かとうゆうです。
前回「情熱=自分」状態に。
気がつくと「他人の情熱を借りようとしている」・・・という話を書きました。
でも、まだ「手放す」ものがあったようです。
特に仕事などをしているときって、どうしても
「こうすべき」
「こうあった方がいい」
って思います。
特に組織とか職場の人間関係とか。
それ自体は「大事」だと思っています。
なぜなら「プラス」になるエネルギーの可能性があるから。
でも、すごくリスクも。
「定義づけ・レッテル」
これをしていることがとても多くありました。
「これはこうだから、こう」
その「こうだから」という認識自体に、「偏見」「思い込み」が潜んでいる。
でも、これをみつけるのってわりと簡単です。
「あらゆる事象、他者に、本質的に”ポジティブ””ネガティブ”はない」ということですね。
それぞれ意味や価値があります。
たとえどのようにみえたとしても、その人は「必要だから、その選択にある」わけです。
なので、「すべて”学ぶ””経験する”」という視点でみると、ポジティブもネガティブもなくて。
「ただ”ある」というだけですね。
とはいえ、「ポジティブもネガティブもない」という視点にとどまってしまうと、今度は「プラスのエネルギー」、さらによりよいものにしにくい。
十牛図でというのがあります。
禅なんですけど、これとても示唆あると思っていて、よかったらネットでみていただければ、、
牛という悟り、と自分
これを10枚の絵にしました。
牛(悟り)は最初は離れていて、自分は「存在すら気づかない」
牛(悟り)をつかまえるけど、牛はあばれる
でもだんだん「人牛一体」になる。
そして第9図が「円」
丸い円が、黒い筆で「まるっ」と書いてあるだけ。
これがポジティブもネガティブもない、「円満の境地」
でも、次があるんです。
最後の図
自分が村に帰って暮らす、です。
第9図で終わっていたら、何も生み出せない、というか「空」ですね。
だけど、最後「市井に帰って行く」
人間関係の葛藤やら、お金といった現実やらが渦巻く「現実」に帰る。
そこで「悠々」と生きる。
すべてを飲み込んで、すべての中に入っていく。
これは本当にすごいな、と。
そしてポジティブもネガティブも超えた視点をもちながら、「現実を楽しむ」
あらためてすごいなーというのと。
なぜかふと十牛図を思い出したんですけど、あらためてそれもすごいなーと思いました。
それでは今日はこのへんで-!