ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

他人を変えようとするのではなく、自分を変えると変わる

かとうゆうです。

 

とある方のブログなど読んでいて「あ!そうだ!」とあらためて気づいたことがあります。

以前こちら書いたのですが、「あー、そうだ、、、”変えようとしていた”気持ちが出ちゃってたな、、、」と。

(あらためて気づかせていただいことに感謝いたします)

fivelaws.hatenablog.com

 

え?、、、抽象的でよくわからない??・・・あ、、、そうですよね、ちゃんと書きますね。

 

いきなり結論ですが「私は、誰かや何かを変えてもらおう」として、ブログや記事を書いているつもりはないんです。

 

というのも「あらゆる人は尊重されるスペシャルな存在」であり「あらゆる体験や経験は価値がある」と思っているからです。

 

説明するためにちょっと飛躍した書き方しますけど、今この瞬間自分が「創造主」になったとします。

「創造主」、「ワンネス」でも「あるもの」でもいいんですが、何かそういう「あらゆるものを包含したもの」です。

 

その立場からすると、もちろん「すべての人は尊い存在」ですね。

そして「その人が体験・経験すること」は「すべて価値がある貴重なもの」です。

 

進化の考えって、間違いやすいのですが、「優劣もないがない」ことが大前提ですね。

「体験しているステージが違う」だけです。

 

例えば今時代が大きく変わろうとしている。

しかし、それをどのように受け止めるか?あるいは受け止めないという選択をしても、それは「すべて貴重な体験」です。

 

AがあるからBがある。

AがなければBはない。

 

すべては「貴重なもの」です。

 

なので、気づいたことを「シェア」はします。

けど、それをどう受け止めるかどうか?は、その人の選択であり、あらゆる選択は「貴重なもの」です。

 

そういう意味で「変えようと思っていない」ということなんです。

 

世界はシンクロニシティでもあります。

これはかなり僭越な表現なのですが、説明でこれしか思い浮かばないのでご容赦いただければと思うのですが、私がシェアしたことを「気づき」として受け止めるシンクロニシティをもっている方がいるかもしれない。

 

そんな気持ちで「シェアはする」「でも、変えようと思っていない」

そんな気持ちが大事かなと思います。

 

、、、と書きつつ、先ほどの記事は「ちょっと前のめり」だったなー、ということで、冒頭の「あ!そうだった」につながる・・・というわけです。

 

自分は「自分という宇宙」です。同時に他人には「人の宇宙」です。

それに対して「他人の宇宙に干渉し、強制を求める」というのはそもそもやってはいけないし、ある意味「不毛」なことともいえます。

 

私はとても感受性が強いので、他人の批判、あるいは他人が「なにを思っているか?」がとても気になったりしますが、しかし、「他人の選択」です。

 

誤解を恐れずにいうと「私とは関係のない選択」でもあります。

 

人間関係って「他人を変えようとするのではなく、自分を変えると変わる」っていうのは、たくさんのエッセイスト、もちろんスピリチュアルでもいわれていますが、これって大事だなー、と。

 

、、、とまぁ、なんか僭越な書き方をしたところもある記事になりましたが、私もこの世界に生きる人なので、ときどき「脱線」したりします(汗)

 

あ、、、そうそう。とはいえ、ですね。

 

前回書いた記事の内容自体は、何か修正は必要ないって思っています。ほんとにそう思っているからです。ただ「書いたときの気持ち」を、再確認すると「あ!そうだった!」というわけです。

 

それでは今日はこのへんでー!