ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

ポジティブもネガティブも”ない”という視点の先にある「楽しむ」

かとうゆうです。

 

前回「情熱=自分」状態に。

気がつくと「他人の情熱を借りようとしている」・・・という話を書きました。

でも、まだ「手放す」ものがあったようです。

 

fivelaws.hatenablog.com

 

特に仕事などをしているときって、どうしても

「こうすべき」

「こうあった方がいい」

って思います。

 

 

特に組織とか職場の人間関係とか。

 

それ自体は「大事」だと思っています。

なぜなら「プラス」になるエネルギーの可能性があるから。

 

でも、すごくリスクも。

「定義づけ・レッテル」

これをしていることがとても多くありました。

 

「これはこうだから、こう」

 

その「こうだから」という認識自体に、「偏見」「思い込み」が潜んでいる。

 

でも、これをみつけるのってわりと簡単です。

「あらゆる事象、他者に、本質的に”ポジティブ””ネガティブ”はない」ということですね。

 

それぞれ意味や価値があります。

たとえどのようにみえたとしても、その人は「必要だから、その選択にある」わけです。

 

なので、「すべて”学ぶ””経験する”」という視点でみると、ポジティブもネガティブもなくて。

 

ただ”ある」というだけですね。

 

とはいえ、「ポジティブもネガティブもない」という視点にとどまってしまうと、今度は「プラスのエネルギー」、さらによりよいものにしにくい。

 

十牛図でというのがあります。

禅なんですけど、これとても示唆あると思っていて、よかったらネットでみていただければ、、

 

牛という悟り、と自分

 

これを10枚の絵にしました。

 

牛(悟り)は最初は離れていて、自分は「存在すら気づかない」

牛(悟り)をつかまえるけど、牛はあばれる

でもだんだん「人牛一体」になる。

 

 

そして第9図が「円」

丸い円が、黒い筆で「まるっ」と書いてあるだけ。

 

これがポジティブもネガティブもない、「円満の境地

 

でも、次があるんです

最後の図

 

自分が村に帰って暮らす、です。

 

第9図で終わっていたら、何も生み出せない、というか「空」ですね。

 

だけど、最後「市井に帰って行く

人間関係の葛藤やら、お金といった現実やらが渦巻く「現実」に帰る。

 

そこで「悠々」と生きる。

 

すべてを飲み込んで、すべての中に入っていく。

 

これは本当にすごいな、と。

 

そしてポジティブもネガティブも超えた視点をもちながら、「現実を楽しむ」

 

あらためてすごいなーというのと。

 

なぜかふと十牛図を思い出したんですけど、あらためてそれもすごいなーと思いました。

 

それでは今日はこのへんで-!