ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

交換手段としてのお金の価値がさがっていき、、、、「日本のコミックが読みたい!」 「あ!私、全巻あるからあげるよ。そしたら代わりにフランスのおいしい料理送ってくれない?」

かとうゆうです。

 

いきなりですけど。

「お金のいらない・・・またはお金が選択肢のひとつになる社会」

 

今、思うと「ユートピア」みたいなものでしょうか。

 

まぁ、、、ありえるけどさー、それって何百年後じゃないの?くらいのユートピア

 

でも、「ちょっとで大変化」って、わりとたくさん経験してます。

 

戦国時代から江戸時代。

「天下統一」・・・ユートピアですね。

 

だって毎日戦争です。

生きるか?死ぬか?

 

でも。

「信長ってひとが今川破ったな」・・・なんて思ってたら、20年くらいで「本能寺、秀吉・・・」です。

 

気がついたら、幕府。

最終的に戦争がなくなったのは、家光のときですけど。

 

あれ?と思ってから

20年くらい。

 

しかも、これSNSもネットもない時代です。

当然、電話もない。

 

明治維新は「諸外国」というユートピアがすでにありましたけど、ペリーがきてから15年で「明治」

 

お金がいらない社会・・・なんて夢のまた夢かもと思うかも、、、ですけど。

 

戦国の生きるか死ぬか?の争いがなくなったり、

幕府・・・なんていう「世界」そのものが、消えてしまってたり、

 

「お金」・・これ自体がなくなる社会、、、これはさすがに「とおく」に感じるとしても、

「お金が、交換手段の単なるひとつになる社会」・・・これは、もうほんとに「あっという間」にくるかもしれませんね。

 

ちなみに、

お金が単なる交換手段になる。

 

前提は、これかなって。

・ひとりの人が「多様」であること

 

今、みんな「箱」に閉じ込められてます。

「お金」のせいで。

 

会社。

1日8時間、週5日。

 

日本はさらに硬直的なので、上記が「正常」、以外は「ちゃんと働けない人」になっちゃってますが。

 

でも、副業。

どうでしょう。

ココナラみたいなスキルシェア

プロボノみたいな関与

「ご近所お助け」的な関与(アプリありますね)

ブログやSNSでの発信

 

冷静に考えたら、私たちひとりひとりって

「やってみたいこと」

たくさんありますね?

 

え?ない?

それは「お金」前提に考えているからですね。

 

「お金=プロ」

これがそもそもの人為的定義にすぎません。

 

「お金」無視して考えると、たくさんありますね?

お菓子作り

作曲、演奏

小説、エッセイ

、、、ありすぎるから、このへんでやめておきますけど。

 

で。

こういう「シェア」がどんどん拡大していくと

「交換手段としてのお金の価値」がだんだん低下していきます。

 

たとえば

「生活のためには、やっぱり残業代も稼がないと・・・」から、、、

 

「会社は定時ぼちぼちでいいや。副業でいろいろやろう」になる。

 

やがて

「私さー。会社に2つ所属してんだよ。」とか

「私。フリーでもやってけるようになったよ。」とか。

 

だんだん「多様性が表現」されていく。

 

さらにいえば

「午前中、農家手伝ったから、すんごい野菜もらえたわ」

とか。

「魚市場で、ちょっと荷物運び手伝ったら、魚もらえたわ」とか。

 

どんどん「交換できるもの」が増えていく。

 

さらに「お金の価値」は低下。

 

そうすると。

「フルタイム?なにそれ。あーー!昔はやってたやつね!」くらいに。

 

この方が楽しいですね。

朝は農作業。終わったら、学校みたいなところで学んで。

午後は、とある仕事を2つほど。

で、、、生活は「今より豊か」

 

え?GDPはどうなる?

はい。

 

もう「規模」の時代じゃないですね。

「大企業安定」とかって、もう旧世界。

 

規模じゃなくて「価値」です。

 

話を戻すと、上記の「シェア社会」

 

グローバルで可能です。

 

だって、言葉わかんなくたって「翻訳ツール」ありますから。

同時翻訳すれば、全世界可能。

 

「日本のコミックが読みたい!」

「あ!私、全巻あるからあげるよ。そしたら代わりにフランスのおいしい料理送ってくれない?」みたいな。

 

、、、と、「お金の価値が相対化」された社会。

実は、そんなに「遠く」のものでもないんですよね。

 

物事にはブレークスルーポイントがあります。

戦国だと鉄砲、幕末だとペリー。

 

ブレークスルーすると、一気に社会のパラダイムは変わっていく。

しかも、私たちは、それを歴史上何回も経験しているんですよね。