ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

アセンション・・・”いわゆる”スピリチュアル的側面からだけでいうのは、ちがう。宇宙は、そんなせまいもんじゃない!なんて思う日々

かとうゆうです。

 

ちょっと更新あきましたが。

 

「すべて、今、足りている」

 

これ、、味わいつつ過ごしています。

 

今、十分に「ある」

 

でも、社会は

「足りない」を教えつづけます。

 

「能力が足りない」

「努力が足りない」

「知識が足りない」

「経験が足りない」

 

日本だと

「ある程度、みんなと同じ言動ができない」

 

足りない、できない。

努力。

 

この世界ですね。

 

ひとつひとつは説明しませんが、

 

赤ちゃん、小中学生、高校生、大人、シニア・・・

「すべて十分に”ある”」んです。

 

足りない・・・というのは、

「なにか特定の言動を”正常”」と、「人が”勝手に”定義した」から、生まれている・・・

いわば、「本質的意味」はないですね。

 

能力とか、知識とか、ぜんぶそうですけど。

 

まぁ、だいたいこんな感じですかね、

生徒時代は、「ある程度、先生のいうこときいて、友達とも仲良くできて、ある程度勉強し、ある程度大学など進学できて、ある程度いろんな行事に積極的に参加して・・・」

社会人になると「ある程度、仕事はテキパキできて、ある程度、興味あるなしに関わらず仕事ができて、みんなとある程度チームワークできて、リーダーシップもあって・・・」

 

しかし、まぁ、、ですよね。

仮に「これが”正常」だとします(正常とかそういう定義自体ナンセンスなんですが、仮に)

 

で。

「ある程度、みんな達成」できたとします。

 

そしたら

「すばらしい教育」

「すばらしい業績」

 

生みますかね?

 

生みませんよね?

 

だって「全員、”似たような人間”」なんですから。

違う視点、異なる視点、新しい視点なんて生みようがない。

 

まぁ、企業とかそうなんですけど。

「毎日、同じ職場、同じ人間関係」の中で、うんうんうなってもたいしたアイディアは出なくて、「全然畑の違う人を話してたら、あっという間に解決する」わけです。

 

「似たような人・環境」

こうなると、エネルギーは「保守」になるんですね。

 

わるい意味での「保守」

固まり。

 

固定。

 

これじゃ地球環境どうする?っていっても、同じようなアイディアしか出ない。

経済でも、生活でも、生き方でも。

 

はっきりいって「コメディマンガ」の世界ですね。

「みんな同じになった世界、、、そこで、たった一人”自我”をもった主人公が戦う!」なんてコミックできそうです。

 

進化?

あんまりしませんね。

 

エネルギーが前進するには

・同質

・異質

が必要なんです。

 

陰陽。

光と闇。

 

対比するものがあるから、「自分を認識し」、「進化する」

 

でも、ほんと「何か特定の言動を”正常”とする」って大好きですよね。

どんだけかよ!って感じ(笑)

 

テストとか、内申点とかまさにそうですね。

 

単一の何かの「正常」に向かって、強制し、矯正していく。

 

その「正常」を満たしてないものは「ぜんぶ”足りない”」ことになる。

 

もう、ほんと、ブログで何回もいってますけど。

「旧世界」

「中世」

奈良時代の王朝とか、戦国時代、江戸時代と「変わらないパラダイム」なんです。

 

アセンションって、スピ界でいわれますけど。

「上昇」

って、なにか、スピリチュアルな感性が拡大したり、ある意味は、スターシードのような未知との出会いとか、、、

 

「これだけの”せまい”話」じゃないですね。

 

スピリチュアルと科学は「どんどん類似」している。

現実が「投影」、パラレルワールド、複数同時存在とか、、、科学でも「普通」

 

なのに、未だに

「スピリチュアル=あやしい=目に見えない世界」

とかって、なって、本屋でも、奥の方に「精神世界」なんて分類されちゃうのは、

 

スピ的完成とか、未知を知るとか・・・そこ”だけ”にスコープをあてて語ってしまうからだろうって思ってます。

 

もっというと、別にスピスキルいまいちで、みえたり感じることもよくわからないし、宇宙存在っていってもよくわからない。

 

でも。

「ひとりひとりが価値ある」

つまり「何か特定の言動を”正常”とし、それ以外を”足りない”として、矯正する世界」は、「もう完全に古い!」と気づくこと。

 

これが本質的に重要だと思うんです。

 

だって、

仮にスピリチュアル感性抜群。未知のこともよく知っている。

でも、その人は「知らない人に対して”上から”目線だったり、偉い人そうじゃない人、優れた人、そうじゃない人」の価値観で行動しているとすれば・・・

 

それはいくらスピ感性抜群だって

アセンション」とはいわないよなって。

 

スピリチュアルって、つまり「自然の法則」

自然・・・の法則なんです。

 

だから別に「驚くようなことでも」「特別なものでもない」

 

むしろ、本当に

「ひとりひとり価値ある」

 

ここが本当にわかって、人々が体現していくとどうなるか?

 

今より「圧倒的な多様性が表現」されます。

つまり、いろんな視点、アイディアが登場する。

 

古代アトランティス大陸があったのか?とか、ピラミッドはどうやって建設?とか、、なにかスピ感性ある人だけが「認知」するせまい世界じゃなくて、

 

圧倒的な多様性の中から、

真実

本当のこと

今まで認識できなかった自然の法則。

 

こうしたことは「自然に発見し、シェアされる」んです。

 

だから、

スピリチュアル感性がないと、アセンションできないっていうのは「せまい見方」

スピ感性ゼロ、宇宙存在も興味なし・・・でも、「ひとりひとりの価値」、そのための体制、システム、チーム、生き方、言動・・・こうしたことを「体現」していれば

 

それは十分「アセンション」です。

 

よく考えてほしいんですけど。

「宇宙って、そんな小さな存在」じゃないですよね。

 

あらゆる万物、あらゆる法則を「包含」している。

すべて「価値あるもの」としているのが「宇宙」

 

だから、いわゆるスピリチュアル”だけ”にスコープを当てて、アセンションしてるとかしてないとか、そういう話は「宇宙」の境地からは、「ほど遠い」といってもいいかも、です。

 

ピアニスト。

すばらしい音楽家

 

仕事でもいいです。

例えば未だに「清掃員」って「低い」とかいうわけわかんないこという人いるみたいですけど、

清掃という仕事。

 

あらゆる「ものごと」から

「真理」はつかむことはできるんです。

 

優劣もなにも「まったくない」です。

 

宇宙はすべてを包含していますから。

どこから入っても

どの入り口から入っても、

 

本質的な価値や意味を追求していけば、「宇宙」になる。

 

そんな風に思う今日この頃でしたー!