かとうゆうです。
今日は「今は、元禄時代でも、戦国中期でもない」という話です。
なんのこっちゃ?ですよね(笑)
ブログでいろいろな「地球規模のメガトレンド」について書いてきました。
キーワードは「ひとりひとりが、本当の意味で対等であり、特別な存在」
ティール組織、ノーレイティング評価、スキルシェア、インフルエンサー、テレワークからAI・・・
「ひとりひとりが、本当の意味で対等であり、特別な存在」
すべての変化に一環して、底流にあるもの、です。
企業・個人・働き方・生活・購買・・・
いろいろなモノやあり方が登場しています。
日本は、多くの人が「なんとなく閉塞感」「経済ももう伸びないだろう」「高齢化が進んで負担も増えそう」・・・
そんな感じで、なんとなく「諦め」を感じていたりするかも・・・ですが、「諦め」というのは、「何かの理想を思い描いていることに対して思う気持ち」なので、「諦め」は、まだまだジャンプする可能性をひめた気持ちだと思ってます。
あれ?・・・と思うのは、「諦め」とかではなくて、「そういうものだ」という気持ちです。
「そういうものだ」となると、そこには「理想」とか「あるべき」がなくて、「現状はそれなりに理想に近い」または「現状はこれはこれで普遍的だ」という気持ちが前提になりますね。
「そういうものだ」
結構。こう思っていることが多いのかも?なんて思ってるんです。
(もちろん、このブログをお読みいただいた方はちがう、、、と思っています)
企業の形。
部長がいて、課長がいて。
指示。異動や職務範囲は「従う」
政治・経済。
時給とか給料の「相場感」
財政が不足している、という「イメージ」
教育。
「テスト」の存在。
先生のいうことに「従う」
、、、、私は、これらはすべて、もはや「古い」形態だと思っています。
現にそれとはパラダイムが全く異なるものが生まれていますね。
私の時代観は、基本的に今起きていることは、人類史上初、だと思っています。
そして「すでに変化の中に突入している」と。
だけど、社会のいろいろな仕組みや制度が、変化する前。それも明治とか江戸とかのスキームのまま。
だからメンタルダメージ、うつ病、息苦しさなど様々な精神疾患をわずらう人も出ている。
だけど、「もうあるべき姿」ははっきりみえている。
そんな時代観です。
人類史上初なので、正確に例えることはできませんが、少なくとも・・・
「元禄時代じゃないよ。」
このあと100年くらい「江戸幕府」というフレームが続くような時代ではないよ、という気持ちなんです。
あるいは「戦国時代はもう終わるよ」と。
北条早雲が席巻していた、戦国中期。
人々は困窮し、国土は荒廃。
天下統一まであと数十年。
そんな「戦国中期じゃないよ」
という気持ちでいっぱいなんです。
特に戦国時代・・・人々はほんとうに苦しいです。苦しいどころか生死すらわからない。
そして、そういう状態が「自分の人生」だと、無条件に規定していたと思います。
こんなときに「天下統一」とかいわれても、「夢か?」と思うくらい。
真っ暗で、先がみえない。
鉄砲の伝来や様々な技術ですね。
当時はSNSもなんにもありませんから、それを聞くことも、未来を予想することもできなかったですね。
でも、今は違いますね。
少し視点を変えてみると、たくさん情報や実績がとびこんできます。
すでに存在している形を目にできます。
「今は、元禄でも戦国中期でもなくて、もう明治維新、天下統一寸前の時代」
だから「そういうものだ」ということ自体がやがて通用しなくなる時代。
そして幸いなことに、スキルシェアやSNSなど私たちは「自分が無理せず、自然にできる行動」をたくさん気づくことができる時代です。
数十年どころか、10年くらいで大きく変化する。
だけど、それに対して、私たちは様々なところから「すぐに情報」を得ることができます。
なので、難しい話じゃなくて、気づいて、できることからやる・・・それが一番パワフルな変化を生む。
そんな気持ちでいっぱいなんです。
それでは今日はこのへんでー!