かとうゆうです。
今日は「社会を変える」・・・そのアプローチ自体も、大きく変化しているという話です。
「集団・組織」から「多様・個人」へ。
このキーワードで、今をみると、あらゆることが根本的に変化していることがわかります。
「一律的アプローチ」から「多様性アプローチ」へ。
「社会を変える」というアプローチも大きく変化しています。
「集団・組織」の時代。
それはすでに終わっていると思っていますが、その時代。
「知識の格差」の時代。
あまりに格差が大きく、生活や富、社会的実現手段すらも「格差」があった時代。
でも今は違います。
みなさんのブログもそうですね。
スキルシェアもそうですね。
本業と副業の区別が曖昧になってきたことも、そう。
SNSでの無限のつながり。
それは「あなたは、あなたのままでいい」という時代だということです。
そして「社会を変える」ためのアプローチ。
これも過去の格差時代とは異なります。
過去は、あまりに格差があった。
「持てるもの」「持たざるもの」
それぞれが立場や定義に縛られて、その中で生きるしかない時代。
「縛られる」ことが強いほど、人は「守ろう」とします。
「持てるもの」は、富や地位を。
「持たざるもの」は、生きていくための術を。
こうして「執着し、こだわる」しかない時代です。
命がかかっています。
しかし「執着とこだわり」は「エゴ」ともいえます。
人々が、内向きに、守りにはいってくると、その「エゴ」は衝突します。
戦争、略奪・・・あらゆる「エゴの衝突」が発生しました。
こうしたとき「社会を変える」ためには、今を上回る「変える」という力が必要になります。
そのために「集団・組織」
そして「イデオロギー」
そして決定打として「相手を変える」という強烈なエネルギーです。
歴史上「革命」という形で、強引に、そしてある層の人たちを徹底的に排除する。
そうした形で「社会を変える」ことをしてきました。
しかし、今は「格差の時代」ではありません。
「あなたがあなたらしく生きていい」
「あなたらしく表現することが生きること」
もちろんまだ「過去」は残存していますので、会社でも学校でも、メンタルダメージや不登校、さらには「指示と従属」「諦め」「生活のために仕事は我慢する」などの多くのハレーションがあるのは事実です。
ですが、ハレーションがあるということは「なにか異なるエネルギーが芽生えている」ということです。
「あなたは、あなたらしくあること」
その時代に突入しています。
同時にそれは「すべての人は、特別な存在」だということですね。
優劣はなく、違いがあるだけ。
あらゆる人、それはネガティブにみえようとも、どのようにみえようとも「すべての人は、特別な存在」です。
そして多くの「対話」が行われています。
何かを変える、相手を変えるというエネルギーではなく、「お互いを理解して、よりよりものを生む」アプローチです。
多様なコミュニケーションが行われています。
会社でも1on1などがあったり、評価すら「対話」にすることも出てきました。
学校も「一方通行」ではなく、校則についてみんなで話し合ったり。
「すべての人が特別である」ということ、
「すべての人の意見は尊重される」ということです。
たとえそれがネガティブ、退廃的、守旧的、どのようにみえようとも、です。
ちょっとまたぶっとびますが、今あなたは「ワンネスのような存在」になったとします。仮にワンネスといっているだけで、名称は何でもかまいません。
あらゆるものを包含した存在。
その視点からすると、たとえネガティブである、暴力的、残虐ですら「貴重な体験」です。
なぜなら「暴力」がなければ「平和」は認識できません。
すべてが「平和」であれば、「平和」も「暴力」も、それがそうであると認識できません。
なのですべて「意味・価値」がある体験です。
どのようにネガティブにみえようとも、です。
こうした視点に立ち、「社会を変える」ということは、
「自分も、みんなもシアワセであることを目指す」ということです。
そして「みんな」は、人間だけではなく、動物も植物もすべての生命です。
そして「社会を変える」ために、「革命」など「相手を変える」というエネルギーは不要です。
なぜなら今起きているのは「あなたらしくあること」がなにより重要だということです。
ですので、「あなたがあなたらしく生きること」
それが「社会を変える」エネルギーです。
それは「大きなもの」であってもよいし、「小さなもの」でもまったくかまいません。
例えばあなたが、
仕事以外で、料理を作る、ラーメンを自作することが好きであればとことんやってみる。
あなたが心から「楽しい」と感じれば、それは意図するしないに関わらず、他者に「提示」されます。
もちろん提示されたものをどう受け取るかは、他者の選択で関与する必要はありませんが、そう感じない人もいれば、そう感じる人もいます。
そう感じる人は、「じゃあ、自分はアクセサリーを作ろうかな」と思うかもしれません。
そして大事なことは「他者に伝わる」・・・そのこと自体を、まったく意識する必要も、期待する必要もなく、とにかく「楽しい」をとことんやる、ということです。
仕事でも、どこかある時点、ある業務、ある業務のあるステップでもかまいません。
「楽しい!」と思えることをする。
それを躊躇なく、定義することなく、無条件にやる。
そうすると自然に、他者で共感・刺激を受ける人ができる。
そして、その人とつながり「対話」することで、さらに「楽しい」をみつける。
思い出してほしいのは、「社会は特定のヒーローが変えてきたわけではない」ということです。
人類が「履歴」として残すものは、どうしても「名前のある人」が脚光を浴びます。
しかしどんなにヒーローががんばったところで、それに共感する人がいなければなにも起きません。
有名になると、稼ぐとか、何か明示的に事を起こすとか、、、もちろんそれが「楽しい」であればよいのですが、必ずしもそうである必要はありません。
映画を作ってみたいなら、メモ書きみたいでよいので「シナリオを書いてみる」
それで十分です。
そして社会が変わる瞬間は「100%の人が変わる」ときではありません。
学問・組織論の世界でも1%とも5%ともいわれています。
私たちは、私たちが思っている以上に、あらゆる人や、生命と「つながっています」
花をみて「きれいだな」と思うことも「つながり」です。
なので「つながり」自体を何か新たに創造する必要はありません。
「あ!・・・もうこんな時間か、、、楽しくて忘れてたよ」
その時をたくさん、どんな小さなことでもよいので、たくさんやってみてください。
そして他者を変えるとか、社会を変えるとか意識する必要はありません。
「あなたがあなたである」ことをたくさん経験していく・・・つながった人と「対話」してお互い理解して、さらに「楽しさ」をとことん重ねていく。
それが大きな意味で、そして今の「すべての人は特別である」という時代にあって、もっともパワフルなアプローチだと思います。
それでは今日はこのへんでー!