ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

「役割と立場は違う」は、親子でも、学校でも、そして企業でもどんな場面も同じ

かとうゆうです。

 

前回、「役割と立場は違う」について。

 

役割=社長とか、上司とか

立場=対等

 

人として対等なので。

これが一致すると、、、

 

役割=上下

立場=上下

 

これ「身分制」です。

公式に存在してなくても、「身分社会」

 

カイシャの多くはまだこの状態。

 

で、、、この「役割と立場は違う」は、いろんなところも同じです。

 

親子関係

 

役割=親

立場=対等

 

そうじゃなくて、

 

役割=親

立場=上下

 

これになると、親は優れた存在、子は劣った、幼稚な存在となり、

子供の可能性を伸ばすというよりも、「あれだめ、これだめ」になる。

 

学校も同じ。

 

役割=先生

立場=対等

 

でも今は

 

役割=先生

立場=上

 

なので、「優れた人が劣った人を指導する」に力点がおかれる。

そのため「規範・ルール」、すなわち「指示と従属」になる。

 

以下は中世のシステムです。

・役割と立場が同じ

・指示と従属

 

もう時代遅れなんてもんじゃなくて、「不要」「制約」でしかないですね。

 

ちなみに「礼儀が・・・」なんていわれるかも、ですが。

 

気をつけないといけないのは、

古来からの礼節というのは、

「役割と立場が同じ」を前提にしているということです。

 

「エラい人」と「そうでない人」を前提とした礼儀。

 

礼儀はもちろん大事ですが、これも

「役割と立場が違う」を前提にしないといけない。

 

そうすると自然に変わります。

 

社長、役員なら、「私も、みんなも意見やアイディアは対等」

先生なら「私の意見、あなたの意見。対話しましょう。」

親なら「私はこういう経験してきた。でも、選択はあなたに任せる。」

 

変わります。

 

なので「役割と立場が違う」という世界は

礼儀がなくなるわけじゃなくて、大事なことは変わらない。

 

感謝や喜びはしっかり態度で示す。

敬意も示す。

 

だけど、どんなに功績があった人だろうが、どんなに役割が上だろうが、年長だろうが、

「対等」がベース

 

日本は、、、本当に「変わらない」といけないですね。

企業、組織。

ジェンダーギャップ。

高度経済成長期の成功体験、時間量による働き方。

バブル後の世代は「成功」を知らない世代だから、とか。

そういう世代やら社会やらを定義して諦めるのは、言い訳だと思っています。

ある意味、ラクな生き方かもしれないが、保守的で自ら低迷や飽和を招いている構図。

 

そして上下関係

指示と従属。

 

日本の経済が低迷だの、飽和だのいわれてますが。

生命に飽和なんてないです。

ダーウィン先生に怒られます。

 

飽和や低迷と・・・みんなが定義しているだけ、です。

 

いくらでも「よりよい形にする」ことは可能です。

 

それでは今日はこのへんでー!