ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

「指示と従属」、、、幼稚園から小中高、そして社会人までずっと適用され続けていることに気づいた話

かとうゆうです。

 

カイシャ、の話。

 

「指示と従属」

これはもう前近代的だと思っています。

 

感覚的にいうと「中世」のシステム。

 

誰か上位者がいて、その指示を受ける。

 

一方、こんな企業が出ています。

オファー型。

 

やりたいことを本人が表明

やってほしいことを組織が表明

 

公募→採用

 

 

考えてみれば

1年に1回の大きな人事異動

人事異動の決定は「密室」=本人関与せず

自己申告制度はあっても「形」

 

基本的に「いわれたこと」をやるしかない。

 

となると、カイシャインは「どんなことがきても、一定のパフォーマンスを出す」しかない。

 

となると、多くの人(一部の、たまたま自分のやりがいと一致した人以外)にとっては「業務は、楽しんで全力で、元気にやる」ことにはならない。

 

「仕事だから、仕方ない。これでお金もらうから。」になる。

 

でも、この心理状態で、「カイシャの業績」でパワフルになるか?

 

ならないと思っています。

 

ワークライフバランスも同じ。

 

戦後の壊滅期。

さすがにワークライフバランスとかいってる場合じゃなかった。

餓死者もでた。

 

でも今違います。

プライベートもパブリックも両方「充実」しているから

「その人は最大の力を発揮する」

 

と、考えると

「指示と従属」

 

勝手に決める人事異動

勝手に決める業務内容

勝手に決める報酬・評価

 

これ、、、カイシャの業績自体にもよくないです。

 

現に、ティール組織とか、ノーレイティングとか新しい制度。

そして好業績。

世界でどんどん。

 

でも日本、遅れてます。

 

この根源。

教育、ですね。

 

教育が「指示と従属」なんです。

先生のいうことをよくきいて、挨拶ハキハキして、友達たくさんいて、勉強も進んでやる・・・

 

こういうタイプいてもいいですが、それ以外のタイプを「劣る」という前提。

 

だから「指導」しないといけない。

「指示と従属」

 

幼稚園もわりと。

 

、、、と考えると、日本人は、もう未就学児から、ずーーと社会人になっても

「指示と従属」

なんです。

 

だから当然のように思っている。

 

でも全然当然じゃない。

 

他者比較のテスト、偏差値なんてなくても教育水準の高い国は世界にあります。

 

「指示と従属」

「他者と比較して競争させる」

 

これ。

植民地時代の、いわば「徴兵」要員育成のロジックですね。

 

だけど、一番の課題は。

「人々がそういうものだ。仕方がない。変えようがない」と思っているところ。

 

これだと何も変わらない。

 

経済低迷。

 

少子高齢化が原因じゃないですね。

それは外的要因。

 

高齢化でも成長している国あります。

(産業構造の違いはありますが、生産性ははるかに高い)

 

別に太平洋戦争で国土が壊滅とか。

元寇で、日本の存立の危機とか。

 

今、全然違います。

 

たいしたことない。

 

いくらでも変えられる。

 

そう思っています。

 

それでは今日は、このへんでー!