ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

スキルシェアとアセンション・・・一見、「ちょい違う」ようで、実は「同じ」・・・だから次元という「場」が上昇する・・・という話です

かとうゆうです。

 

まいどいきなりなんですけど

 

アセンションとスキルシェア(ココナラみたいな)

アセンションティール組織(新しい組織)

アセンションダイバーシティ

アセンションとリモートワーク

アセンションSNSメタバース

 

これ、、、「違うもの」みたいな違和感ありますでしょうか?

 

私は、実は

「まったく同じ、同源」だと思ってるんですね。

 

スキルシェアからSNSまで、その根底のエッセンスは

「ひとりひとりが価値ある存在だ」ということです。

 

同時に、

「ひとりひとりは、本来”自由に選択できる存在」だということです。

 

会社にしても、学校その他にしても、

「箱」

これに閉じ込められ、人為的定義や規範で「縛られ」ている状態。

 

さらに「箱」の中には、

優れた人、エラい人、そうではない人

成長のためには他者と競争しなくてはいけない

 

こんな階層やイデオロギーがあって、

さらに「あなた以外のあなたになる」ことを要求される。

 

簡単にいうと

「全然、自由じゃない」状態ですね。

 

でも、アセンション

新しい次元が動き出すと、

 

「私たちは、本来、自由・選択できる」ということが、どんどん表面化していく。

 

フリーランス的な働き方もそうだし、ハイブリッドな働き方、複数所属、自分の好きや得意を生かした活動・・・

 

さらにSNSというネットワークで、無数の個人が、無限に「つながる」

 

「箱」

に、閉じ込められていたことが、

「実は、当然でも、”多少我慢すべき”こと」ではなくて、

「おかしなこと、変な状態」と、”客観視”されてゆく。

 

こうした「客観的気づき」が、たくさんの人が気づき出すと

大きなテーマ

「資本主義、経済、金融・・・政治・・・」

いろいろな社会フレーム自体も「客観視」されていきます。

 

今、カール・マルクスが再評価されてます。

あの「共産主義」の理論的パイオニアですね。

 

再評価。

いわゆる旧ソビエト共産主義ではなくて、

そもそもマルクスは、過酷な労働者たちをみて

「これはおかしい。資本家に完全に従属して、自分たち自身のあり方すら表現できない。そもそもお金の格差が大きすぎる」

そんな問題意識から「共産」という概念を提示したわけです。

 

で、ソビエトは、これを「平等と統制」で実現しようとしたので、マルクスが想像していたのとはまったく違う「独裁」「平等の不平等」になっちゃった。

いくら働こうがもらえるお金は同じ・・・という平等の不平等、ですね。

 

なので、そもそものマルクス「叫び」をみていくと、

今の資本主義。格差に、「ぴったりあてはまる」、だから再評価。

 

と、、、まぁ、大きな話をしちゃいましたけど。

アセンション

 

こうしたことも、です。

 

私たちの社会原理は、基本的に数千年前の王朝誕生から変わっていない。

会社には「エラい人」がいて、「従う人」がいる。

なにか特定の言動を「優れた」と定義され、そこに向かうよう「矯正」される。

この原理は、ずーっとです。

 

だけど、アセンション

「ひとりひとり価値ある存在」

そして

「みんな、自由な存在」

 

ここに気づきはじめる。

スキルシェアにしても、なんにしても、実際に表現できる方法や場が登場してくる。

 

いわゆるスピリチュアルで「引き寄せ」にしても、「世界は”私”が創造している」「宇宙存在を知る」ということも、こうした一連の動きの中の「ひとつ」です。

 

私たち人類は誕生し、王朝を形成して以来、

どんどん忘れていった

 

地球や人類の歴史も、

五感で認識できる範囲は非常に狭く、実際ははるかに多くのエネルギーや自然法則があることも。

 

どんどん忘れていった。

 

でも「忘れた」というだけで、

遺伝子やDNAレベルでは「記憶」しているらしいです。

 

なので、今様々な動きが起きてきて、

そうすると

「記憶がよみがえってくる」

 

記憶がよみがえると

そもそも自由な存在

誰も優劣はなく、価値ある存在

という意識が自然に芽生える。

 

同時に、自然法則も

五感レベルは「ほんの狭いもの」でしかないし、そもそも「五感、それ以外も含めて、私たちは”持っている”」ことも思い出す。

 

どんどん自由な存在になっていく。

なぜなら、本来「完全に自由な存在」だから、です。

 

ここで大事なポイントは

「でも、、、自由にみんななっちゃったら、悪い人だって出るでしょ?」と。

 

でも、、この「恐れ」自体が、数千年以上続いた「ネガティブ時代」に形成された「根拠なき恐れ」です。

 

なぜなら、完全な自由な存在であればあるほど、私たちは

「無条件の愛」の存在そのものに近づいていく。

 

