かとうゆうです。
今日は「仕事を辞めた方がいいか?」の話です。
これ、、、かなりケースバイケースなので、あくまで参考です。
いろいろ考えていただいて、その上で決断する・・・が大前提です。
なのでヒント的に、、、ですね。
さて。
仕事を辞めた方がいいか?
原因は、以下の3つ、1つのこともあれば、複層になっていることも。
①仕事内容自体のギャップ
②職場の人間関係
③働き方
この3つを同時に感じた経験もありました(汗)
まず「明らかにおかしい」ときは、もうスパッと辞めることを考えた方がいいかな、と思います。
たとえば、ブラック、、、とか、人間関係が明らかにおかしい(暴言、ののしりなど)
心理学で共依存という概念あります。
DVのような暴力を受けているにもかかわらず、なかなか離れられない。
「私がいないと・・・」とか、どうしてもひっかかる・・・
もちろんこれが共依存かどうか?ということがいいたいわけではなくて、何かヒントになればと思いついたものを書いているので、その点はご留意いただければ。。
「明らかにおかしい」
そんなときは、ほぼ確実に「自分がダメージ」を負いますので、早く離れた方がいい、、、
とはいえ、こうした状況であれば多くの方は「決断」できることも多いのかも、と思っています。
一般的にありそうなのは「そこまでひどくない&だけどつまらない」という感じかと思います。
そして強烈なネガティブと感じないがゆえに、「仕事・・どうしようか。。」になりやすい。
この気持ちは私も何回も経験しているので、自分なりにはすごく理解できます。
①の仕事のギャップですね。
これは比較的「判断しやすい」かも、です。
なぜならギャップを感じるということは、ギャップを感じない「なにかやりたいこと」がある場合が多いからですね。
しかし、一方で多いのは「仕事のギャップはある。けど、他にやりたことがない・・」というケースです。
「やりたいこと自体は、誰でも必ずみつけられる」というのは前回書いたので、よろしければ。。
なんとなく「絵を描くこと」とか「音楽」とか、それっぽいのはある。
でも「収入として成立するかどうか?」・・・で迷う、そんなときですね。
職場の人間関係も「円滑」とまではいかないけど、悪意があるわけでもない。
働き方も、もっとテレワークしたいけど、まぁ、仕方ない。。
「強烈なネガティブ」ではないけど、なにかネガティブさがあって我慢しているけど、「やっぱり仕事をやめようかな」という感じ。
こうした構造を解き明かす、最初のキーワードは、
「今、”やめたい”と感じていることは、なにを”やりたい”と気づかせようとしているのか?」です。
やめたい=ネガティブ=離れようか=でも、不安
という構造は、ある意味「出口」がないですね。
ではなくて「やめたいと感じさせてくれること」を、一端「人間」に置き換える。
「やめたいと感じさせてくれる君は、きっと私になにかを気づいてほしくて一生懸命なんだ」と思ってみる。
そんな風に視点を少し変えると、
・職場の人間関係っていうより、結局、仕事自体がおもしろくないんだ。
・プライベートとか自分らしさの時間がとれない働き方がそもそもだ、、
とかある程度、構造が発生している「焦点」がみえてきます。
そして次は、、、
次は、、、もういきなりぶっとびますけども。
「なんとなく、こうしたい」感覚に沿う、です。
実はこの感覚は誰でも持っています。
敏感な人は、はっきり認識できますが、私は敏感でもなんでもないので、「静かな、やわらかな、小さな感覚」として感じ取ることが多いです。
たとえば・・・・と書きましたが、たとえば、なのでそのものではなくて、感覚の「やわらかさ」を伝えたくて書きますが、
「今日は、なんとなく”肉-”って感じを食べたいな」
「おにぎり食べたくなった」
そういう気持ちは誰でもありますが、「なんとなく、こうしたい」感覚は、このくらいのやわらかさです。ちなみに、例は食欲の話です、感覚のやわらかさを伝えたくてあげました。
理屈とか理由よりも前に「感じる。だけど、そんな強い感覚じゃないし、それがなくても困るほどじゃない。でも、静かに感じるくらい」の感覚、ですね。
たいてい、その感覚は「社会通念上」とはまったく別の、それどころか「不利」だと判断しやすいくらいのものであることがあります。
「なんとなく、”脱サラ”して、ちょっとやっていたアクセ作りをやりたい。でも、それって収入もそうだし、人脈とか、、、」
と「理性的」なものが圧倒して、「静かななんとなくの感覚自体がなかった」くらいに消してしまうこともあります。
しかし、この「なんとなく、こうしたい」の感覚は、実は「かなり精度の高い、方向感」を示していることが多いです。
哲学とか大脳科学もそうですけど「生きる」というのは「らしさ」とセットです。
そしてこの世界、自然界において「生きる+らしさ」を鋭敏に感じ取る感覚がある・・・だけど、「知識」とか「通念」でだんだんその感覚を感じられなくなっている。
「思い切って、○○したら意外といけた。。」
ということは、転職とか大きなことではなくても、何か人前で発表するとか、そうした場面でもよく感じているかと思います。
そしてスピリチュアル的にいうと、もちろん
「シンクロニシティ」ですね。
感覚に身を任せるほど、実は頭では想定できないシンクロニシティが起きる。
だから「期待」とかはゼロでよくて、「今、その感覚に合うことをする」ことに焦点を置く、、、
と、、、書きましたが、もちろん「その感覚」がわかっても、それでも「通念や知識」からしてどうにもこうにも前に進めないときも多いと思います。
「いやぁ、、いいたいことはわかるよ。わかるけどさ。。。」という気持ち。
それもよくわかります。
なので、まずは大きな「決断」ではなく、「感覚に耳を傾ける」ということで敏感さを少しでも取り戻してみることがいいと思っています。
それはもうほんとに「小さな」「自分しかわからない」ようなもので全然よいし、むしろその方がいいと思います。
会社の資料作り、、、「あ、でもグラフとか結構デザインするの好きで、つい時間とっちゃうわ」とか。
もう本当に「小さな」ことでよい。
でも、「そうしたときにこそ”なんとなく、こうしたい”がみえてくるきっかけなんだ」という視点をもっておくと。
「デザイン、、、確かに、なんかCanvaとかでいろいろ作ったときも楽しいかったな」なんて。
で、そのうちシンクロが起きたりします。
「なんとなく、Youtubeみてたら、、、へぇぇ、ココナラってところで、グラフイメージとか販売している人、、、なんかこの人も普通の人っぽいぞ」
「小さな」こと。
むしろ小さなことでよいです。というのは「忘れてしまっている感覚」なので、できるだけ身近で、小さなこと。一見、その悩みには直結しない無関係なこと。
そんなことでよいと思っています。
シンクロ・・・って、なにか特別な思考法とか「悟り」的なことがある人が起こせると思うかもですが、実は誰でも日常的に起きています。
「起きている」という意識をしてみると、「確かに、これかも」があって、だんだん感覚に敏感になってくる・・・・そして「なんとなく、こうしたい」がみえてくる。
みえてきたときには、今の仕事の悩みよりも「こうしたい」が上回る、、、
そのときこそ、思い切ってジャンプすべきタイミングかもしれません。
、、、と書いてきましたが、冒頭書いたとおり、本当に参考程度、、です。
どこかちょっぴりヒントになれば、と。
それでは今日はこのへんでー!