ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

前回に引き続きまとまりもなく、あちこち話はいくんですけど、とにかく「宇宙」「真我」ってのが、気になるお年頃でございます

かとうゆうです。

 

なんとなく書きたくて(笑)

 

聖書。

いきなりこの話から(爆)

 

アブラハムの子、イサク?でしたか、、、ちょいど忘れしましたが。

ま、、仮に「イサク」としておきます(え?調べてから書けって?)

 

イサクは、ヤハウェからいきなりこういわれます

「私を本当に信じているというなら、今から、自分の子を殺せ」と。

 

ヤハウェ最高神

ひでー神ですよね、、、ま、、ともかく先に進みます。

 

イサクは迷った(当然です)

 

でも、決意した。

 

で。

子供を横たわらせて、刃をふりかざした瞬間、

ばーんと雷。

 

「イサクよ!殺す必要はない。おまえを試しただけだ!」と、ヤハウェ

 

どんだけ、ひどい神だということなんですが、キリスト教的ドグマの話として出したわけじゃないので、一旦、最高神のいけてない振る舞いに目をつぶりまして、先に、、、

 

今、地球上で、

飢餓や貧困、戦争、略奪。暴力。

たくさんありますね。

 

前回「大愛」って書きましたけども。

宇宙は「大愛」だ、って。

 

大愛って、ほんとうに大愛なんです。

 

飢餓も貧困も、、、、すべて「価値ある体験」なんです。

 

だから老子が「天地は不仁」って。

 

私たちは物理世界に生きていますので、ポジティブとかネガティブ・・・という定義がありますけども。

 

宇宙からみると「ポジもネガもない」

 

数千年前、アトランティス滅亡後、人類はどんどん「忘れていった」

けど、、、それは「ネガティブ」じゃない。

 

その「貴重な経験」をする、宇宙にとって不可欠な存在なんです「地球」

そして、私たちひとりひとり。

 

スピリットガイドとか「少し高次元」の存在は、宇宙のような「ワンネス」とは異なりますので、慈悲、かわいそう、たすけたい、、、がありますけども。

 

宇宙、ワンネスって、もう本当に

すべてが価値あり、いかなる人も、いかなる山川草木も、「すべて不可欠」で、それがなければ「ワンネスは存在しない」という存在。

 

飢餓や貧困、戦争、、、肯定しているわけじゃないですよ?

そういうことじゃないんです。

 

飢餓のない、戦争のない、平和で穏やかな世界。

ここを目指していく。

 

なぜなら「宇宙」はその根源の根源の存在だから。

 

だけど「宇宙」は、「自分がそうである」と「知覚」できない。

知覚する必要もないんです。

すべて、ぜんぶ、「ワンネス」だから。

 

それを知覚するためには「経験」が必要。

だから、山川草木のすべての経験が「不可欠」

 

宇宙は、根源的に幸福で、

根源的に安心の極まり。

 

すべてはそこに向かって、たくさんの経験をする。

その過程の経験が、ネガティブと定義されようがされまいが、「すべて価値ある経験」で、

 

その経験があるからこそ、

宇宙は、もっと幸福で、もっと安心の極まりになる。

 

で。

イサクの話でしたね(汗)

 

ぶっちゃけ、ヤハウェがやったことはまったく賛同できませんが(まじで)

 

たとえば。

 

またいきなり話飛びますけども。

 

宇宙人の死体。

なんて話があります。

 

けっこうフェイクが多いみたいですけど、中には「ほんと」もあるそうです。

 

で、ここからがすごいんですけども。

 

その死んだ宇宙人は、「わかっていて」、そうしたというんです。

 

地球に向かう、地上に激突する。自分は死ぬ。

その死体が、世の中にクローズアップされる。

そして、宇宙存在について地球人が気づく機会を与える。

 

「わかっていて」そうしたんです。

 

特攻隊とは全く違います。

悲壮感とか、自爆テロみたいな偏執でもない。

 

自分に与えられた役割。

 

これを果たす喜び。

 

、、、もう、こうなると、ほんとに「愛」ってなに?の世界ですね。

物理次元で考えると。

 

でも、ですね。

この宇宙人たちは、いわゆる「高次の宇宙存在」

 

つまり、

今、私たちが「アセンションしたい」と思って向かっている存在です。

 

私たちは「アセンション」という定義があって、

無条件の愛とか、穏やかで安心、、、とか

もちろんそれはその通りなんですけど。

 

単純に物理世界、フィジカル脳で描いている「アセンション」とは、なんていうのか、違うというか、広いというか、高い、、、感じ。

 

そこに向かっているわけですね。

 

あの、、、でも、イサクみたいな行動しろ、とか、戦争や暴力を肯定するとか、、、そういう話じゃないですよ。

 

もうここは繰り返したいくらい。

 

大愛

宇宙

 

これって一体どんな存在なのか?

 

引き寄せとかの話で

「貧しい人を助けたいなら、支援や寄付ももちろん尊いけれども、もっとパワフルにできることがある。それは”あなた自身を愛することだ”」とか

 

「貧しい人に、”同情”や”優しさ”といった気持ちで接しても、貧しさをさらに冗長させるだけ。大事なことは、その人が”貧しさは自分で克服、救うことができる勇気がある”ことを確信することだ」とか。

 

この辺の話と

 

そして、

宇宙とか大愛。

 

すべてはつながっていて、すべてが「不可欠の存在」という話と

 

なんか「同源」のような気がするんです。

 

うまくいえるほど、私もわかってないんですけども、、、

 

人生って、いろいろあります。

ほんとに。

いろいろ。

 

でも「いろいろ」って、ひょっとすると宇宙からみたら「全部貴重な価値ある体験」なのかも、と。

 

私たちは地球人として生きるために、感情や思考といったシステムを構築してきました。

 

それは「いろいろ」に対して感情や思考を通じて「体験」するため。

 

ってことは、もっというと「感情・思考」って、「真我」とは違う。

ひょっとすると、今、自分が考えていること、思っていること、感じていることは「感情・思考」という体験システムレベルであって「真我」はちがう。

 

そして「真我」は、宇宙とつながっていて、あるいは宇宙そのものだ、と。

 

、、、えーと、、、ここで謝罪です、、、

 

私自身、いろいろ整理できてないんですね、、、今、この段階(汗)

 

で、今「自分という宇宙」に目を向けているわけですけども、

特に「真我」ってなんだろ?ってところ、

ここに目を向けています。

 

イサクの話なんて、もうそりゃ「ひでー」話ですけど。

殺される子は、実は、地球で死んだ宇宙人と同じように「わかっている」ことだったのかもしれない。

 

私がもっている「思考・感情」システム。

これは不可欠ですけど。

 

システムってことは「パラメータ」があるわけです、動くために。

これはポジ、これはネガ、これは気持ちいい、これは痛い、、とか。

 

でもそもそも「パラメータ」を設定してきた「真我」ってどんな存在なんだろ?と、最近ここが気になって仕方がないんですね。

 

で、ずーっと瞑想とか自己探求しているわけですが、

 

しかも、まとまってもないのに、書きたくなったからブログ、、、こうやって書いてしまってなんともはや、、、なんですけど。

 

書きたいな、、となんとなく思った。

それだけでも、書く、、のは十分な動機だろうって思って書きましたー