ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

カルマ?・・・存在しないですね。え?。あ、正確にいうと・・・・で、要するに「自由」ってことですという話

かとうゆうです。

 

今日は「カルマは”存在”しない」の総集編?的で

 

いきなりですが(いつもいきなりですが(笑)

 

量子力学や宇宙理論では

「時間は存在しない」と。

 

正確にいうと”認識”の問題だ、ということですね。

なので、「時間の逆行性」について論じている人もいます。

 

認識。

つまり「これが過去、これが未来」という認識。

 

時間と空間。

これは「時空」として1セット。

 

時間は存在しない、と同様に「空間」も存在しない。

 

ホログラフィク宇宙論でいうと「投影」されているだけ。

「幻想」っていうと少し誤解ありますが、そんなもの。

 

って、ことは。

前世、今世、来世・・・も「存在しない」

認識の問題だということですね。

 

さすがにカルマについて量子力学はストレートに答え切れてませんが、

「同時に存在する」

 

前世も今世、来世も「同時に、”今”、存在している」

これを「前」、これを「未来」として、「カルマ的認識」が成立しているわけです。

 

でも、これ到底「頭」ではわかない。

「直感」でも、なかなかわからない。

 

なぜなら「時間も空間も、カルマも”認識”、同時に存在」という見方は、なんと呼んでもいいのですが、「オールザットイズ」の視点だからですね。

 

3次元でも何次元でもいいですが、そこにいる「私」

「私」という視点を軸に、想像したり、直感で把握しようとしても、なかなかわからない。

 

「私」・・・自体が、認識の上に成立しているので、当然といえば当然です。

 

また話は飛びますが、量子力学

「量子は、同時に複数存在し、観察者によって位置が確定する」

「量子は、波か点かわからない。同時にその状態を保有する」

 

これ実は「次元」と「波動」で説明すると、わりとスッキリします。

 

量子・・・結論からいうと、あらゆる「次元」に同時に存在しています。なぜなら、その次元固有で完全に独立して存在しているわけではなくて、あらゆる次元は「究極はつながっている」ので。

 

で、観察という行為は「特定の次元からみたとき」ですね。

特定の次元から、あらゆる次元に存在する「量子」を観察するので、「観察者が存在する次元で、位置が確定する」わけです。

 

波か?点か?ですけども。

これも「スピン理論」とかありますけども。

 

要するに超・超・超高速で動く「波動」

すべては「波」

だけど、あまりにも早いので、その回転が集中しているところが「点」にみえる。

「点」として「存在」しているようにみえる。

 

ということは「波か?点か?」は、単に観察者の道具がまだまだその「高速」まで測定できない、、、この状態です。

 

ブレーン宇宙論もそうですし、多世界解釈もそうですけど。

パラレルワールド的な考え方は、もう最新宇宙論では、普通に認識される論ですね。

 

で。

「私」

 

私は、そうした「超高速の波動」であり、「同時に存在する様々なワールド」を

これが前、これが今、これが未来・・と認識し、位置を確定させ、その世界に「私」を認識する。

 

そう考えると、

実は「カルマ」

 

前世こうだったから、、、今世というのは、正確にいうと「ちょっと違う」んです。

 

まず「今の私」

これがあります。

 

「私」という認識。

つまり「私というストーリーを描く」ために、必要な次元・時空とつながる。

それを「前世」「今世」と認識する。

 

なので、今の私と、前世の私は「別人・別存在」

「つながり」として認識しているだけ。

 

なので、ときどきすんごい歴史上の有名人が「私の前世!」といいますが、正確には「その有名人自身じゃなくて」

今の私のテーマに必要だから、「それを前世として認識し、そこでの課題を共有している」状態。

 

、、、ってなかなかややこしい話ですよね。

 

でも、さらにややこしくします(笑)

 

「前世、今世、来世」は「つながっていない」

でも、「オールザットイズ」からすると、「ぜんぶつながっている」

つまり、「ぜんぶ私」です。

 

ややこしく感じるのは、

この現実世界の「私」からみたもの

ぜんぶの次元を俯瞰する「私」からみたもの

なので、議論でいうと「論点が異なる」ようなものです。

 

でも、論点は異なりますが、「同じものを議論」している。

 

こうなると、ややこしくなってきますね、さらに(笑)

私だって、こうやって書いてますが、ややこしい(爆)

 

現実世界のフィジカル脳では全く理解不能なので。

 

なので、「理解しよう」とか、「それをとことん腑に落ちるまで」とか思わなくていいのかなと思っています。

 

「ふーーん。そういうものか。まぁ、でも、オールザットイズで、要するに”すんげー、でかいレベルの私”ってことでしょ?そこからみたら、確かに、今とか未来とか、そんなのもぶっ飛ぶよなー」くらいで十分だと思っています。

 

大事なことは、上記から導ける答えとして

「いわゆるカルマは、存在しない」ということですね。

 

そもそも認識や次元の話なので。

前世こうだったから、これを償う、、、とか、そういうペナルティ的な見方、それ自体も「私・・・というストーリーを描くときに、つながっているだけ」です。

 

なので、不思議な話ですが、

「私が変化すると、前世も変化します」

 

ある意味当然ではあります。

 

「私」というこの認識や存在のあり方が変わる。

たとえば二極化・・・新しいパラレルワールドにシフトした、と。

シフトした「私」は、そこでの「ストーリー」があり、前世やらがあるわけです。

 

なので、何か一本道のような、私というソウルが単体であって、それが何度も輪廻転生している・・・というのは、正確には「そうじゃない」ことになります。

 

ちなみに。

ペナルティ的カルマ論。

 

これって数千年前に登場したみたいですね。

アトランティスが壊滅し、「ブラックな地球時代」

ネガティブ満載時代に突入。

 

その中で、ネガティブ満載を貴重な体験とするため、あるいはネガティブであるがゆえに「ペナルティ的カルマ論」が登場したらしいです。

 

逆にいうと、地球の歴史からみたら

「つい最近出てきた"異説”」みたいなものですね(笑)

 

いずれにしても、

過去、償い、今・・・

これって多くの宗教でテーゼになってますけど。

 

それも「わりと最近の”異説”」でして。

間違っているわけじゃない、認識としては「存在」しているんですけれども。

 

宇宙、次元、私・・・そんな視点でみると

「その理論の”箱”に閉じこもっていることは”選択”にすぎない」

 

選択・・・っていうことは、それ以外の選択もたくさんある。

たくさんあるけど、「ペナルティ的」という定義を”選択”

 

たくさんの選択。

 

もう今日はややこしい話ばかりですが、

ぶっちゃけで、シンプルにいっちゃうと、

「私は、私が思っている以上に、圧倒的に”自由”だ」ということですね。

ぶっちゃけすぎかもですけど(笑)

 

で。

最後にこれだけは。

こんなことを書いている私、かとうゆう。

さぞ「圧倒的自由」か?と思うかも、ですけど、全然そんなことなくて。

私もたくさんの「定義」「選択」の中で、ある意味自分を「箱」に閉じ込めてます。

だから日常生活ではいろいろあります(笑)

 

そしていろいろ書いてきたことも「なんとなくそうかな」と思っていることを書いただけで、体験的、肌感覚でわかっているか?というと、そんなこともない。

 

私だって「書いてて」、ややこしい(笑)

 

でも、心のどこかで、さっきぶっちゃけしたように

「私って、もうすげーー自由っていうのが”本当”の状態なんだよなー」と、ぼんやり思うことが大事かなって思ってます。