないこともない・・・こともないですけども。
「手帳持っている=劣っている」って見方。
でも私としては「なんか違うでしょ?」と思ってます。
だって、障がいって「違い」だけで「優劣」ありませんから。
でもなんていうんでしょうか、親は「世間体」というかなんかそういう風潮があるんでしょうか。
とにかく私は「特に気にしていない」感じです。
気にしたのは「口唇口蓋裂」による顔の一部奇形ですね。
思春期は特に。
千人かひとりの赤ちゃんが発生。原因はよくわかっていないみたい。
どういうのか?というと。
鼻の下から、上唇に、ぼこっと「穴」が空いた感じです。
(よかったら口唇口蓋裂でネットみていただければ)
で「穴」を埋めるために、口の中の皮膚とかいろいろあつめて「埋める」んですね。
なので、パッと見はわからないけど、よくみると「手術痕」とか「ちょっと変わった凸凹」が少し残ってます。
これはもうほんとに気にしましたね。
正直、右膝の障がいよりも、こっちの方が明らかに「嘲笑」されたりすることあったんで。
幸い背が高くてがたいがいいのもあって、いじめとかはなかったですけど、見知らぬ人から「笑われる」とか。
思春期に同年代の異性からいわれると、それはもう心に大ダメージでした。
結構、引きずりましたね。
「結婚も、おつきあいも僕は無理だ」って思い込んでました。
合コンとかなんかそういう機会あっても「どうせ・・・」と断ったり。
でも、過去形で書いているとおり、30代はいったときくらいからだんだんそこまで過剰反応しなくなりまして。
なにがきっかけか実はよく思い出せないんですけど(汗)
たぶん、ですね。
たまたま入った会社が「ほぼ女性」だったんです。
で、「あ。仕事に男女関係ないや」っていう感じで、あんまり意識せずに女性ともああだこうだ仕事やっていくうちに「相対化」されたんだと思います。
でも、今もありますよ。
「コンプレックス」みたいなもの。
でも、当時ほど過剰ではないですね。
むしろ過去のトラウマをまた経験するかも、、、なんて自分で自分を気にするという意味では残ってますけども、その程度です。
今は結婚して、子どもがいて、兼業主夫ですので。
10代のときには想像もできない展開ですけども。
10代は心の底から「女性には僕は相手にされない」って思ってたんで。
で、、、不思議なのはですね。
30代くらいから、だんだん気にならなくなってきたら、「嘲笑」されることもだんだんなくなってきまして。
これほんと不思議ですよね。
顔、整形してないですよ(笑)、自分の気持ちが変わっただけ。
だけど、そういう「場面」自体消えていったんです。
引き寄せの法則とか、量子脳とかの理論からみたら「当然」のことだというのはあとになって知りました。
自分が気にして、びくびく街を歩いているのと。
まぁ、いいやーなんて気楽に街を歩いているのと。
両者では「周囲も変わる」、と。
まぁ、、、「周囲も自分」なので、理論や法則からしたら当然ですけども。
10代の頃の大ダメージがあったので、復活するには長い時間は必要ではありました。
と、、、考えると、右ひざの障がいでは、最初から自分が気にしていなかったせいか、これが理由で「嘲笑」されることは、ほとんどなかったですね。
むしろ感謝してたんです。
「あー、この障がいがあるから、もともとやんちゃな私が、他人の気持ちを考えられるようになったんだー」って。
それにしても、です。
よく今生は自分でテーマを選んでくる・・・なんていうじゃないですか。
その点からしたら「おまえ(私)、欲張りすぎだろー」って、自分で自分にいったりします(笑)
口唇口蓋裂やら障がい・・・そして前に書いたとおり「機能不全家族」
何かそこから学ぶために設定したんだと思うんですけど。
「欲張りすぎた」と(笑)
ちなみにカルマって「罰」じゃないですね。
私も最初はそう思ってましたけど。
前世で私はひどいことしたんだろーって。
でも、「前世」のせいにしちゃうと、当事者意識が薄れるというか、前世も自分なんですけど、今の自分とは違う「自分」に、ある意味責任転嫁しちゃって、逆に今の境遇とかを前向きにとらえることができないな、って感じ始めました。
で、、、いろいろ勉強していくと。
カルマって「ON」だ、と。
本当の幸せになるために、さらに「ON」するために調整する。
そのために境遇やテーマを選ぶ。
別に罰とかではなくて、足りないところは気づくように、いけてるところはさらにいけてる感じになるように「ON」する。
その意味では、よくいわれる「カルマ」って存在しないって思ってます。
なので、今も障がいのことも、口唇口蓋裂のことも、育った家庭のことも「ナチュラル」にオープンで話をしてます。
特に「気にしていない」し、「違い」というだけだし、その人のテーマってその人なりにあって、どのような、いかなるテーマも「貴重なもの」なので。
なので今回ブログでタイトルに、どうしても「ナチュラル」っていう言葉を入れたかったんです。
それでは今日はこのへんでー!