ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

シンクロは、すべてにポジティブな意味を与えられるし、それは自分次第。なので一見ネガティブにとらえることも頻繁にあります

かとうゆうです。

 

若干、更新あいちゃいましたが、、、

 

引き続き「シンクロの見分け方」です。

 

「シンクロ自体に、ポジティブもネガティブもありません」

「高い見地からもたらされる”必要”な”問いかけ”」

「すべてにポジティブな意味を与えられるし、それは自分次第」

 

たとえば、これは実際の私の経験です。

 

A社にいました。

でも、もう「昭和的」すぎて、未来がないな、、、と。

企業も、教育、政治、経済すべて「メガトレンドだな」と。

 

そもそも企業に階層構造(身分制)は必要ないし、指示と従属の関係も時代遅れ。

 

役割と存在は別

 

社長だろうがなんだろうが、存在は対等。

「すべての人が価値ある存在で、フラット」

 

そんな価値観を持てばもつほど、A社で「息苦しさ」を。

 

で、、、

そのときは何も思わず、転職活動を開始。

B社内定。

 

しかも「わくわく」したんです。

家族も「なんかわかんらないけど、きっといい選択だよ」と。

 

 

そこで「いけるな」と飛びこんだ。

 

 

でも、、、、なぜかやればやるほど苦しい。

おまけに、会社全体はわりと自由なのに、私の部署だけ、部長のせいで「昭和的」

身近な人間関係も、信頼が構築できず、頼る人もいない。

 

「あれ?おかしいな、わくわくしたのに」

 

で、、、結局「もはや不可能」になり、

妻もみかねて「私がっつり働いているから、収入は心配しないで、やめたら?」

と。

 

失業を意味するので、相当迷いましたが、この妻のひとことで「決心」

 

すべてを「放り出し」ました。

もう「昭和的、前近代的」な中で働くのは、まっぴらごめんでしたし。

ジェンダーギャップも残存している企業社会は「ありえない」と痛感してました。

 

なので大学卒業以来、はじめての「次がない状態」で「退職」

 

失業給付でもうけて、ゆっくりやろうかと思ってました。

 

その矢先!

 

テクノロジーを使った、不登校・ひきもり支援のプロジェクト応募。

 

応募したら、すんなり合格。

やってみたら「めちゃ楽しい」

フリーランス最高!」

 

もちろん試行錯誤、葛藤、ハレーションはありますが、会社員時代と全然違います。

 

そして、、、今、A社からB社への経緯を振り返ると

 

「あ。これシンクロだ。」と。

 

「B社自体にわくわくしたんじゃなくて、”B社のその先”が待っているからわくわくしたんだ」と。

 

「脱サラ・失業」なんて、滅多なことじゃできない選択肢ですし、私に人並み以上の勇気があったわけじゃないんです。

 

でも、「どんどん追い込まれ、煮詰まり」・・・そしてふとした「妻の言葉」

妻はちなみに「お金はめっちゃこだわる」ので、脱サラなんてとてもいえないって思ってましたが、まさかの「やめたら?」

 

清水の舞台どころの話じゃなかったですが、「どうにもこうにも飛び降りるしかない」状況。そして身近な人が、普段ではありえない「言葉」

 

「あ、、、これ。。。”ぜんぶ放り出して前に進みなさい”」「今がそのタイミング」

だというシンクロだな、と。

 

そして「本人にとってはかなり勇気が必要で、普通ならできないから、あえて強烈な形で現実化」したんだな、と。

 

そう考えると、B社時代は結構しんどかったですが「ポジティブ」ですね。

 

引き寄せにしても、願望実現にしても、「その人が本当に脱皮する」必要があるときは、中途半端な、表面的なことは一切起きてこないと思っています。

 

就職、結婚、恋愛、お金・・・すべて「それ自体がかなうかどうか?」は高次の存在からすれば「本質はない」ので。

 

誤解なくいえば「どっちだっていい」わけです。

 

本質は「自分」

「自分が脱皮すれば」、逆にいえば、就職でも結婚でも、、、ですし、脱皮した結果「それが実現しないことで、さらにパワーアップすること」もあるなと。

 

なので表面的な願望とかかなえようとしても、かなうはずもない、って思っています。

深く、しっかり「自分という世界」を知る必要がありますので。

 

それでは今日はこのへんでー!