ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

「私」は、本当に「自由」とよくいわれますが、実際には「どんだけー?」っていうくらい自由なんですという話

かとうゆうです。

 

「輪廻転生」

「前世」、気になる人も多いかもーですね。

 

あと、「先祖」

これも、すんごい気になる人も多いかも。

 

 

で。

これも「自由・選択」

っていったら、ちょっとびっくり?!でしょうか。

 

前世があって、で、何かマズイことをしたら、来世で「償い」とか。

で、来世、、、このとき生まれ変わってきまして、償いをするために、とある家系に生まれてきて、先祖の「業」みたいなものを背負って、、、みたいな。

 

これ「実際、そう」ではあるんですけど、

ぶっちゃけ「それ選択したのは”あなた”です!」なんですよね。

 

だから、今生きているうちに「前世というワールドを”変えたり”」「先祖を変えたり」も可能。

 

、、、って、わけわかんないですよね。。

 

オールザットイズ。

名称はなんでもいいんですけど。

 

その視点からみると「時間っていう、直線的認識」はなくて、

前世も、今世も、ぜんぶ「今、同時に存在する」わけです。

 

ぜんぶ「今」

 

で、私たちは、この地球にアバターをまとって転生するわけですが、なんのためか?というと「体験」するためですね。学びとか成長とか、いろいろ。

 

で。

「体験」

っていうのは「ストーリー」です。

これが過去、これが今、これが未来。

そういうストーリー。

 

このストーリーをみるためには「今、ぜんぶ同時」じゃわからないので、

「時間」という直線的、連続的認識をして、ストーリーを体験するんです。

 

「時間」っていうのは、科学でも「時間は存在しない」「逆行する」とかいわれますけども、基本的に「認識の問題」だということですね。

 

なので「直線的認識」自体は、特に目新しい学説でもないです。

 

で。

ストーリーには「テーマ」があります。

これをやりたい、これを学びたい、体験したいとかいろいろ。

 

その「テーマ」を、あなたは「選択」します。

 

大事なことは「選択」

なんです。

 

決して前世からのつながりで「制限された中で選択」じゃなくて、たくさんの選択の中から「選択」するんです。

 

で、このとき

この「テーマ」にもっともあった前世も「選択」します。

 

実際。

パラレルワールドも含めて、「あなた」は無数に存在しています。

あらゆる無限ほどのパターンに「あなた」は存在している。

 

しかも、オールザットイズからみれば「今、同時に」存在している。

 

その無数の「あなた」から、もっとも今回のテーマにふさわしい前世と「つながること」を選択するんですね。

 

家系とか先祖も同じ。

 

なので、↓こうじゃないってことです。

まず前世があって、それから今の自分がいるわけでもないし、

家系とか先祖の業があるから、今の自分の境遇があるわけでもない。

 

「選択」

 

だから、実際には「どのパラレルワールドに同時に存在しているものを”前世”と選択するかは、自由」です。

 

自由。

 

なので、今、生きていて、DNAが変わるくらいの人格転換とか、わりとよくある話(昔のその人と今の人が別人みたいな・・・)ですけども。

 

人格が変わるくらい、変わるってことは「つながっている前世も変わってます」

先祖と認識しているものさえ、変わることもある。

 

そもそも前世という認識、あなた、という視座だけとも限らない。

 

なので、これ、「前世あるある」ですけど。

「私は前世クレオパトラだ!」とか、複数いう人がいます。

よくある話ですね。

えーと、あの人も、あの人も、前世クレオパトラ?・・・クレオパトラって「一人」でしょ?と。

 

これ、これまでの説明からすると「シンプル」で

要するに、「その人のテーマにふさわしい”つながり”として、クレオパトラという人物を”前世”と”認識”している」状態なんです。

だから「複数」いても、おかしくはない。

だけど、その人が「クレオパトラそのものではない」っていうことなんです。

 

ややこしくなりますが、クレオパトラも「その人」も、「今、同時に存在」しているので。。

 

そう考えると、

「自由」っていわれますけど、

輪廻とか前世とか、先祖とか・・・「絶対的に変えようがない」わけじゃなくて、

「絶対的に変えようがない存在」として、あなたが「選択」した・・・そのくらい「自由」なんです。

 

でも、ですね。

こう思うかも。

 

え?じゃあ、でもなんで輪廻転生ってあるの?

同時に存在とか認識とかあるかもしれないけど、選択できるなら、「みんながみんな同じ選択」する必要ないじゃん!って思うかもですね。なんで、みんな同じような選択しちゃうの?!

