かとうゆうです。
今日は「未来を考えるときのメソッド」です。
メソッドなので、人によっていろいろあります。
なので、あくまで私の・・・です。ご参考まで。。
まず結論的に、、ですが『100年後から今をみる』
100年後っていうと、2123年。
(ちなみに、もうひとつすごい大事なポイントあるので、よかったら最後までお読みいただければ、、、って、記事を最後まで読ませるためとかってわけじゃなくて、文脈上、最後が最適って思いました。なので、気になったら、もう以下飛ばして最後みちゃってください)
大事なことは「かなり先=実現可能性を比較的度外視しやすい」です。
なので200年後でもいいです。そういう度外視できる感覚、です。
100年、200年後って考えるといろいろ思い浮かびますよね。
「働く面倒くささから解放されたい。基本楽しんで働きたい」
「男性とか女性とか、そういうんじゃなくて、私らしさで生きていたい」
「貧しさとか、お金に振り回されるのはいや」
いろいろ、ですが、その気持ちは
めちゃくちゃ大事です。
だって、私たちは「仕事のため」「お金のため」に生きているわけでも、「社会的・人為的規範に従うため」に生きているわではない。
「シアワセのため」ですね。
そして大事なことは本当のシアワセは自分だけじゃないってことですね。
周囲の人とか人間もそうですけど、動物も、自然も。
みんなが「シアワセ」であることが、自分のシアワセに不可欠です。
そういう意味をこめて
「シアワセのため」です。
そして、私たち人類はいろんな困難を乗り越えてきました。
氷河期から、時に天変地変、戦争・・・
その原動力は「生きるため」ですね。
そして「生きる」ということは「シアワセである状態」です。
めちゃくちゃネガティブな状態で「生きるため」だったら、たぶん、どっかの時点で人類はいなくなってたかもしれません。
生きるとはシアワセ、です。
なので、未来を考えるとき大事なのは「シアワセのため」
なので、難しく考える必要はなくて、「今、シアワセだと思えないこと」・・・これが思考の出発点かな、と思っています。
例えば「お金」
「生きるためにお金が必要」
これ、、、、地球の公転でもなんでもない、単なる「人為的な設定」です。
ゲームでいうと、「設定・オプション」
変えればいいっていうものです。
長い歴史みると「交換する=シェアする」という方法は普遍的ですが、そこに貨幣「量」という概念を与えて、優劣を判定するっていうのは、まぁ、、、ざっくりいうと1000年くらいの話でしょうか。
しかも昔は「お金」以外でも、「おすそ分け」といった形で「交換」してました。
「自家栽培」的なものもありましたし。
そもそも「生きるために、”ここまで”お金に執着せざるを得ない」っていうのは、資本主義が設定されてから、ですね。
労働が外部化され、分離しているので「働く・お金を得る」こと自体を目的にせざるを得ない。
昔は、労働と生活って分離してませんので。
なにもかも「お金がない」と、なにもできないっていう「定義」です。
でも人為的定義ですから、100年後って考えると、余裕で改善可能です。
別に共産主義的、平等の不平等じゃなくて、「交換=シェア」が、必ずしも貨幣量だけを意味しない経済システム・・・です。
兆候は出てますね。
地域通貨とか、「物やスキル自体の交換やシェア」「ご近所のお助けシェア」とかって、SNSとかでいろいろあります。
冷静に考えると「豊かさ」っていうのは、「お金」だけじゃないですね。
「量的判定をお金にすべて委ねている」ので、「豊かさをお金に求めざるを得ない」だけ、です。
そうじゃなくて「豊かさ」を、一旦下記のように定義してみます。
「必要なこと、やりたいことをするために、必要なモノやコトがあること」
です。
お金を介さなくても、この状態が実現できればいいわけです。
、、、と考えると、今いろいろな人が「資本主義の修正」とか「実態貨幣不要論」とかいってますけど、なんか道はありそうですよね。
もちろん私自身、明確かつはっきりした経済システムまで提唱する力はありませんけど、最近のテクノロジー、、例えばAIとかをみても「やらざるを得ない労働からの解放」という可能性とかいろいろ感じたりします。
、、、という感じで「お金」もそうですし「働くこと」とか生活、教育、育児、家事とか、いろいろ100年後の未来人になったつもりで考えると、「あれ?これって変えれるかも」って気づくことがあります。
そして、これもうひとつ「大事なこと」なんですが、
100年、200年後の未来人になったつもりで考える・・・でも、
『その実現は10年後になる』
そんな風に思うことも大事だと思っています。
というのも、今ものすごいスピードで世の中が変化しています。
テクノロジーもそうですし、学問の分野、最先端の科学、組織論、教育の在り方・・・国家や租税の在り方・・・などたくさんあります。
明らかに「パラダイム・シフト」が起きてます。
ひとことでいうと「あなたらしさ」であっていい社会、です。
「企業、国家とかそういう組織単位の”あるべき姿”を求める」時代は終焉していて、「ひとりひとりが特別」「自分らしさ」を求める時代にすでに入っています。
時代は「すでに」入っている、だけどいろいろな社会システムが追いついていない・・・そんな風に私はみています。
例えば、別に週5日働いて、1日7,8時間拘束されて、仕事中は「指示」と「集中」するっていう形は、なんの本質でもないですね。
「付加価値を生むこと」・・・例えば、ここに目的を設定して、考えてみます。
週なん日だろうが別に関係ないし、1日何時間働こうと、それを集団的規範でルール化するのも意味がなくなっている。
付加価値を生むのが目的ですし、付加価値の生み方は「人それぞれ」です。
そして付加価値は「誰でも生めます」
なので、上下階層・トップダウンが「もはや古い」っていう組織論は、そういう背景があるからです。
あと、仕事っていうのは「仕事に集中」するっていうのもそうですね。
大体、人間の集中力ってそんなに続きませんから。
「集中しない時間」があるから、集中できる。
そう考えると、仕事しながら「シエスタ(午睡)」したり、ちょっと「マッサージ受けたり」、在宅なら「犬の散歩」にいったっていいわけです。
わざわざ「雑談しよう」なんていわれなくても、どんどんすればいいし、仕事中にYoutubeみたって別に構わない。
極論でもないですが、週1だけ、1日3時間の勤務で、でも「めちゃくちゃ素晴らしい付加価値を生み続けることができる」・・・そんな会社は成長していきます。給料だって高い水準でも大丈夫。
そう考えると「集団的固定すること」って、本質的な意味はないですね。
単なる「過去の慣習」といってもいいかも。
とにかく「付加価値を生む」ためには、個人が「自分らしく、快適でいること」が重要ですので。
そう考えると、もう今の「会社」とかって、膨大なくらいの「過去の定義」て埋め尽くされている・・・産業革命18世紀と変わらない方法論があちこちに残っている・・・そんな風にも思ったりします。
そして、もう時代はティール組織のように「全員フラット・全員経営者=そのままのあなた」になっていますね。実際世界的にもたくさんの企業がではじめている。
他者比較の数値で評価しない=ノーレイティングっていう人事制度もすでに世界的にたくさん導入されてます。
そう考えると10年後とか、本当におもしろい「カイシャ」が出てくるだろうなーとワクワクします。
ちなみに「サイボウズ」っていう会社おもしろいですよ。
よかったら、採用ページみてみてください。
、、、、とこのへんの話は長くなるので、このくらいにしまして。
いろんなテーマは、また後日、いろいろ書きたいなーと思っています。
それでは今日はこのへんでー!