ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

うつ病。ストレス耐性とか、自分を責めないとかいいますが、経験者としては「それって気休め」かも。うつ病は「全面的にポジティブ」という本気のブログ

かとうゆうです。

 

今日は「うつ病?それ、めちゃポジティブだ」という話。

 

ただし!

うつ病になったのは、あなたを責めないで、ストレス耐性をつけて・・・

 

といった視点ではないです。

 

うつ病経験者として、いうと。

この視点は「単なる気休め」にしかならないことが多いからです。

 

なぐさめようとか、ストレス耐性をおけよう、とかそういうことじゃなくて。

うつ病は、本気にポジティブ

 

そんな話です。

 

さて、大事なポイント。

「ネガティブは、生来、本来の自分に”存在しない”」というもの。

 

脳科学や神経学では不安や恐れは、かくなるプロセスで生まれると。

しかし、これは

「発生した後のプロセス」です。

 

サバイバル・生存のために「必要だ」という科学もありますが。

「なぜ、そのそもそれが必要だ」という話はきいたことがないです。

 

冷静になると。

サバイバルするために、「ネガティブを感じる」というのは必然ではないです。

 

別に「ポジティブ」に考えてサバイバルすることも、別におかしい話じゃない。

 

そもそも。

「サバイバル・生存」・・・とは、ネガティブな戦い

 

という定義があるからですね。

 

そもそも「ネガティブ」は、私たちソウルレベルに存在しないです。

 

究極的には「ポジもネガもなく、すべて価値ある体験」です。

 

 

結論を急ぎますと。

うつ病というのは、”本当の自分に深く入っていくための変容のプロセス”」です。

 

なのでシンクロ的にいうと

「必然的に経験する」プロセスです。

 

必要な人は、必ず経験します。

 

うつ病

とにかく「遮断」したくなりますよね?

 

友人知人との接点はもちろん。

生活するための行動自体も。

 

「なんにもする気がしない」

 

とにかく重い。

 

でも、実は「なんにも・・・・」していないわけじゃないんです。

 

考えてますよね?

 

ぐったりしているときでも。

「自分は・・・」

「あのとき自分は・・・」と。

「自分はもう・・・」

 

 

そうなんです。

実は「一切を遮断して、自分を深くみる」ために起きているプロセスです。

 

だから正確にいうと

「自分」の内面以外は、「なんにもしたくない」状態。

 

でも。

こう思うかも。

 

でも、自殺とか。

そこまでいかなくても「自分を責めたり」とか。

 

そういう「ネガティブ」にみえる妄想がたくさん浮かびます。

 

悲観的、になります。

 

でも、これ悲観のために起きているんじゃないんです。

 

・捨てるもの、放置するものに気づいて!

・それは壁じゃない!壁は、横から抜ければいい!

 

これを強烈に体験するために

強烈に起きています。

 

なぜなら「大きく変容したい」と、あなたのソウルがいっているから起きています。

 

だから「一見、ネガティブ」

だから悲観。

 

でも違うんです。

 

私の場合。

仕事が原因でしたけど。

 

2つありました。

捨てていいもの。

 

「あなたは、周囲の期待、会社や組織の要請に合わせる必要がないの!あなたは、あなた自身でいいんだよ!」

 

「日本に会社はいくつある?その会社にしがみつく理由なんてどこにもない。問題を解決する必要はない。なぜなら、それは”問題”じゃないから。壁じゃないから」

 

これで長らくつとめた会社を、スパッと辞めることができました。

同時に

「出世・キャリアに興味がない」自分も気づき。

 

新しい会社では昇進は一切無関心。

「役立ちたい!」それだけです。

 

自殺念慮は私はありませんでしたが。

 

自殺。

すべての未来が遮断されている・・・と感じている。

 

その「自分」

 

その自分が「大きく変容するため」に、ライフテーマとして必然的に「自分が設定した場面」

 

そんな風にとらえ直すと、

ネガティブ。

苦しさ。

重さ。

自殺念慮

 

こうしたことが、

「こういう環境、こういう職場だから起きて、それをどうにもできない自分がいたから」

という他律的ではなく、

 

「自分が設定した場面」

 

さらにいうと。

 

「自分には、何も足す必要も、修正する必要もない」ということです。

 

人間関係。行き詰まり。そしてそれを克服できない自分。

 

