ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

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「統合」という「融合」があちこちで起きていると感じてます

かとうゆうです。

 

今日は徒然に思いつくまま、、です。

といっても、いつも徒然なのですが(汗)

 

ほかの方のブログをみていても

「統合」

というのが、どこでも起こっていると感じます。

 

「学際」という言葉がありますが、学問分野でも「専門分野をまたぐ」というが、大きな発見や成果を生んでいます。

 

学問分野をまたいだ学部が設置されていたり、

研究者でも「他の専門家」とのコラボを積極的にしていたり、

 

学問分野だけではないですね。

企業でも、早い変化スピードと付加価値の創造のために、マトリクス組織やティール組織など、「硬直的組織」から「柔軟で多様」に変化しています。

 

複数の組織に所属するのも珍しくなくなってきています。

あるテーマやサービスについて、組織を横断した組織やプロジェクトはもう当然のように行われています。

 

社会全体でも同じ、ですね。

「対話」「ダイアローグ」というアプローチ。

異なる視点をもった同士が、話し合い融合することで生まれる価値。

 

なぜこうした様々な「統合」が起きているか?ですが、

答えは比較的簡単で、

「私たちの社会原型が時代に合わなくなってきている」ということです。

 

政治、そして教育などもわりと「明治時代」からエッセンスは変わっていません。

企業も、トップダウン構造という産業革命時代に適合的形態です。

学問の、そもそもの「区分」「区分け」というのも、100年ほど前のものです。

 

身近な例でいえば「国語」「算数」「理科」「社会」など。

もうこれだけでは足りないくらいテクノロジーが発達し、そしてテクノロジーは「国語」「算数」のような区分も簡単に超えます。

 

特に日本社会の原型的なものは「明治時代」

さらに原型を「固める」ような効果を与えたのが「高度経済成長期」ともいえます。

 

世界大学ランキングなどをみても、日本の大学は、40位前後しか登場しません。

教育水準、幸福度、生産性・・・いずれの指標も先進国で低いレベルです。

 

バブル崩壊少子高齢化というのは、一定の影響は与えましたが、今問われているのは、こうした社会構造の原型自体をどう変えていくか?だと思います。

 

今、様々な分野、形態で「統合」がキーワードになっていると感じています。

「統合」とは、何か単一のひとつにまとめあげることではなく、それぞれ異なる分野や視点を「融合」させていくアプローチです。

 

そして「統合」は、当然ながら「科学」と「スピリチュアル」も同様です。

 

ちょっと話を単純化します。

 

長い一直線があるとします。

この一直線は、すべての万物のあらゆる法則が包含されています。

 

人間の感覚機能は、そのうちほんの数パーセント程度しか認知できません。

測定という形で、電波や粒子線などを測定できますが、その範囲も数パーセント程度。

ほとんどは「ダークマター」といわれています。

 

科学は、この中で「感覚」「測定」可能なものを論拠にして、論理的に説明していくアプローチです。

 

一方、スピリチュアル。

私は、科学上「ダークマター」として不明になっているものから、得られるものだと思っています。

 

測定にせよ感覚にせよ、「それがある」という認識がたとえどのような範囲であろうと、自然界、生命は「今、存在」しています。

 

そして意識にせよ、「第6感」にせよ、科学では一般論としてはなかなか説明できない。

それは科学も「限られた範囲」での論理性です。

 

でも、「私は今ここに存在している」

科学的に「ダークマター」といわれるだけであって、ダークマターも含めて私たちは「存在」しています。

 

なので誤解を恐れずにいえば「スピリチュアル」

それは、、、測定されない分、かなり玉石混淆になってしまっているのも事実ですが、確かな哲学性をもったものに関していえば、

 

「科学より、すでに万物の多くを認知しているアプローチ」だと思っています。

 

そのため、科学の発見が「スピリチュアルでは以前からいわれていたこと」の場合が数多く出ています。

 

多世界解釈

宇宙や時空が複数存在する。

パラレルワールドは、今最先端の科学です。

さらにホログラフィック理論などにより、「仮想、投影としての現実」「輪廻転生」といったこともいわれます。

 

そして科学が発見したことが、「実は何千年前にブッダがすでにいっていた」ような話も起きています。

 

そもそも量子は「存在が確定せず、観測されたときに確定する」

不思議なロジックですが、これはもう量子理論としては常識レベルです。

 

存在というのは「観測者によって確定する」

これらは引き寄せや思考は現実化するといったアプローチが、すでに提唱していたことでもあります。

 

こうした点では、私たちは「測定や五感」の、それ「以外」をすべてスピリチュアルとして放り込んでしまった・・・ともいえます。

 

ですので、本屋の精神世界というコーナーに並ぶ本も、本当に玉石混淆だと感じます。

正直なところ、あまりに社会像をシンプル化しすぎてしまっていたり、何か特定の事象を誇大に表現している・・・そんな風に感じることもあるのも事実です。

 

 

しかし、確実に「スピリチュアル」と「科学」の統合。

それはまるで「統一場理論」のようなまだ未完成かもしれませんが、それは起きていると実感します。

 

さらにいえば「スピリチュアル」という、私たちがすでに「なんらか感じといっていたもの」に、ようやく科学が追いついてきた。

 

そんな感覚です。

 

、、、、て、、、なんかまじめな感じで書きましたが、、、、「統合」からはじまって話が若干あちこちにいってしまったような。。。

 

ま、、、えーと。。

それでは、今日はこのへんでー!