ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

サービスを開発、推進、維持するときに”箱”と”定義”じゃなくて「その人らしさ全開」へと根本原理が変わっていると思っています

かとうゆうです。

 

前回ひたすら理想の人事・組織のあり方、、、とかってつくりましたが。

つくづく思いました。

あー、カイシャっていうのが今までと根本的・抜本的に違うな」と。

 

↓そのときの資料公開中ですので、よかったら。。

fivelaws.hatenablog.com

 

何が根本かというと、

 

組織・一律」から「個人・多様

大前提は、本当の意味で「ひとりひとりが特別

 

”本当の”なんてつけちゃいましたけど、わりと”身分制”っぽいところ残存しているな、と。

上司とか、社長でもいいですけどいわれると「客観的に考える」よりも「従う」というエネルギーが働きやすいところあるかも、と。

 

自分の”立場”・・・なんてことを非常に意識して、言葉を選んで、、みたいな。

 

でも、社長とか上司って「役割」です。

簡単にいうと「着ている服が違う」だけ。

 

人としては対等

 

なので、別にフラットに意見いってよいですね。

「なるほど-。でも、私はこう思うんですよね。どうですか?」なんて。

いわれた方も「なるほどねー。じゃあ、そうしようか」なんて。

 

でも結構、発言する前に「自分より”上”の人だから、まっこうから反論しちゃいけないし、でも自分の意見はいいたいかも」・・・なんて変なエネルギーが働く。

 

でも、このエネルギーって、結局のところ「企業が付加価値を生む機会」を失う可能性が大きいですね。

 

今もう情報とか知識の格差はないので、誰でもなんでも判断できます

経営的な観点でもいえるし、政治とか社会とか大きなテーマだって。

 

そして「ひとりひとりが特別」なので、付加価値を生む可能性は誰にだってあります。

 

でも、結構、「従う」というエネルギー強いな、と。

 

そもそもの話なのですが。

何かサービスとか事業とか遂行しよう、開発しようというときに、

”箱”という組織

”職務範囲”という定義

これが当然視されてますけども。

 

私は全然そう思ってなくて。

目的は「付加価値のあるものを生み続ける」ですので。

 

組織とか定義って”手段”ですから。

 

そして「ひとりひとりが付加価値を生む可能性を最大化」するのが大事です。

 

今、企業の中では「オファー制」を採用してるところあります。

「私は、これがしたい。これならこのくらいほしい。そして働き方はこうしたい」みたいな希望と、サービスをやりたい条件をマッチさせていくんです。

 

シンプルに考えるとこの方がはるかに「付加価値を生む可能性高い」ですね。

だって、「その人は気分いい」ですので。

 

ネガティブさから「ポジティブな付加価値」は生まれませんし。

 

で、オファー条件に合った人を「編成」して、遂行する。

 

これ順番にすると。

①「個人」

②「組織」

ですね。

 

でも今は、

①「組織」

②「個人」

 

組織という”箱”ありき、職務定義ありき。

それが決まってから個人を「パズル」のようにあてはめる。

 

当然ですけども、組織という無機質なものが先になっちゃっているので、パズルはうまくはまらない。

 

で。強制的に人事異動ですね。

年に1回、会社員がどきどきするやつです。

 

でもたいてい「組織ありき」だから、結局会社員ってこういう気持ちになっちゃいます。

「まぁ、、やりたいことないわけじゃないけど、結局、やるといわれたことをやるしかないし、いつ異動で違う仕事もしないといけないし。」

「生活・お金のために、ある程度我慢するのが会社員なんじゃないかな。そういうもんじゃないの?会社って。」

なんて。

 

でも、この状態って、「付加価値を生む」という視点からいったら、もうめちゃくちゃ「制限的」ですよね。

 

せっかくその人が持つパワーがあるのに、”箱”と”定義”を先に考えちゃうので。

 

で、しかも”箱”と”定義”が必要っていうのが、なにかこう当たり前というか、当然というか・・・

 

でもティール組織っていう管理職がいない組織とか。

ノーレイティング評価っていう数字や記号やランク付けしない評価とか。

 

世界をみるとたくさんトレンドが起きてます。

トレンドのすべての根底は、

個人・多様」です。

 

なので、”本当の意味で”なんて冒頭書きましたけど、このパラダイムシフトが起きていることに気づかないと、ほんとにどんどん「現状」というか「なんだか苦しい」ことが続いてしまう。

 

とはいえもう「実例」は世界中たくさんありますから。

何か、伝説でも想像でもなくて、「ある」わけです。

 

日本って「少子高齢化」だし、「バブル崩壊」したし、経済も飽和したし、仕方ないよな、、、って思っているのは、違うと思っています。

 

20年以上デフレ続きました。

あるとき国会で議員さんが質問したんです。

少子高齢化している国を含めて、20年以上デフレが続いている国は、日本以外にありますか?」

 

財務局長でてきまして。

「ございません」

 

そうなんです。

少子高齢化とかバブル的なこと(リーマンショックとか)って経験している国はほかにもいくつもある。

 

でも「なんかわからないけど、いろいろ値上げするし、給料もあがらないし・・・」って、世界で「日本だけ

 

、、、ということは「日本」だけ」の特有があるんです。

 

高度経済成長期って、パラダイムシフトと真逆のことしました。

集団・一律」です。

官民一体、一極集中、男性・女性のモデル化。

 

でもこのときのアプローチを批判しているんじゃないんです。

だって国土壊滅して餓死者出てましたから。

 

早くたくさん生産する必要あったんです。

なので結果的に経済2位まで復興。

 

でも、これ明らかに「特異点」ですよね。

いわば「平常時」じゃない

 

ところがこの「成功体験=一定の普遍性」が強いと思っています。

なので「集団・一律

なにか問題があったり、なにかしようとすると「ルールとか、統率とか」

 

やればやるほどハレーション。

「テレワークは月4回まで」「有給は必ず5日連続で取得しなさい」とか。

 

でも今求められているのは「集団・一律」とまったく逆といっていい

個人・多様」です。

 

まったく逆にシフトしないといけない。

高度経済成長とか経済2位になったこと自体を客観視しないといけない

 

その意味では、ほかの国に比べて「シフトまでの距離はある」かもしれませんね。

その距離をなかなか埋めきれず「20年以上デフレだった国は、日本だけ」

 

そんな風に思っています。

 

でも未来は特に心配してなくて。

さっきも書きましたが、すでに「ある」

週休3日、残業禁止でも実績あげている企業がたくさんある

 

制度とか組織論も出ている

 

そして社会を変えるために「他人を変える必要」もなくて

私ができることをやっていく。

別にデカいことじゃなくてもいいですね。

 

自分がマネジメントなら「要素を取り入れる」

メンバーなら「意見をいつもよりいってみる」

どうしてもいやなら転職する

そもそも新卒・就職でそういう会社は応募しない。

ブログとか動画とかで発信する

友達とかと話す。

 

特定のヒーローとかカリスマって、それ自体が社会を変える時代は終わりました。

 

そんなシンプルな時代じゃないですね。

みんなが、できること「こうしたらいいかもー!」ということを少しずつしていく。

 

その先に変化が起きると思っていますし、変化はその意味では簡単に起こせる・・・なんて思ったりしています。

 

さっき「距離がある」なんて書きましたけど「そう思っている」だけなので。

「思う」を変えれば「距離はなくなる」

 

生活でもありますよね。

「あれ。難しいかなーなんて思ってたけどさ。やってみたら案外いけたわ」なんて。

 

それでは今日はこのへんでー!