ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

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”いわゆる”輪廻転生、、、え?なんで「いわゆる」なんてつけたんだろ、この人・・・という話

かとうゆうです。

 

さて今日は「輪廻転生」

 

え?

アヤシイ?

逆に「それあると思うよ」

 

実は、、、どちらも実際とはちょっと異なるかも、という話です。

 

結論からいうと「”いわゆる”輪廻転生”」というのは、

もう

「自分がいつ終了してもよい時代」にあります。

 

というのも。

そもそも

「何か前世の行いにより、結果として今世で体験する」

「多くは、痛みや苦しみは、前世の原因」

 

そんな「ペナルティ」のような感じですが。

 

ちなみに「過去も未来も今も同時に存在している」ので、そもそもその視点からすると「輪廻転生」という時間的直線構造は「存在しない」のですが。

 

その「あなた」の体験を選択したときに、必要な過去や未来が「つながる」という構造なのですが

 

一旦、ここでは3次元視点に焦点をあわせまして。

時間的直線構造を前提に、以下書いていきます。

 

 

さて。

この「ペナルティ的サイクル」が生まれたのは、実は最近だそうで。

数千年くらいといわれてます。

 

なぜ生まれたか?

アトランティス以降、地球はどんどんネガティブパワーになったいきまして。

その中で

「原因を作ったら、同じ結果を味わう必要がある」

というロジックが定着し。

 

だいたい数百回とかそれ以上、地球の、しかも「前世縛り」を受けた形で転生してきましたが。

 

実は、これ「あなたの定義」なんです。

 

「もう苦しい時代だ。この苦しい時代を乗り越えるには、苦しみを体験し、乗り越えなくてはいけない!」

そんな観念。

 

で、、、たぶん、ですね。

数百回、転生なので。

殺人、他殺から盗みやら略奪、挫折、破綻。

ありとあらゆる「ネガティブ」を体験してきましたが。

 

実は「ネガティブな定義」なんです。

 

もちろん「ネガティブ」を体験する意味があって、何百回と繰り返してきましたが。

「そろそろ卒業してもいいんですよ?」という時代です。

 

 

わかりやすくいうと「あなたが選択した定義」です。

もちろん本人は「社会・全体・周囲」をみて・・・ですが。

実際は、たくさんの選択肢がある中で「こうだ!」ということで選択したんです。

 

確かにどんどんネガティブパワーになっていったので、

「そこでサバイバルするためには、”輪廻転生”というサイクルで乗り越えるしかなかった」ということもありますね。。

 

なので、決して否定しているわけじゃないです。

「やむにやまれぬ・・・」という側面。確かにありますので。

 

 

でも。

実際のところは。

 

「死んだ後は、いくらでも選択可能」

 

 

どっか別の恒星系にいくもよし。

もう一度地球もよし。

スピリットガイドになるのもよし。

全く別次元にいくもよし。

 

ぜんぶ「選択可能」なんです。

 

もちろん「ネガティブな観念」が残っている状態がありますが。

それも「どういう体験を通じてポジティブにしていくか?」

 

自由。

 

別にもう一度地球にきて、もう一度同じ体験をする必要もなく。

別の次元で、別の形でもいい。

 

「気づくこと」「何かネガティブを前世でしてしまったら、それを体験するのではなく、それを防ぐ・・・ことでも可能」「あるいは体験自体を別の形に変換すること」も可能なので。

 

「あ。。。これ完全にネガティブだし、それはこんな思い込みからきてた。。。なんだ、自分で招いていた」と。

 

なので

「選択可能」

 

で。

今、今地球全体がアセンションとかいろいろいわれてますが。

 

要するに周波数が急速に上がっているので、

ネガティブ=地球環境破壊、戦争

ポジティブ=気づき、思い出す、本当の自分

 

これが顕在化している。

 

ポジもネガもどんどん顕在。

 

さて。

「あなたは、どちらを選択しますか?」

 

実は「どっちでもいい」んです。

 

どっちも、価値ある体験なんです。

なので「選択」

 

これまで同様の「輪廻転生」という考えでトライするもよし。

もう「輪廻転生はいいや」ということで異なるトライをするもよし。

 

なので。

今は「選択の時代」ともいえます。

 

そうそう。

「”いわゆる”輪廻転生」

これを支えたのが、宗教と組織という概念です。

 

といっても、たとえば仏教を否定しているわけではなくて。

ブッダは「とにかく気づいて!」ということで、あの手、この手で、説いていった。

わかりやすく。

理解できるように。

 

法華経なんて、今の宇宙論と相似するところたくさん。

 

「でも、このまま”いわゆる輪廻転生”をし続けても、ある意味、ずっと自分にペナルティを与えることになる」

 

「そうじゃないんですよ。違う選択があるんですよ。」

 

それでいろいろ宗教が登場。

だから意味はある。

価値はある。

 

けど、あくまで「当時の・・・」です。

”いわゆる”輪廻転生というものを体験したい人向けの・・・っていうことですね。

 

「もう自由に選択しよう」

という人にとっては、違う視点、あるいは同じ仏典でも異なる視点でみていくのがベターかも・

 

宗教。

組織。

上下関係。

 

この概念が「”いわゆる”輪廻転生」という体験を支えました。

 

言い換えますと。

 

イデオロギー(何か特定の考えや思考) = 宗教

集団同化(個人より集団) = 組織

指示と従属 = 上下関係

 

はい。

これ、、、今の。

 

企業も。

教育も。

政治、経済。

 

実は「多くの基盤」にもなっています。

 

カイシャってそうですね。

特定の目標を、特定の少数で決定。

それに従う集団を構成し、組織化。

指示と従属。

 

教育も。

先生という「優位者」

 

一方、

管理職のいないティール組織。

他者評価のない制度。

個人との契約を重視したオファー制。

スキルシェア、副業、フリーランス

 

「集団ありき」ではなく

「個人、その人ありき」の社会システムがどんどん登場していますね。

 

なので「アセンション

 

精神だろうが、身体だろうがどんな障がいあろうと

LGBTqなど少数の視点を持つ人であろうと

なんであろうと

 

「すべての人、ひとりひとりに価値がある社会」

 

ここに向かいつつあります。

 

なので「アセンション

 

なので「選択」

 

いろいろ新しい流れを書きましたけど。

”いわゆる”輪廻転生。

そして「カイシャとはこういうもの」

という中での体験も重要なんです。

 

なぜなら「オールザットイズ」からみたら

「ぜんぶ、素晴らしい価値ある体験」なので。

 

進んでいるとか、遅れているとかじゃないんです。

「あなたの本当の成長にとって、必要かどうか?」

選択の話です。

 

なので「あなたがそれを選択するか?それが自分の成長にとって必要かどうか?」

 

フィジカル脳で考えるのではなく、ハイヤーセルフマインドで考えたときに「どう選択するか?」

 

二極化ともいうべき、どんどん加速している中。

「どう選択するか?」

 

そして「どの選択も、価値はある」ということですね。