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日本人のよさって、「集団性」じゃなくて「他者への関心」のバランスかも

かとうゆうです。

 

今日は、日本人のよさ、です。

 

ただし!

すべての民族、種族や部族に「優劣」はないです。

個性、キャラクターです。

 

なので「優れている」とかって絶対に思って書いてませんので。

 

さて「日本人のよさ

 

いろいろありますが、よくいわれるのは「集団性」ですかね。

 

東日本大震災のとき、ちゃんと列を守っている姿とか。

電車の乗り降りとか。

比較的「いわれたこと」はちゃんとやる、とか。

「私は、私は・・・の自己主張より、周りを気遣う」とか。

 

でも、これ「集団性」だからって思ってないんです。

逆に「集団性」って考えると、今の時代は「ひとりひとりの時代」なので、ハレーションになっちゃいます。

 

例えばジェンダーギャップ。

「女性=家庭=サポート」

「女性=夫より一歩後ろ」とか。

 

これって、本来個人の選択ですね。

そういう関係がいいか?どうか?

 

「女性だから・・・」ではないですね。

男性だって、そういう関係がいい人もいる。

 

だから「集団性」に焦点を当てすぎるとよくないかもって。

学校もそうですね。

「みんなやっている」とかって、よく説明に使用されますけど、これって単に「事実」を表すだけです。

でもニュアンスとして「なんであなたはできないの?」になりがち。

 

私は日本人のよさって「他者への関心へのバランス」だと思っています。

あ、、でも、でもですね。

これはあくまで「表現上」です。

だって、欧米でもアフリカでも「他者への関心」ありますから。

 

アングロサクソンの場合は、ひょっとすると「他者への関心」より「私はこう思う!」が強くなるのかも、という”やわらかな”感じで書いてますので。

 

とはいえ、もっというと民族の個性っていっても、「ひとそれぞれ」が前提です。

 

とはいえ、その前提だけに立つとなにもいえない「日本人の・・・」なんて主語で書けないので、そのあたりは「ふまえて」書いていることを、くれぐれもご理解いただけるとうれしいです。

 

で、、「他者への関心

ここにバランスがあるのがよさかもって。

 

列に並ぶ・・・だって、「他人が嫌な思いする」のは避けるっていうのが根底にあるからかなって思ったりしています。

 

なので「他者への関心」にバランス。

その”結果”として、「集団性」が表現される・・・そんな理解をしています。

 

「集団性」を第一義にしちゃうと、もうほんとに時代に合わないところたくさんあるし、「日本人は遅れている」とか・・・ていう議論にもなりかねない。

 

そうじゃなくて「他者への関心」

その”結果”として「集団性」「周囲への気遣い」があると思っています。

 

同調圧力ってよくいわれます。

「だいたい帰ってもいい時間」ってありますよね?

 

ほんとはやることあんまりないけど、「帰りづらい」時間。

 

これも「集団性」を第一に焦点を当てると、「集団に従う」が強いということになりますけど、そうじゃなくて「ほかの人は忙しいかも。てんぱってたら、手伝ってあげたいな」っていう気持ちが根底にあると思っています。

 

なので同調圧力っていう言葉も、それを第一義にしちゃうと、よくないかも、と。

 

太平洋戦争。

軍人だって政治家だって「アメリカと戦争しちゃいけない」って思ってた人たくさんいました。

 

だけどこれを「集団性と同調圧力」だけで読み解いてしまうと違うかも、と。

単に「軍国主義に、強制や洗脳されたー」みたいな話になっちゃうと違うかな、と。

 

そうじゃなくて「戦争はしちゃいけない。できる限り抵抗した。でもこうなった以上、むしろ自ら前に出て戦う。」・・・そんな文脈で理解しています。

 

、、、なんていろいろ書きました。

けど、民族とか人種の前に「人それぞれ」ですね。

そういった傾向があるかも、、、という話にすぎません。

 

いずれにしても「ひとりひとりの時代」ですね。

日本人として、いい感じのバランスで、実現できる道が必ずあるよなーと思っています。

 

それでは今日はこのへんでー!