かとうゆうです。
息子・中学生と宇宙理論の話をしてます。
量子もつれから、ホログラフィ理論とか。
親の私もよくわかってない中ですが、息子の方が直感的に理解しているみたいで(笑)
「これはこういうもの」
という固定観念が息子にはあまりないので、受容力が違います。
息子曰く、
「わからんところもあるけど。要するにゲームと同じ世界ってことでしょ?」とか
「わからんところもあるけど、なんか違うと思うよ。だって、存在は認識なんでしょ?」とか。
わからない、だけではなくて、本人なりに理由を述べてくれます。
話はあちこちに飛びまして。
魂とか輪廻転生とか。
これも固定観念ないので、
「科学でも、意識と肉体の関係がわかってないってことは、意識って別の論理があるんじゃないの?」とか。
考えてみれば、
霊なんていない、輪廻転生なんてない・・・っていうのも、「脳や精神状態の動きで説明できるから否定する」という論理はありますが、「それ自体が、そもそもありえない」という論理的否定はみたことがないですね。
そんなのみたことないし、みたとしても「脳や精神状態」だという反論は多いけど
そもそも成立しない、それは時空や次元の法則からいってありえない!っていうパワフルな反論はみたいことがない。
人々も「あやしい」っていってますけど。
何か論理的根拠があるわけでなくて
「(みんな、と思っている、みんな)がそう思っている」というくらい。
で、、、葬式とか仏前に手を合わせて語りかけてたりします。
結局、社会通念。
「みんなそう思っている」というだけかなって。
最新科学からいうと、むしろますます「スピリチュアル的思考」に近づいてます。
時間、空間は存在しない。
量子は観測者によって位置が確定する
ビックバンだって、マハーバーラタとか古代の神話とされるものと相似してたり。
たぶんそのうち
「魂とか輪廻転生はあやしい」という方が、「みんな思っているわけではない」という状況になるんだろうな、と。
そうすると逆にそれを否定すると、
「(みんな、と思っているみんな)はそう思っていない」なんていうのかも。
そう考えると、
これが自分の信念
これが自分の常識
当然
そんな風に思っていることって、たくさん「単なるイメージとしての社会通念」ですね。
幼い頃から、周囲や親から「そういうもの」といわれ続けて「そうだ」と思っているだけ。周囲も親も、論理的根拠はなく、「そういうもの」を世代的に受け継いだだけ。
大人になるとそれが「堅く」なってしまう。
でも10代は、やわらかい。
歴史が若い人によって革新されてきた事例はたくさんありますが。
20代以上の人たちも「負けちゃいられない」ですね(笑)
それでは今日はこのへんでー!