ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

メーカーのマーケティング戦略とアセンション・・・一見、なんのこっちゃ?という話です

かとうゆうです。

 

恵方巻き。

食べた方は「え?それって批判しているの?」と

 

”一瞬”思うような話です。

 

一瞬ですよ、一瞬。

でも、次の瞬間「そうじゃない」ってすぐわかります。

 

読めばわかります。

恵方巻きを食べる・食べないの話ではなく、”あなたらしさ”でいるかどうか?」の話。

 

なので、もし恵方巻き食べた方も、「フラットな気持ち」で読みください。

 

で。

ハロウィーン

 

えええ??恵方巻きの話ちゃうんかい?!と突っ込まれそうですが、

ハロウィーン

 

これ、いまみたいに「当然のようにお店に関連商品が並んだ」のって、いつくらいでしょうか。

 

少なくとも、私の少年時代にはなく。

 

ぶっちゃけ、

「単なるメーカーのマーケティング」ですね。

 

本来は、聖霊とか先祖とか「この世ならざるとのつながり」関連。

つまり「祭礼的」です。

 

でも、日本のハロウィーンは「祭礼要素ゼロ」

 

とにかく、かぼちゃ的なアイテムやお菓子を買う。

 

次。

バレンタインデー。

いわずとしれた「聖バレンタインの日」

これも「祭礼や宗教要素はゼロ」

とにかく、チョコを配る、あげる。

 

ホワイトデーも、結局、その後で「メーカー」が設定して、今では普通に。

 

で。

恵方巻き。

諸説あるらしいですが、江戸時代の花柳界とか、わりと古いらしい。

あんまり祭礼的な要素はもともとないものの、根拠は「神」ですね。

 

これも、いつから、こんなには店頭に並ぶのか。

 

ほかにも、いろいろありますけども。

基本的は「メーカーが、たくさん自社商品を買ってもらう日」ですね。

 

クリスマスの「チキン」とかも、そう。

 

世界中調べたわけじゃないけど、

「日本特有」なんだろうなって感じてます。

 

とにかく「みんな」に弱いですね。

 

では!

これで一旦前振りは終わり!

別に、恵方巻きも、チョコもチキンも「批判」しているわけじゃないので。

 

 

本題は

「あなたらしさ全快でいること、それがアセンション」という話です。

 

資本主義というか商業主義

気づかないうちに「私たちの行動を誘導」してます。

これも、いいとかわるいじゃなくて、構造として。

 

ちなみに、何度も書いてますけど。

「良いとか悪い」とかっていう視点は、アセンション前の旧世界。

 

いずれにしても「誘導構造」もってますね。経済システム。

 

さらにいうと。

「何か特定の言動を”優れた”として、それ以外を”排除”する」っていうのも、たくさんあります。

詳しくは前回のブログに譲ります。

 

さらにいうと。

「みんなであることが、”安心”」というのもありますね。

 

本来、「みんな」というのは、単なるファクトに過ぎない。

100人いたら、80人は「そうだ」という事実。

 

そこになんの意味も価値もありませんが、

「みんなできるんだから、がんばりなさい!」

って、学校でずーっといわれてます。

カイシャでも同じ。

 

私たちは、

・自分の嗜好性とは無関係に「誘導のシャワーをたくさん浴びて」ます。

・そして「自分以外の、何か特定の言動を”是”として、自分の”過不足”を判断すること」も、ずーっと訓練受けてしまっている。

・そして「みんな」という、特に意味のない「事実」の言葉を使って、「みんなと同じように」、これも、ずーーとですね。

 

この3つ。

共通するのは

「あなた”以外”になりなさい」ということです。

 

ネガティブな意味で、”すごい”話です。

 

例えばバレンタインだって、単に商売の話ですから、「無視」したって全然OK。

恵方巻きより、「家族でケーキが縁起がいい」なら、それで全然OK。

 

あなた以外の「何か」になる必要もないし、

あなたがわくわくすること「以外」のことを必死にやる必要もない。

 