その「できない自分」は存在しません。

 

これ大事なことなので繰り返しますと。

 

うつ病になった自分を、何か足したり、学んだり、直したりする必要は

一切ない」ということです。

 

一切、です。

 

心理ケアでは「ストレス耐性」なんていいまして。

それに「強い自分」になるように、なんていいますが。

 

言い換えると

あなた以外のあなたになれ」ということなので。

これ、実際には余計に苦しくなります。

 

「あなた以外」になる必要がないんです。

 

不眠、頭痛、吐き気、めまい。

特に不眠。

 

「眠らないといけない!」・・・現代医学はそういって薬を渡します。

 

言い換えると

「眠るという、あなた以外のあなたになりなさい。」ということです。

 

なので、眠る、というあなた以外になるために余計に苦しくなる。

薬に頼るしかなくなる。

 

「眠れない」

これ、悪いことですか?そもそも。

なにか「直す」必要ありますか?

 

ちなみに高次元では「睡眠」は存在しない。

地球上でも高次元の人は「睡眠は2,3時間あれ十分」です。

 

眠る=善

眠れない=悪

 

善悪じゃないです。

 

眠れない?

だから?なんだというの?

 

頭痛も、吐き気も。

健康=善

病気=悪

 

という善悪定義ですね。

 

頭痛がするということは「あなたはもう少しで変容できるんだよ!」というサインかもしれません。

吐き気は「もう、あなた以外のものを”消化”する必要はない」というメッセージかもしれません。

 

善悪判断。

これ、一切放棄してください。

 

症状を感じている自分。

不安、恐れを感じている自分。

 

それを

全面的に「許可」しましょう。

受け止めましょう。

 

一切の「悪」もない。

一切に「不足」もない。

一切の「訂正」もない。

 

不足だから、訂正があるから。

あなたに不足や、訂正することは、一切ないんです。

不足や訂正があるから、これが起きたわけじゃないんです。

 

そういう人間関係。苦しいと定義し、困窮した自分。

 

すべては「遮断して、自分を深くみるために起こっている」こと。

そして「それは、自分がライフテーマとして生まれる前に設定していた出来事」

 

そして、これは多くの場合「変容」のために起きている

 

だから「何も足す必要も、直す必要もない」一切、ない

 

そして。

「変容」

というと。

 

なにか現実が変化すること

 

これに焦点をあてがちですが。

それも他律的です。

 

たまたま私は転職という形ですが、転職自体が変容じゃないんです。

 

変容。

なにも現実は変わらないように、見える

なにも他人は変わらないように、見える

 

見える。

どうでもいいんです。

 

現実が変わろうが、変わるまいが

「しっかり深く自分をみつめていく」

うつ病になった自分を全面的に受け入れる」

 

そうすれば。

「もう、いいや。3ヶ月か半年かわからんけど。自殺したいならその気持ちのまま、ずーっと寝てよ。あとは知らんわ。」

「まぁ、1年半は手当でるから、休んでやろう。」

「あ。そうか会社やめりゃいいんじゃん。失業手当結構もらえるし。なんとかなるわ。」

「ゲームしかやる気しないわ。ゲームだけ、しよ。外出したくないからネットでいいや。」

 

一切の善悪捨てて「本心」に従う。

外出できる=善、じゃないです。

外出できない?だからなんだというの?

 

料理とかもうぜんぶめんどー。

だから?

 

電気をつけたり、カーテン開けるのも、おっくう。

だから?

 

善悪、一切捨ててください。

何も「おかしなこと」は起きてません。

 

社会は「定義だらけ」

 

何か特定の言動=優れた人

何かを設定した瞬間。

 

健常者を設定した瞬間、「障がい者」という定義。

 

なにか特定のものに「優れている」「健康」「らしい」

と定義した瞬間。

 

それ以外を「排除」するんです。

 

だからそれ、一切捨ててください。

 

そして「自分の内面に深く入っていく」

 

結果的に「なんらかの行動」につながり、なんらかの現実の変化をみますが。

それは「結果」

 

どっちでもいいです。

 

大事なのは「自分」

気持ち。

本心。

 

あなたが、最もあなたらしくリラックスできること。

 

なぜなら「うつ病は、変容のために、あなたが設定したライフイベント」だから。