 

答えは「その通り」

 

でも、ちょっと解説すると。

 

そもそも、この輪廻とか、前世、先祖の業・・・みたいなサイクル論って、アトランティス以降に定着したみたいです。

 

どういうことかっていうと。

 

私たち人類が「どんどん忘れて」、地球の歴史も自分たち自身の存在も、どんどん忘れて、争い・対立の「ネガティブ世界」に入っていく。

 

いきなりですけど。

あなたが、アトランティス滅亡の日に死んだとします(って、いきなりかよ!ですけど)

 

あなたはこう思うんです。

「もう、こんなことはあってはならない。そもそも滅亡したのは、私たちアトランティス人が天の道から外れたせいだ。その罪滅ぼしをして、二度とこんなことが起きないように、次は、もう一度地球にきて、その罪を償うんだ!」と。

 

で、それが何世代も積み重なっていくうちに

「輪廻転生・業」のサイクルが定着する。

 

何百回と同じロジック・サイクルの中で転生するわけですね。

 

でも、そもそも「罪」とか「罰」とかが起点。

どんどん地球は「ネガティブまっさかり時代」に突入。

 

本来「選択」だったはずのものが、

いつしか、あたかも「不変の自然法則」のように認識される。

 

集合意識による集団的合意・・・ってやつですね。

 

なので、いわゆる輪廻転生っていうのは「不変・絶対の法則」じゃないんです。

 

そして「前世のあなた」は、オールザットイズからみれば「あなた」だけど、「今世の”あなた”と、前世の”あなた”は別」

しかも、お互い同時に存在しているので、

たとえば今、あなたがアセンションすると、「前世のあなたも気づく」ことがある。

逆もありますね。前世からのインスピレーション。

 

もうここまでくると、わけわかんないかも、、なんですが、さらにいってしまうと、

来世も同じ。

 

来世から、今のあなたへ

あなたから、来世のあなたへ気づきやインスピレーションがいくこともある。

 

だから、すべては「認識」なんです。

この現実世界は。

 

で「認識」するために、前と後ろ、という直線的時間で「認識」する。

 

なので、仮に私が「今、死んだ」としますと(笑)

私には選択肢がたくさんあるんです。

 

今世でやったことを「今まで通り、罪として、来世という転生を選択」するか?

「罪というネガティブではなく、ポジネガを超えた境地に気づくために、プレアデスかシリウスか、とにかく、どこかの星に転生することを選択」するか?

 

こうかくと「殺人してもいいのか?」なんていわれちゃいそうですけど。

 

私たちはすべて「無条件の愛」の存在ですから、殺人というのは他人だけじゃなく、自分で自分を殺したような状態です。

 

なので、仮に選択肢がたくさんあっても、「重い来世」「献身・犠牲的来世」を選択し、無条件の愛の存在としての自分を取り戻そうとします。

自分で「重い選択」を自らする・・・この道を「自分を取り戻すために、自分が望んで選択」することになります。

 

ある意味。

アトランティス滅亡後。

対立・戦争の時代になって、輪廻転生というサイクルが生まれ、あたかも絶対的法則のように感じられたのは、まさにこうした「殺し、殺され」の世界から、「重い来世」という選択を重ね、あたかも「絶対的法則のように」なってしまった原因ともいえます。

 

そして、ネガティブを重ね、重ね、重ね・・・

ついに地球環境の破壊、核戦争のリスク・・・こうした「惑星ごと破壊」しかねないような事態になって・・・

 

私たちは「思い出しつつ」ある。

それは、生き延びるためでもあり、無条件の愛の存在として生きるためでもある。

 

アセンションとよくいわれますけど。

次元上昇。

次元がひとつあがるだけで、もう別世界といわれます。

 

そのくらい別世界へのアセンション

 

本来なら、それは「自然で、ストレスなく、楽しく」できる選択ではありましたが、私たち自分は「究極のネガティブに到達するところまで追い込む」ことで、アセンションをする・・・という選択をした、ともいえます。

 

この宇宙。

知的生命は膨大に存在しますが、

 

地球。

珍しいタイプなのだそうです。

 

自分が「自由」であり、無条件の存在ということを「ほぼ完全に忘れ」

対立と戦争、教義と排他、優劣と競争・・・こうした「ネガティブ」を選択しながら、いきつくところまでいって、はじめてアセンションに気づく・・・という選択をする・・・というのは、宇宙の中でも珍しいのだとか。

 

東洋哲学では

「陰極まりて陽となる」といいます。

 

陽が自然に生まれるのではなくて、陰がいきつくところまでいって、そこではじめて陽が生まれる、、、と。

 

もちろん宇宙視座では「陰陽」は「ネガポジ」というシンプルなことを意味するものではありませんが、

 

私たち人類は、まさに「陰極まりて陽となる」・・・この選択によって、ようやくアトランティス以降、何千年ぶり、、いや、地球に私たちがハイブリッドとして誕生して以来、ようやく、やっと・・・本当の姿、アセンションという出来事を体験しようとしている・・・ともいえるかもしれません。

 

、、、それにしても、今日はいつも以上は、わかりにくく、そして、ややこしいだけのブログになってしまったかも、、、です。。

こういうときって、文字だけなので、「誤解」というか「曲解」もあるのかも、、とは思ったのですが、なんとなく「今書いてみたい」その思いに任せたままに書いてしまいました。。

 

読みづらいブログですみませんです。