ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

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「やってみたいこと」を始めるとき、「プロ」という定義を見直してみるとラクに始められる

こんにちは。

かとうゆうです。

 

今日は「プロとは”稼ぐこと”ではない」という話です。

 

会社とか、あるいは学校なんかでも「お金を得られるようになるのがプロ」とかって定義ありますけども、私は「ちがうなー」と思っています。

 

まず「豊かさ」自体ですが、必ずしも「お金」だけを意味するわけではないですね。

冷静に考えると「お金」って、銅とか自然物ですから。

 

金とか銀が「希少」というのは、人類が定義しているだけで、植物も鉱物もなにも優劣はない「自然物」です。

 

なので資本主義の中でそう定義されているだけ、です。

 

未来は「お金」のいらない社会が存在しうる・・・なんて以前ブログで書きましたが、「人為的」ということは、ゲームの設定・オプションみたいなものなので変えればいいですね。

 

なので「豊かさは、やりたいことがやれるために、必要なことがあること」という風にちょっと視点を変えてみます。

そうすると別にお金持ちだけが、成功でもなんでもない「あなたらしい豊かさ」があることに気づきます。

 

さて。

「”プロ”とは稼ぐことではない」ということですが、上記の視点を持つと、たくさんの「プロ」が存在できることがわかります。

 

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いろいろありますね。

 

「あなたがやりたいことがやれる」・・・これが「豊かさ」なので、その「豊かさ」を実現できているっていうことは「プロ」です。

 

これまで社会が地球規模で変化していることを書いてきました。

集団・一律」から「個人・多様」へ。

その大前提は「ひとりひとりが特別である」ということ。

 

そして社会を変えるとは「他人を変える」ことではなく、「あなたらしくあること」だとも述べさせていただきました。

 

ですので「お金」という、他者・他物を比較した視点ではなく「自分らしさ」です。

 

他者比較とかその競争って、学校でも会社でもずっと適用されているので、それがなにか普遍的なことのように思いますけども、全然そうではないですね「人為的」で、さらにいうと「不自然」です。

 

学校がなんかイケてないと感じるとか、何回やっても人事評価がどうも納得できないとか、ハレーションありますが、根本は「不自然」だからですね。

 

ですので「お金を得る」っていうのも、たくさんの選択肢のたったひとつだけ、に過ぎません。

 

ですので「やってみたいこと」は、気の赴くまま、そして形や定義にこだわらずやってみるのがよいと思っています。

 

例えば「プロ=お金」になると、ハードルの高さを感じてしまって「楽しいは楽しいけど、でも売れるわけでもないしな、、、」なんて、せっかく「楽しい」で始めた大チャンスを、自分で制限しちゃいます。

 

あるいは「プロ=他者比較」になると、「でも、あの人の作品の方がすごいしな。かなわないよ。」なんて、これも制限しちゃってます。

 

お金もひとつの選択肢、他者比較も「結果」としてそうなっただけ。

それが得られる得られないになんの優劣もありません。

 

あと「プロ=形」があります。

例えば、作曲。

みなさん、鼻歌うたいますか?

楽譜とかわからなくても「音楽」ですね。

しかも「あなたらしい音楽」です。

 

今は「鼻歌で作曲できる」っていうツールもあります。

ご参考まで。

鍵盤が演奏できない人でも声でMIDI入力できる!?ドラムも声で打ち込める夢のツールDubler2 | DTMステーション

 

作曲とは「楽譜がある程度わかって、ある程度DTMなどができること」

なんていう定義は「たくさんの選択肢のひとつ」に過ぎません。

 

なので、あなたはいつでも「作曲家」になれます。

それが「お金」「他者比較」とかは、単なる「結果」の、さらに「ひとつの選択肢」です。

 

そして「作曲家とは?」という定義を、ぜんぶ横においちゃいましょう。

 

そう考えると、なんでも別にハードルはなくて、一番大事なことは、

あなたが楽しいと思えるか?」です。

 

やばー。楽しすぎて、もう夕方だよ!」とかって感じです。

 

その瞬間、あなたは「プロ」です。

 

・・・とこんな感じで、実はたくさんの「定義」「思い込み」によって、自分を制限したりするんです。

 

でもじっくり考えてみると、

「お金」は、単に「豊かさ」の定義を、あなたではなく社会の定義に合わせているだけ。しかも社会の定義があなたよりも優れているという定義。

 

「他者比較」も、「あなた」より「他人」が優れている、逆に「あなたが劣っている」という定義を前提にしている。

 

「○○作り」も、社会や周囲の定義が「そうである」と定義しているだけ。

 

社会や地球は「すべての人は対等である」です。

ということは、

「あなたは特別だ」ということです。

 

あなたらしくいること。

 

これに対して、定義も比較もいらないですね。

 

というわけで(?)

私は、今「理想の人事制度」をパワポでまとめています。

もちろん人事担当でもありませんし、会社とかどっかから提案を求められているわけでもなく、ただひたすら・・・

 

「楽しいから」

 

 

それでは今日はこのへんでー!