ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

突然ですが「高校生」になって、今の時代の歴史的勉強してみましょう。そうすると今はどんな風にみえるでしょうか?という話

かとうゆうです。

 

さて、今、あなたは「高校生」になったとします。

 

未来の、です。

50年か100年か。

わりと先の。

 

高校、という概念はなくなっているかも、ですが便宜上「高校生」

 

授業。

 

歴史を習っている。

 

もうこのときは、行住坐臥をマスゲームのように動くことは美徳でもありませんし、先生といっても「対等な存在」です。

 

なので、みんなで話ながら。

 

テーマは

「2020年頃の社会」

 

こんな風に習うかもしれません。

 

「この時代は、”中世末期」

 

中世末期?!

戦国時代末期?!

 

はい、そうです。

 

「なぜなら・・・」

 

身分社会が残っているため。

 

指示と従属

役割と立場が同じ

他者比較による優劣判定

 

こんな概念が残っているため。

 

あなたは、みんなと話し、今の時代をこう表現します。

「個人・自分・あなた」の時代。

 

すべての「あなた」は対等で、価値ある存在。

 

ですので、指示と従属関係は滑稽でしょう。

「エラい人」がいて「そうでない人」

他者と比較(あるいは何かの標準的理想像と比較=つまり、「あなた以外になれ」という定義

 

なんで社長、役員という「役割」だから、立場も「上下」なのか?

役割は役割、人としては「対等」

 

カイシャで、誰かが指示を決めて、それに従うってヘンなの。

お互いに対話して決めればいいし、「指示」って基本みんなで話して合意して行うものでしょ?

 

学校の先生が「エラい人」って、笑えるんですけど。

エラいとか、優れているとか。

それって「何か、自分以外と比較しただけ」の話。

 

実際、人間に「エラい」も「優れている」もないのに。

 

「あ。だから、障がい者なんて定義するんだ。LGBTqとか。別にどんな障がいがあろうと、区別や差別の対象にならないし、それぞれ生き生きできるのに。わざわざ定義して、箱に閉じ込めちゃうんだ」

 

”高校生”のみんなは、口をそろえて「前近代的有様」について、滑稽だ、意味わかんない、というかもしれません。

 

先生・・・といっても、未来の先生も「友達に近い」感覚ですが、言います。

「でもね。ネットワーク、インターネットが普及した時代だったの。それで世界中の人とつながることもできたし、あらゆる情報や知識が人々に行き渡ったわ。」

 

だから「中世・末期」なの、と。

 

「末期」

 

もうすぐ、次の時代。

 

高校生のあなたは「なるほどね。単に遅れている時代ってわけじゃなくて、今につながることも起きてたんだ。」と。

 

 

さて、、「今」、現在に戻りましょう。

今の学校では「中世」といったら、戦国時代。

 

戦いの時代ですね。

 

でも、長い目でみると、今も地球で戦争起きてます。

 

そして会社でも、学校でも、「指示と従属」「優れた人とそうでない人」

 

指示と従属

役割と立場が同じ(本来は、役割は役割。立場は”対等)

 

こうした構造は、今も身分社会であることを示しています。

もし「そうじゃない!」というのなら、社長をつかまえて「ちょっと意見いいたいんですけど。」と自然にいえるはずです。

 

社長=偉い人=従うしかない存在

 

これは

鎌倉時代武家社会と同じエッセンスですね。

 

なので長い目でみると、今は「中世」

だけど、テクノロジーなどいろんな動きがあるので「末期」

 

いや、もうすでに一部の人は「近代」に入っているかも。

 

すべての人が対等

すべての人が価値ある存在。

 

優れている、とか、できないという概念は他者と比較して発生するに過ぎません。

 

どんな人も「劣っている」「できない」ということは存在しないんです。

 

比較して優劣判定するから「仕事ができる、できない」となる。

でも「仕事ができる」は、「ある特定のパターンを標準化し、それに適合的かどうか?」というだけですね。

 

世界では、マイクロソフトなどIT企業は「発達障がい者を高度IT人材」として活躍してます。

 

精神、身体

どんな障がいであろうと関係ない。

 

何か「特定のありかた」「特定の言動」を「できる」「優れる」と定義しているだけです。

 

会社だって「理想像」なんて。

理想像って、人の数だけあるはずですよね?

