ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

お金のいらない社会って想像できますか?

かとうゆうです。

 

私たちの【思い込み】が外せない原因のひとつは、

私たちの、今この社会は「いろいろ問題あるけど、わりと最先端、完成に近い」っていう思い込みがあるからだって思います。

 

その例として前回「お金のない社会」って言葉あげました。

 

fivelaws.hatenablog.com

 

もうね。

想像すらできないと思うんです。

「貨幣っていうお金が存在しない、けど私たちが最高に豊かな社会」

 

スピリチュアルじゃないですよ、現実に、です。

 

実際そういう研究している学者もいます。

地域通貨」とか「キャッシュレス」とか、その【芽生え】みたいな動きは実際に出てきてます。

 

これはもう物語のように、ふわっとした気持ちで読んでいただければと思いますが。

 

たとえば「生存に必要なものが、お金なしで成立している社会にいたら、あなたはなにをしたいですか?」という問い。

 

人によってはたくさんあるんじゃないかな、って。

今この社会では「趣味」なんて定義していますけど。

「お金を稼げるほどじゃない=プロとはいえない=でも、やりたいこと」っていう定義です。

 

でも本質的に「お金を稼げるかどうか?はどうでもいいんです。」

それは自然についてきますから。

 

今もたくさんスキルシェアサイトありますけど、そこのひとたちは、フツーの人です。

フツーの人でも、仕事のちょっとした工夫から、健康とか心理とか。

カテゴリーも、まったく制約ないですね。

 

この無限の「表現」

無限にできる表現が、本来の人間の姿です。

 

だから、もう一度。

「生存に必要なものが、お金なしで成立している社会にいたら、あなたはなにをしたいですか?」という問い。

 

いろいろ思い浮かびますよね?

インテリアやアクセでも、テクニックでも考え方でも。

パン作りでも、なんでも。

 

だって生存に必要なものは完備されてるわけですから。

 

でも「そんな社会」ってあり得るの?と思っちゃうかも、ですね。

 

お金の本質って「交換」ですね。

今はそれを「」で表している。

 

だから「量が多いもの=優れている」「少ないもの=劣っている」になりやすい。

仕事でも、年収1億なんていわれると「優れている」とか。

大企業の経営者とか。

 

でもそれは単に「量が表現されている」だけで、人の優劣はないです。

今でも、「うちの子はあんな仕事についてほしくない」なんていう人いますけど。

 

あらゆる仕事に優劣はないですし、どの仕事も極めることですばらしい人間性を表現できる。

 

たまたま「量」で測るから、誤解しちゃう。

 

だから「お金の機能から”量”をとっちゃう。」

 

純粋に【交換】だけ。単位はなし。

 

ここまで書いて、なにか思い当たった人。

そうですね、今、現実にありますね。

 

「お助け・シェア」ってご存じですか?

 

たとえばマンションだと、

「ちょっと雪かきしてくれたら、田舎からくれた、りんごひと箱あげます!」みたいなシェアができるサイトありますね。

 

もちろん「生存には多種多様な、そして定期的なものが担保」されないといけないので上記も【芽生え】ですけどね。

 

そしてこのあり方が「そうすべきだ」とか「こうあるべきだ」とかがいいたいわけじゃなくて。

 

冒頭の「今の社会は、わりと最先端、わりと完成に近い」っていうのは、「全然そんなことない」っていうことに気づいてほしいなと思ったんです。

 

そう考えると、たくさんイケてないとこありますよね。

「仕事に多少の我慢、割り切り」とか。

「お金のために自分をおしころす」とか。

そういうのって、ぜんぶ「解決するテーマ」として選択していいってことです。

 

「そうはいったって、そんな大きな話、どうやって変えるの?わかってはいるけど、今の現状は現状として、それなりにやるしかないじゃない・・」って思うかもしれません。

 

でも、ですね。

私たち人類は、本当にたくさんの「進化」を遂げてきたんです。

それも「想像もできないくらいのもの」を、です。

 

 

歴史を逆にみるとよくわかります。

ホモ・サピエンスの人が、今の社会みたら?・・・もう「あの世」かと思うかもですね。

ちょっと遠すぎましたか。

 

では、坂本龍馬

彼も時代の先をみていたと思いますが、今のネット社会なんて想像もできない。

 

そしてどの時代も、いつも時代のヒーローばかり注目されましたけど、「変えてきたのは、フツーの人々」です。

 

気がついたらチョンマゲはださくなって、西洋文化を吸収したり。

 

その原動力は「シアワセ」ですね。

人によってその表現はたくさんありますが、基本的に「シアワセになりたい」っていうエネルギーが変えてきました。

 

今も変えようとしてますね。

「人類だけじゃない、動物も自然も、地球全体をシアワセにするためにできること」

 

サステナビリティとか時代によって表現違いますけど。

その原動力もぜんぶ「シアワセになりたい」、そしてそれは「あらゆる生命と共存したい」っていう思いですね。

 

だから今の社会は、「ぜんぜん最先端でもないし、なにかの完成形を示してもいない」

 

きっと100年後の人からみると、今の私たちが明治時代の「女工哀史」を読んで「大変な社会だったな」、、、、なんていうくらい「今も全然最先端じゃない」と思うんです。

 

こういう視点を持つと、「もっともっと変えていい」し、「変えられる」って思いませんか?

もちろん変えるのは、なんかデカいことじゃなくていいんです。

自分ができること。

地球環境配慮で、プラ製品を少し控えるくらいの「行動」でいいんです。

 

だってそうやって私たち人類は「シアワセ」を目指してきたのですから。

 

それでは今日はこのへんでー!