かとうゆうです。
これまで様々な分野で、書いてきました。
教育・学校・政治・経済・・・
組織から資本主義まで。
そしてすべて同じ根底の変化。
「集団・組織」から
「多様・個人」へ
そしてまたまた避けられない(?)のは「宗教」ですね。
「えーーー?」ってそれこそテンション下がるどころか引いてしまう人もいるかと思いますが、たぶんそのイメージではないです。
「社会の中における宗教(組織)」です。
宗教を語るとき「微妙」な空気も伴うので、念のためお伝えしておくと、私はどの宗教関連にも所属も支持もしていないフラットな立場です。というか、ふつうのパパであり、働く人です。念のための追記です。
そして「多様・個人」へ、というのも「宗教」でも同じようなことが起こっていると思っています。
すなわち、何千年も宗教とは「集団・組織」でした。
そして「圧倒的カリスマ」の存在です。
やはりこれも同様に「知識の格差」が大きかったため、その時代においては適合的でした。
しかし今や「知識の格差」はなくなっています。
ちょっとぶっとびますが、「遣唐使」の時代。
律令とか仏教書を、命がけで持ち帰ってきました。
その本の一部は現在も残され、文庫本として手軽に入手できます。
そしてSNSなど「無限のつながり」
多くの人が発信することによって気づくのは、
「真理とは、実は身近にある」
ということですね。
みなさんのブログを拝見していても、たくさんの「気づき」があります。
ちょっとまた飛びますが、私は仏典原本(書き下しですが)をよみまくまくりました。
もちろんそれ以外もたくさん。
それで「おシャカさま」が、ずーーっと同じことをいっていることに気づいたんです。
「すべては心」
「あなたは特別」
これです。
もちろん教義的には大乗と小乗とか、いろいろありますけど、エッセンスはこれだ、と。
「あなたは特別」だということ。
誤解を恐れずいってしまうと「誰でも、仏だよ」ということですね。
なので、これからの「社会の中の宗教」も、徐々にフラットな形になっていくように思います。
仮にリーダーやカリスマがいても、「自分が到底追いつけない優れた人」というよりは、「自分がありたい姿としてみる」・・・ような感じですね。
(あくまで、人としては対等だ、ということですね)
組織もヒエラルキーからよりフラットに変わっていくと思います。
、、、と、ほかにもいろいろ書きたいこともあるんですけど、宗教の話って難しいですよね。個人の心情に関わるので、なので一旦ここでおいておきます。
いいたかったのは「社会の中の宗教」、会社や組織と同じように「誰もが対等」を前提に、組織として変化していくだろうな、、、ということです。
さて、、そもそも宗教とは?ですが、
一旦このように定義しておきます。
「生き方、あり方の本質を知る機会」
そう考えると、必ずしも「組織に属する必要がない」ことに気づきます。
「無限のつながり」
多くの人が発信し、「真理は身近である」という気づき。
「組織化」とは、どうしても「ある種の排他性を帯びます」
いいとかわるいとかではなくて、組織とは本質的にそうしたエネルギーを持っている。
なので行き過ぎると、ドグマやイデオロジックになってしまって、本来の「生き方、あり方の本質を知る機会」を制限しかねないですね。
そして「真理は身近」ということは、組織に属さなくても、普段接している情報からたくさん得ることも可能だということです。
とはいえ「組織に所属」自体を否定しているわけではなくて、要するに簡単にいうと
「悟りっぽいのは、人それぞれ、多様だ」ということです。
なのでその手段、表現も「人それぞれ」だということです。
大事なことは、組織に属しているいないに関わらず
「素直で、フラットであること」だと思っています。
さっきの「おシャカさま」のエッセンス思い出してほしいのですが、
「あなたは特別」だということです。
ということは「すべての人は特別」ということです。
なので「誰からも、どんな機会からも、真理は得られる」ということです。
そしてその手段や表現は「ひとそれぞれ」です。
さきほど「素直に、フラット」が大事と書きました。
たとえば以前ブログでも「スピリチュアルと科学を分断して考えるのはあまり意味がなくなっている」と書きました。
仮に「スピリチュアル=根拠ない、あやしいもの」として一刀両断してしまっていると、実は、科学すら示唆している真理とか法則に気づかないこともあると思っています。
そもそも「根拠ない」とか「あやしい」とかって、わりと「社会的通念」であって、ほんとは「自分の信念」ではないんだけど、周りをみた感じなんとなく「それが自分の信念である」と誤解していることってあると思います。
これは、もうあくまで私の話に過ぎないんですけど。
私は「アロマ」が大好きです。
ですので、よくショップにいくんですが、ほとんど「女性」ですね。
でも、アロマって別に男女関係ない「自然の癒やし」です。
もし「男性はそういうものは・・・」という社会的定義を、自分の信念だと思ってしまっていたら、とてももったいないな、、、と。
青とかピンクとか。
色もそうですね。
冷静に考えると「てっきり自分の信念だと思ってたけど、わりとピンクとかかわいいの好きだなー」っていう感覚は、別に男女関係ないですね。
そして真理でも、気づきでも、啓発でもなんでもそうですが、
「入り口」はどこからでもよい、と。
教育で、組織、経済、科学、、、
料理でも、アロマでも、家事掃除でも、、、
コミックでも動画でも、活字でも、音声でも、、、
「入り口」はどこからでもよいと思っています。
そして「素直に、フラットに」
なにか「こうあるべき」とか、「こうすべき」といった定義ではなくて、素直に、自分を信じて、「これ、いいよねー」と思うことがあれば「素直に、フラットに」探求してみる。
そうすると「何かひとつっぽい」ものに気づくときがある、と思っています。
その気づきも人それぞれです。
定義とかドグマ、習慣、周囲ではなく、「自分の気持ちに正直に」なること。
それが大事だと思っています。
、、、と、まぁ、今日はあちこちいっちゃいましたが、、、、
だいぶ社会的なことの根底に流れているものが「個人・多様」へと同じキーワードである、、、ということでいろいろ書いてきましたので。
じゃあどうやって「生きる?」「考える?」的なところを、これからは書いてみたいなーと思っています。
それでは今日はこのへんでー!