ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

いろいろあった、いろいろ考えた、どんどん深く入っていく、、、でも、やっぱり「維摩の無言」にかなうものがないかも、、という脈絡ない話

かとうゆうです。

 

なんか更新だいぶあいてしまいましたねー(笑)

 

今ですね。

 

自分の内面・・・これに深く入る時間をたくさんとっています。

 

ぶっちゃけですけど。

2つあって。

 

1つは「頭でっかち」だな、と。

宇宙のこと、引き寄せから、量子力学、いろいろ。

「知識」ですね。

 

知識の奥にあるもの。

 

愛、、、というものだと感じています。

 

愛を「感じる」というのは

体験

気づく

などを通じて、細胞にしみわたるようになると「わかる」

 

どうやって「わかる」ようになる?

 

これは、やはり「自分という宇宙」に入る。

 

なので、ずーっと「深く」入っています。

気づいたこともたくさんあるんですけど。

 

もうちょっと、この時間をたくさんとろうかなと。

 

2つめは。

社会とは、企業とは、組織とは・・・

いろいろみえてきたものがあって、いろいろブログで書いておりますけども。

 

気をつけないと

「いけてない状態」にパワーを与えること、にもなるんですよね。

 

これからは「対等」な時代でしょ?昭和型ピラミッドじゃしょうがないでしょ?・・・って、それはそうですし、ブログでいろいろ書いたことが、間違っていたとか、違っていたとかってことではなくて。

 

 

「いけてないなー」ということを表面化させると、

いけてない状態にパワーを与える。

 

そういう状態や状況に遭遇しちゃう、、、ということですね。

 

なので、もうちょっとうまく表現というか、

解決策っていうんでしょうか。

 

うまくいえないけど。

ある人の言葉で

「すべての”問題”を、”課題”ととらえる」

っていう言葉が、ぴったりきますね。

 

批判は、批判を体験しますし

排除は、排除を体験する。

 

なので、1つめの「自分という宇宙」に入る中で、この2つめもいい感じでとらえていければなーとかって思っています。

 

あ、そうだ。

3つめがあるかも。

 

「お試し」

 

これ、どきっとする言葉ですよね。

 

宇宙は、あなたが本当にそう思っているかどうか?試す。

 

でも、これ「あるある」なんですよね。

 

そんときって「きつい」です。

 

はい。

 

おどかすなよっていわれそうですけど(笑)

 

ほんとに、そういうことあるなーって。

実感したりしてます。

 

なので、

最初に「頭でっかち」って書きましたけど。

 

知った、とか

わかった、、とか

 

フィジカル脳の範囲で「理解」しているつもりでも、宇宙からみると「隙だらけ」(笑)だったりします。

 

なので「試す」

 

えーーー!?って思うようなこととか

わりと「あるある」で。

 

なのでこれも

宇宙の愛っていうか

「大愛」ですね。

 

宇宙の愛って、無条件の愛っていわれますけども。

 

これ、フィジカル脳的に考えて、

マザー・テレサの上位互換みたいなイメージだと

「それもちがう」なと。

 

老子がこういってますけども。

 

天地は不仁なり。萬物を以て芻狗と為す。

 

芻狗は、祭りのあとに廃棄される道具のことらしいですけど。

 

老子はもちろん

「不仁」そのものだといいたいわけじゃなくて

 

人間が思うような「仁」じゃないんだよ、と。

 

そんな小さな範囲じゃないんだよ、と。

 

なので、ほんとに「お試し」

これ小さなもの含めると、わりと頻繁にやられてますけども(笑)

 

ありますね。

「大愛」

 

だから、アセンション

 

って、いきなり「アセンション」なんて言葉出しますけども(笑)

 

アセンションとは、次元上昇的「いけてる人」たちがいくんだ、と。

でも、その「いけてる人」っていうこと自体が、人間のフィジカル脳で考えた範囲でしかないこともある。

 

一見、「え?なんであの人同じワールドにいるんだろ?」なんて思うかもしれませんけどね。

 

でも、宇宙からみたら「その人も、いけてる人」だったりします。

 

もう話あちこちいきますけども。

 

奈良時代に。

光明皇后なんて人がいました、と。

 

ある日、光明皇后は、

当時のハンセン病の人に出会ったと。

 

外形は崩れて、膿がたまっている感じだったそうです。

 

で、光明さん、どうしたか?