 

ある意味、「何か特定のことに執着して、そこに適合するかどうか?」で判断しているだけともいえます。

 

偏差値もそうです。

基本「いらない」んです。

内申点も。

 

そんなのなくても、世界水準高い国たくさんあります。

 

会社の「評価」

他者比較しない、対話で決めていく制度がすでに世界では導入されてます。

 

そもそも「成長するために、他者と競争しないと」っていう考え。

これは「植民地時代」の考え、なんです。

 

成長の意味は、ひとりひとり。

ということは「他者や定義と比較することは”意味がない”」んです。

 

なので、他者と競争して、とか比較して、報酬を決定するっていうのも「中世」のやり方。

 

同時に、テクノロジーの発達、知識の格差の縮小。

「ひとりひとりの時代」

 

スキルシェア

副業、複業

 

「あなたらしさ」に時代は向かっています。

 

地球上のあらゆる生命。

優劣なんてありませんね?

ライオンが「強い」というのも、人間の勝手な定義です。

 

ライオン自身は「自分が優れている」とか思ってないです。

 

ありのまま存在する。

 

人間だけが、奇妙に「優劣判定し、不適合者を矯正しよう」としている。

 

地球環境の破壊もそうですが。

単に経済システムの問題だけではなく、

 

そもそも「優劣概念」「成長とは他者比較」という根底にあるロジックが、ついに地球、、、すなわち人類自体すら、自分で脅かしている・・・

 

だけど「末期」です。

もう時代は次に来てます。

 

どうでしょう?

こうしてみると、

「日本経済が低迷だ」とか

「政治なんて変わらない」とか

「会社はお金もらうために、わりきるしかない」とか。

 

大した問題じゃないですね?

 

そして、ネットでもSNSでも

なんでも使って「できる時代」になっています。

 

スピリチュアルの世界では「アセンション」とかっていわれますけども。

 

スピリチュアルと「最新科学」の境目は今きわめて「なくなりつつ」ありますね。

量子ゆらぎ(素粒子は観察されたときに、位置が確定する)

多世界解釈パラレルワールド

投影された現実(ホログラフィ)

 

みんな科学の表現です。

 

なので「スピリチュアルと科学」を分断するのも「もう古い」です。

 

どんどん叡知は「宇宙・生命・存在」の真実に近づいてます。

 

そしてどんどん「中世から近代」へシフトしています。

 

まったく新しい時代がくるとき、人々は意外なほど「保守的」になりやすいです。

 

明治時代。

電話が登場。

 

こんな人いました。

「電話で話しなんかできるかよ。実際に会わないと仕方ねー」

 

今もいますね。

「コミュニケーションはリアルじゃないと。オンラインはできない」

 

リアル、オンライン両方のハイブリッドだから「コミュニケーションは深化する」んです。

 

ところが、全く概念で想像できないことがあると「保守」になりやすい。

「電話なんて使わねー!」と。

 

そして今までの「やり方」に戻る。

そこに「安堵」を求める。

 

今、本当に地球はどんどん変化しています。

 

アセンションと、スピ系でいわれてます。

また「その新しい時代にいける人、いけない人が明確に別れ、やがてお互いの存在すら確認できなくなる」とも。

 

もちろんどちらの選択も「価値あるもの」です。

 

別に「保守」自体がわるいわけではない。

いいとか悪いとかいうのは「優劣」と同じ考えになってしまう。

 

すべての体験は価値があります。

 

なので、問われているのは

「あなたはどうしたいですか?」なんです。

 

それが地球規模でも、社会でも、テクノロジーや、SNS、会社、学校。

あらゆるところで問われている。

 

それが「今」だと思っています。