かとうゆうです。
今日も、書く直前に
「過去はないな」と。
スピリチュアルでも、時空理論(カルロ・ロヴェッリなど)もいってますけども。
「過去、現在、未来は、”今、同時に存在している”」
不思議ですよね。
私たちは、過去、、、さらに前世とか「定義」
でも、ぜんぶ「今、存在している」
次元というのは、超弦理論では9次元とはいわれてますけども。
4次元いる私たちは、5次元や6次元を「認識できない」
少なくとも「現実と定義している世界にこだわっている限り、認識できない」
だから
「過去、未来、現在、すべて”今、存在している”」というのは
頭では理解はなかなかできないですし、する必要もないと思っています。
同時に存在。
私たちは、それを「直線的につなげて」
過去、現在、未来と定義して、その「世界」を「ある現実」として体験している。
高い次元からみると、私たちはこんな風にみえるようです。
繰り返しますけども。
別に「へんな話」でもなくて、
量子力学、時空、重力などの基本書みたいなものをみると、「普通の話」です。
アインシュタインから、ホーキングから、みなさんよく知っている世界的学者も、こうした考えは、ごく普通に認識しています。
さて。
同時に存在、となると。
たとえば「過去」
これも、「過去という今、存在しているものを、瞬間、瞬間体験している」わけですね。
なので、記憶の中にある「過去」
楽しかったり
悔しかったり
思い出したくなかったり
その「過去」は、
「今、あなたが”過去”として、今、作り出している」わけです。
なぜなら、その瞬間に体験した「時間」というのは、
今、存在しているすべての過去、現在、未来という「点」を
瞬間、瞬間で体験しているので
「その瞬間の、次の瞬間は、あなたは、その前の瞬間の”あなた”とは違う存在」です。
つまり。
あなた、というのは、そのような時間軸の世界より、
はるかに「高い次元に存在していて」
時間を直線的につなげて体験しているだけ、なので。
「高い次元にいるあなたは、変わらない。ただ、瞬間、瞬間の体験があり、それをつなげてストーリーを描いているだけ」です。
よく「映画」にたとえられますね。
あなたは「フィルム上映者」です。
機材を回し、投影する。
あなたは知っています。
そのフィルムの一コマすべてを。
「観客」
つまり、フィジカル脳は、投影されたものを「ストーリー」としてみる。
でも、ストーリーが「あなたそのものか?」というとそんなことはないですね。
ストーリーで起きた「過去の出来事」も、
観客からみると「過去」というだけで、
上映している「あなた」にとっては、
フィルムの中に「すべて同時に存在している」
でも、すべて同時に存在するという認識のままでは、
ストーリーになりませんし、感動したりすることもできません。
なので「観客として体験」する必要がある。
なので「過去」は、存在しない。
「過去は、今、あなたが作り出しているだけ」
そう考えると、「記憶」と呼ばれる中に、いろいろなものごとや認識が「蓄積」されているように思いますが、
それも「観客として、投影されたもの」であって、
実は「記憶は存在しない」
過去は、後悔とか残念とかいろいろネガティブありますが
本質的には「存在しない」
存在しないのに、「今、あなたが、過去を創造して、後悔しているわけですね」
あなたは、「今」この瞬間に、すべて同時に体験しています。
手放す、、、ということをよくいわれますけども。
例えば「後悔」を、「ポジティブな体験」として、定義し直すのも大事ですが、
そもそも「それが存在しない」
今、あなたは
今、ここに
この瞬間にいて、
この瞬間に「すべてを創造している」
そんな視点について、今日は書いてみましたー。