 

膿を吸った

 

と、いわれます。

躊躇なく、吸ったそうです。

 

怖いとか汚いとか、、、そういうの一切なく、

素朴に、素直に

「大変そう。。あ!今、私ができるのはこれだ!」って感じで

 

膿を吸った、と。

 

そしたら、その病気の人が、ぱーーーっと光って

「仏」に変わった、と。

 

これ伝承ですよ、伝承。

 

でも、皮膚が膿だらけの人。

 

これ「お試し」だった、ということですね。

 

本当に「愛」があるのかどうか?

「試す」

 

なので、私たち人間は、フィジカル脳で

「あの人、この人」と区別するんですけども。

 

ま、、ほんとに「遠ざけた方がいい人」もいたりしますけども(笑)

 

でも、これよくよく考えないといけない、ですね。

 

スピ系の話題が、すーっと自然に入ってくる人で、陥りやすいのも、ここで。

「あの人は、スピ系の話も全然関心ないし、なんか相変わらず古い感じだし、、、」なんていって、区別しちゃったりすることありますけども。

 

実は、さっきの「光明皇后と病気の人」だったりするかもしれないんですよね。

 

人はみかけによらない、、、なんていいますけども。

 

え?

なんでこんな話してんの?って?

 

最初に「頭でっかち」って書いたことにつながりまして。

 

つまり。

私は、ティール組織やら、地球やら、対等やら、、、ということで「理想」を描いていたんですけども。

 

じゃあ、もう古い、昭和か明治か?みたいな組織で「従うように働いている人」は、亜アセンションなんてとても無理だし、自分のワールドとは関係ないや!なんてしてしまうと、

 

実は、その人が、自分のとって大事な存在で、でも、自分で勝手に「排除」しちゃった、、、なんてことがあるわけです。

 

アセンション

スピリチュアル

新しい時代

風の時代

 

、、、実は巷間でいわれている、これらの言葉って

「フィジカル脳の定義」でもあるんですよね。

 

老子だったら、大笑いしながら

アセンションなんて、不仁なんだよ!」っていいそうですけど。

 

アセンションっていうこと自体が「ない」とかっていってるんじゃないですよ?もちろん。

 

ただ、フィジカル脳で思っている「アセンション」っていうのは、やっぱりそこには定義だ横たわっていて、制限された概念になることがある、と。

 

もう禅問答ですけども。

 

天地は大愛だと、

同時に

天地は無慈悲だと。

 

これ「両方」とも、実は「同じ真実」をいっているわけですよね。

 

、、、って、、、えーっと、完全に脈絡なくなってきましたね(爆)

 

でも、なんていうんでしょうか。

自分なりに「こうだ、ああだ」と「思っている」

 

それ「自体」が、定義があって制限していることがあるなーって。

 

だから、

自分という宇宙

 

ここにどんどん深くはいっていきたいなーって。

 

そしたら、何かあるんじゃないかなって。

 

完全にはつかめないかもしれないけど

「足跡」みたいなものが「あ!」と気づくかなーって。

 

なので、ずーっと、そんな時間を大事にしている結果、、、ブログの更新もだいぶ間隔あいてしまいました(汗)

 

もしよかったら、

維摩の一黙雷の如し」

 

この維摩居士の天地をも裂くほどの強烈な「無言」

 

気になった方は、ちょっとぐぐってみたり、維摩経、、、なんてものを少しみていただければ、、、なんて思ったりしています。