なぜなら、私たちは、本源的に「宇宙と同根」

オールザットイズや大いなる源と「同源」だから、です。

 

なので、本当の意味で「自由になる」っても、「悪い・攻撃・傷つける」といったことは、そもそも起きえない。そういう選択をまったくしないし、する必要もなくなる。

 

・・・どうでしょうか。

そう考えると、

アセンションを、もし一般的、巷間でいわれているように

「引き寄せ」「チャネリング」「エネルギー・波動」・・・・こうした、「どこか現実の社会とは”少し違う”存在」として、とらえている・・・としたら、

 

少し違う、、、ととらえているとしたら、

「それは、ちょっと狭い見方」かもしれません。

 

なぜなら、

「自由とは”統合”」なんです。

 

ある意味、私たちは、どんどん「分離」していった。

人間と他の生命

私と他者

私の中にある”私”

 

どんどん「分離」して、名称をつけて、区別していった。

バラバラにしていった、、、

 

でも、生命・宇宙・・・

これはホログラフィック理論でもいわれているように

すべて「つながっている」んですね。

 

すべて「つながっている」

 

だから、自由になればなるほど、

無条件の愛の存在に近づき

分離から「統合」になっていく。

 

スピリチュアルと科学・・・という分断

スピリチュアルと組織論や社会学・・・という分断

 

ではなく

「統合」

 

すべては同源から起きている「統合」された動き。

 

なので、企業とか学校とか、いろいろな社会フレーム、

地球と人類、人類と他の生命

それから「学術とスピリチュアル」・・・

こうした「分断」は、どんどん「統合」されていく。

 

統合されるから、

「動物も植物も、同じ生命として愛情をもてる」

 

すなわち、自分たちが「無条件の愛の存在」だと気づく。

 

なので、今、アセンションや風の時代といわれていて、

そういう「ブーム」が起きていること自体は

とてもすばらしいことだ、と思っています。

 

ただ、同時に「まだ分断」されている。

 

これらが「統合」され、

統合と同時に、社会、組織、生活、結婚から働き方という”あり方”

 

こうしたことも、どんどん同じ動きの中で変化していく・・・

 

そうすると

アセンション・・・ですね。

 

次元がもう全然違う。

おそらくやがて「お金」が単なる交換手段のひとつくらいに「相対的に地位が低くなる」と思っています。

その動きはもう起きていますね。

「リサイクル・交換」

「お助け・シェア」

お金以外の交換手段が登場しつつある。

 

まだ動きは緩慢ですが、やがて・・・と思っています。

 

そして究極的には「お金」が、ほんのひとつの交換手段になり、「消滅」する。

 

シンクロやシェアによって、

必要なもの、必要とする人に「自然に届く」社会に。

 

こうなると、さらに「次の」アセンションですね。

こうなると、「肉体」という現実世界がいらなくなる。

 

なので、アストラル世界など「肉体のない」、ソウルの存在そのものの世界になっていく。

 

金星はまさに私たちと同じように

滅亡の危機から、壮大な気づきを経て、肉体のない世界にアセンション

 

地球は今このプロセスを踏もうとしています。

 

、、、と、、、なんか壮大な話になってきましたね(笑)

でも、アセンション

特定の領域、分断されたもの・・・では全然ない。

 

次元ですからね、次元

今は「時空・重力」という「次元」

この「場」自体が上昇するっていうことは、もう本当にあらゆるもの、社会、生活、認識が変わる・思い出す・・・わけです。

 

で、、最後にこれだけはいっとかないと。

 

なんか壮大かつ聖人君子みたいなこと書いてますけど、

私、、、別に「浮いた」存在じゃないです(笑)

 

日常生活、泣いたり、笑ったり、不安になったり、気にしたり・・・いろいろ。

なんせ「肉体」の世界にいますから、

その意味では、「グダグタ」です(笑)

 

でも、この2,3年くらいでしょうか。

もう「視点」は、どんどん未来、100年、300年先を「見ている感覚」になっています。

 

でもまだ「見ている」という感覚なので、それを今生活や仕事の中で「完全に表現できているか?」というと全然まだまだ。

 

頭でっかち・・・だなって自分でも思うんです。

でも、なにはともあれ「気づき」が最初だし、

頭でっかちな理解かもしれないけど、こうやってブログとかで発信していって、私の「視点」と異なる視点だったとしても、私視点を「たたき台」として、何かのきっかけになれば、うれしいなー、と思ってます。

 

いわば、私の人生は最終局面(死ぬわけじゃないっすよ(笑))

ほんとに、10年前までは「生きた心地すらしないくらい、様々な激動を経験」してきて、呻吟しながら、いろいろな情報や本に触れ、ああだこうだと考えてきたのですが、

 

そこで得た知識とか視点を、これからどんどん発信していく・・・

やっと「激動」を超えつつ、最終局面かな、、なんて思ってたりします。