かとうゆうです。
少し更新間隔があいてしまっておりますが、、、
いろんなシンクロを体験していて、良い意味ですごく忙しい毎日です。
シンクロっていっても、なにか爆発的、エポック的なものではなく、日々の日常で自然に起きている、、、、そんな感じです。
そして同時に学んでいます。
「シンクロ自体にネガティブもポジティブもない」
「ポジティブにするかどうか?は自分次第」
引き寄せの法則とか思考が現実化する、、、、いろいろいわれています。
深く読んでいくと実は同じことを語っていることに気づくのですが、
一方で「表面的」に理解してしまうと、
「引き寄せがおきない!現実化しない!」を体験しやすいかも、と思っています。
シンクロ自体にポジティブもネガティブもない、と書きましたが。
たとえば「批判してくる人が登場したとき」
表面的には「願望する力や心が”足りてない”から」と思うかもしれませんが、
実際には「十分足りているから、起きている」のだと感じています。
そうした人が登場したとき。
深く理解する、、、その例えとして書きますと。
次のような考え方です。
「批判する人・・・というのは、自分の投影でもあるので、そもそもそういうところが自分にあるのかもしれない」
「あるいは自分の投影ではなくても、”それは違う”ということをもっとしっかり認識するために起きていることかもしれない」
そのような考え方です。
ひとことでいえば「自分の世界のこと」として捉える、です。
自分とは分離された「別の存在」として捉えると、実は「そこにパワーを与える」ことになります。
なぜなら「これに気づいて!そしたらもっとシアワセになるよ!」と一生懸命伝えようとしているのに、分離して、別のことにしてしまうと、ますます「一生懸命伝えよう」とすることになります。
結果、、、それがさらに助長していきます。
ネガティブな見方は、ネガティブな現実を助長する。
つまり「自分の願望や心が”十分足りているから”」こそ起きています。
なので「自分の世界」として、
・「なにを気づいてほしいんだろう?」そんな視点で考える
・「あ。これかな。」と思う
・そう思うと同時に、「ああそうか。そう考えると、これって必ずしもネガティブってわけじゃないな」
表面的なネガティブとかポジティブを超えた視点に自分が立つ。
そしてあらためてポジティブな意味を与える。
これによって、引き寄せなり現実化ができていく・・・そんな感じかと思っています。
とはいえ、、、こうやって書きましたけど。
実際の私は「右往左往」です。
「なんだよ!早く言ってくれ-!」なんて、ちょっとムッとしたり。
右往左往しています。
でも焦らずに「気づきがあるんだろうなー。ま、そのうちわかるだろうなー」なんて、同時並行で、少しだけ頭の片隅にいれておくと、シンクロが起きて、
ふとみた動画とかでヒントがあり。
「あ。そうか。」
と自分のネガティブなものを解放することになり、そしてまたシンクロに・・・
そんな感じです。
なので、視点を持つといっても、聖人君子になる必要はなくて、
「答えはいずれみつかるだろうな」
そのくらいのやわらかい感覚でも、十分大事かなーなんて思ってます。
とはいえ、、、不器用にやってますけどね(汗)
それでは今日はこのへんでー!