ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

働く・・・「仕方ない」のも「仕方ない」と思っていたら???もう追い越しちゃいましょう、資本主義さんを!という話

かとうゆうです。

 

今日は「働く」の話。

 

「そういうもの」と思っているもの。

ぜんぶ「不自然」だと思っています。

 

例えば、ちょっと病気とか介護とか。

カイシャで「いやー、ちょっといろいろ事情で・・・」

なんていって、あまり理由をいわずに休む。

 

理由をいう・・・プライベートをカイシャに持ち込む

 

だから「あまりいわない」

 

こんな感覚。

 

この感覚。

実は「不自然」だと思っています。

 

さて。

「働く」

 

資本主義によって「働く」が

分断され、外部化されてしまいました。

 

それまでは

「生活=自分を表現=働く」

これが、シンプルに一致。

 

もちろん戦争の時代なので、生存のための深刻さはありましたが、その深刻さ以外でいうと上記の構図。

 

つまり。

「働く=分離していない」

 

ところが。

資本主義の登場。

 

「お金あげるから、いわれたことを、いわれたとおりにやって」と。

 

そのため「生活=自分=働く」から、

「働く」だけを、分離。

 

この瞬間。

「プライベート」「パブリック」も分離。

 

そして分離された「働く」は、

・お金をもらう以上は、少々やりたくないことも仕方がない

・いわれたことに興味なくても、やるしかない

・つまり、それがカイシャってものさ

 

 

同時に、これが登場。

「働く=分離=自分とは違う場所」

そのため「自分を守る」ために、プライベートを設置。

 

そうしないと「自分らしさ」がどこにもなくなってしまう。

 

会社とプライベートで、しっかり「壁」をつくる。

プライベートは「自分」で、そこは最後の牙城として守る。

 

こんな感じ。

 

その結果。

「いやー、まぁ、そのいろいろ家の方で、ええ。ちょっと休みます。」

となる。

 

病気。

介護。

 

一大事です。

それはむしろ「しっかりシェア」して、お互いに助け合う方がいい。

 

でも「なんとなく”ぼかす”」感じ。

 

もちろん、ぼかすのはそれだけの理由によるものとは限りませんが、そういう要素を感じています。

 

なので、ぜんぶ「不自然」なんです。

・カイシャは、お金をもらうところから、がまんするしかない

・やることや所属は「指示」される

・やりたくないことも、ある程度やるのがカイシャイン

 

 

なぜなら、上記の状態。

シンプルに考えると「ネガティブ」ですよね?

 

引き寄せでいうと「ネガティブ」を強化している感じ。

 

ところが!

今、時代は明らかに変わってます。

 

スキルシェアとか。

副業とか。

複業とか。

 

まだ少ないですが「複数所属」なんてのもある。

 

さらに「オファー型」

年に一度の勝手なる人事異動。目標設定はなくて。

自分と組織代表による「対話」で、決める。

公募して、社内採用する。

報酬も「両者の合意」

 

 

こんな企業も出ている。

 

シンプルに考えてみると。

ガマンとか

シカタない

とかそんな気持ちが存在している組織がパワフルになれるわけがない。

まして業績も。

 

たいていの会社。

業績がいいっていっても、ほんの一部。

たまたま「生活=自分=働く」が一致。

労働の外部化が相対化できた人だけ。

 

でも、その人もやがて異動させられますが、、、

 

もし、そんなネガティブなく。

メンバー全員が生き生きしていたら、業績はもっとあがるでしょう。

 

なので。

経営。

業績。

そんな観点からいっても、「労働の外部化」状態は、もう「大航海時代16世紀の会社」概念です。

中世の概念。

 

でも、もう卒業です。

 

今や、資本主義の外部化ルールを、どんどん「個人」が追い越している時代。

 

ちょっとやってみませんか?

ココナラでも。

ストアカでも。

なんでも。

 

ちょっとみると

「あ。わりと、ふつーの人が、ふつーにやってる」ことがわかります。

 

ありますよね?

好きなこと。

「趣味」なんて箱に閉じ込めてしまっている興味。

 

あるいはSNSでも。

ちょっとつながってみる。

よさげなグループに入ってみる。

 

いろいろ。

 

もう資本主義さんが縛っているものを、「どんどん追い越しちゃえ!」

 

そう思っています。

 

それでは今日はこのへんでー!