ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

時間と空間は存在しない、と量子力学でもいわれますが、自分の経験に置き換えたときどう認識できるのだろうという話

かとうゆうです。

 

ちょっと更新間隔空きました。

 

が。

たくさんありました。

 

気づき、です。

 

あらためて本を読みなおしたり

瞑想したり

そして、好きな電子ドラムをたたきまくり(笑)

 

気づいたこと?

はい。

 

シェアしようかなーと思って書いています。

 

「過去も未来も存在しない」

 

これスピ系だけでじゃなくて、量子力学でも普通にいわれています。

「認識」

 

要するに連続した「認識」です。

 

超弦理論では9次元とか。

ブレーン宇宙論では「高次元」とか。

 

要するに私たちは、3次元の世界。

時間と空間を定義した空間にいるので、

「時間と空間、それ自体が存在しない次元」を想像できないんですね。

 

でも「確かにある」

 

9次元なんて、理論上の想定とはいえ、もう「想像すらできない世界」

4次元とか5次元だと、なんとなく「イメージ」とか、中世風にいうと「霊的」みたいな想像はできますけど。

 

それ以上はまるっきりわからない。

 

とはいえ「時間と空間」というのは存在しない。

 

例えば「過去」

よく「過去」を思い出します。

 

でも「その過去は、完璧に当時を再現したものではなくて」

 

今、あなたが過去として想起した「過去」

 

つまり「今のあなたが、想像した時間」

 

「未来」もよく想像しますね。

多くの場合。

不安とか恐れ。

「こうなる?」「こうなったら?」の世界。

 

でもこれも「今のあなたが、想像した世界」

 

時間と空間が存在しない、、、これを理解するためのキーワードは、

「過去も未来も、今も、すべて同時に、今存在している」ということです。

 

え?余計、わかりづらい?

ですね。。

 

でも高次元では「同時に存在」

 

それを三次元では「時間と空間の連続性」として認識し、過去と未来といっている。

 

なので仮にタイムマシーンで過去や未来にいったとしても、そこにいる「自分」は自分じゃないです。

正確にいうと、大きな存在としての自分の中に包含されるものだけど、「今の自分」とは異なる。

 

多世界解釈では、まだ「それぞれの世界の相互作用」を明らかにしてはいませんが、「過去」「未来」「今」、ぜんぶ同時に存在していて、しかも相互作用している。

 

なのでこういうことがおきます。

 

例えば「恥ずかしい、思い出しくない出来事」

そのとき、その瞬間はそう感じ、今もそのように「過去として想像」しているかもしれません。

 

でも、その「過去」を変える。

「恥ずかしかったけど、でもあれで学んだこともあったなー」と。

 

そうすると、その当時の人に再会したとき、その人は

「その出来事を記憶していない」

 

あるいは、その人と「もう出会わない」

 

こういうことが起きます。

 

過去は過去として、不可侵に存在しているのではなくて「今、存在」している。

未来も。

 

何か確定的、固定的な存在ではない。

そう思っているのは、3次元の「認識」

 

荒唐無稽のようですが、たくさんの宇宙が「ブレーン(膜)」のように存在し、それが集まって、異なる次元を形成する。

 

これ、ブレーン宇宙論です。

 

で、、、気づいたこと、ですね。

 

私ごとながら、私は「過去たくさんつらい経験をしてきた」

そこを乗り越え、学んできた。

と、「認識」でしてたんですが。

 

あれ?違うな?

「つらい過去」と、定義していただけだ。

 

つらいってことは、何か自分が足りないとか、自分が間違っていたとか、どうしてもネガティブになるけど。

 

ちがうかも。

 

「完全に本当の自分を思い出すために、完全なタイミングで、完全な経験として存在」していたのかも、と。

 

と、考えると別に「ネガティブ」じゃないな。

 

そして「辛い過去」と定義している限り、それはそのまま。

でも、そうじゃなくて「すべて完全なタイミング」だとすると、ポジティブとかネガティブとかを超えて、中立。

 

「あるがまま」

なんじゃないかな。

 

 

そんな気づきがありました。

 

過去はつらかったけど、学びはあった・・・という認識も大事な一歩ですが、さらに踏み込むと

「つらいもなにもない。あるがまま。私、そのままに存在し、経験していたこと」

 

そんな風になるかも、なんて。

 

それでは今日はこのへんでー!