だけど、

「あなた・自分」から、どんどん分離することがたくさん起きていて、

しかも、それが「当然」と思っている・・・

 

この社会は「あなた”以外”になりなさい。なれないところは”不足”だ」という社会です。

 

本来、何もかけているもの、足りないものもないのに、です。

 

ある講演でのやりとり。

 

講演をきいていた男性

「私は、その、耳があまりよくきこえないんです。だから、今日の講演も、しっかり受け止められたかどうか不安で・・・」

 

それを聞いた、登壇者。

「目がよくみえない?・・・それは、なんとすばらしいことでしょう!これは、別に励ますつもりでも、うわっつらの言葉でもなく、本当にそう思います。目が見えないというボディをこの現実世界で”選択”したということは、あなたは”言葉以外の方法で、豊かにコミュニケーションできる”ということですね。ということは、あなたは今日この席にいて、言葉以外の方法で受け取っているのですから、”しっかり受け取った”と思いますよ。」と。

 

普通の登壇者がこれをいうと「うわっつら」に聞こえますが、その人は本気そう思っていったんです。

だから、男性は涙ぐんだ・・・

 

その涙に、今までどれだけ「あなたは”不足”、あなたは”足りない”」といわれつづけてきたか、、、、苦しかったと思います。

 

何も「不足」はないんです。

「ただ、そうである」というだけ。

 

みてください。

この地球、この世界にあるすべての動植物は

「ただ、そうである」状態です。

 

だから、美しい。

 

もう一つ話をします。

発達障がいの支援団体。

「私たちは、発達に特性がある子を支援してます」

 

発達に特性・・・

もちろん気遣ってそういう表現なんですけど、

 

結局横たわっているのは、

「健常者は”ただしい”」という視点ですね。

それと対比するから「発達に”特性”」だと。

 

もし「特性」といいたいなら、

発達障がいとされるものも、

いわゆる健常者も、どちらも「特性」ですね?

 

細かい話をして恐縮なんですけど。

 

もう、ほんとに「あなた以外のあなたになりなさい」というのは、骨身にしみこんでしまって、もう信念か、あるいは本能かというくらいに、しみこんでいるんです。

 

なので、冒頭。

恵方巻きとかいろいろ例をあげましたけど。

「いいきっかけにしてほしい」なと。

 

もし思い出してみて、

「そういえば、そもそも・・・」って思うとしたら、

是非その「あなたの心」をみるチャンスにしてほしいなと思ってます。

 

メーカーの戦略とか「みんな」が、、、、「あなた」と違うと気づいたら、それは大チャンスです。

 

「あなた」でいていいんです。

社会的になんと定義されようとも、あなたはあなた。

あなたのことは、あなたが一番よく知っています。

あなたを一番大事にしなくちゃいけないのは「あなた」です。

 

きっかけはなんでもいい。

たまたま時節的に恵方巻きだったというだけで、

会社の日常

生活の風景

学校の往来

どこでもいい。

 

「あ。。。そうか。”自分”以外の自分になる必要はないな」と気づいたら大チャンス。

もうアセンション突入です。

 

前のブログにも書いたとおり「宇宙はそんなに小さな存在じゃない」です。

いわゆる”スピ”のスキルや能力があること=アセンションじゃない。

 

次元・・・ですよ。

これが上昇ってことは、

この世界のパラダイム自体が変わろうとしているんです。

 

チャネリングとか、引き寄せとかだけじゃないです。

生活、経済、政治、いろいろ全部パラダイムが変わる。

 

だから「次元」の上昇。

いわゆるスピ系”だけ”だったら、それは「次元」という広いことじゃなくて、

「特定の領域」に過ぎません。

 

3次元。

時間と空間。

 

この「場」

全体が上昇するんですから。

 

なので。

なんでも、どこからでも。

この宇宙が生み、創造したものは、どれでも、「気づき」を得ることができると思ってます。

 

その上で、「がぶり!」と恵方巻きをかじる。

これほど痛快なことはない!と思いませんか。