ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

気づかずに「自分で、自分を裁く」、そして「過去」を作り出す、、、、すべては「中立」、そして「自由」

かとうゆうです。

 

 

今日は「自分を裁かない」です。

 

特に過去。

罪悪感、後悔、羞恥

 

 

わりとありますよね。

 

現時点だと

恐れとか不安

 

 

過去のそういう「ネガティブ」だと記憶していることって

ときどき想い出して

あのときは・・・

 

なんてことあったりしませんか?

 

でもまず

その過去って

「過去」じゃないっていうことかなって。

 

つまり。

PCとか記憶装置に保管されているものは「ファクト」

 

でも記憶上の過去って

「今、作り出している過去」

ですね。

 

というのも、過去を思い出しているときって、

「あのとき、あーだったけど、実際はこうだったかも」

なんて、いろいろ解釈を変えようとしたり、色づけを変えたりしようとしたり。

 

なんども思い出しても、正確に、まったく同じ「過去の風景」か?というとそうでもなく。

 

イメージ、ですね。

 

つまり

「今、作り出している過去」

です。

 

おもしろいのは、

ちょっと飛躍しますが

 

霊魂がこの世にとどまって・・・なんていわれますけど。

 

そのときの「霊魂」って、まさに過去を思い出している、その「イメージしている」と同じ世界なわけです。

 

そこに「執着」し、とどまっていると、霊魂がこの世にとどまって・・・なんて状態になる。

 

ほんとはもう死んでいて、次のステップにいっていいのに、とどまる。

 

「とどまる」

 

って、私たちが今、イメージで「過去」に「とどまる」のも同じ。

 

つまり、私たちが「イメージしていること」

これがつまるところ、スピリットの世界そのものですね。

 

たまたま肉体があるという認識を持っているので、霊魂がとどまる・・・なんてことにはならないですけど。

 

でも「過去にとどまる」っていうのは、霊魂がとどまっているのと同じ状態なわけです。

 

量子力学でも「時間は存在しない」なんていわれます。

 

時間とは、連続性を保つための認識に過ぎない、と。

 

未来についてはちょっと追加の解釈が必要になりますが、「過去」はまさしくそうですね。

 

私たちが「過去」だとイメージし、そこに後悔したり、執着したりするのも、「今、生み出している」だけです。

 

そして、これがもっとも重要なのですが。

 

「過去にあったことは、すべて体験として、価値あること」

 

だということですね。

 

罪悪感という体験

羞恥という体験

 

それは「自分の投影として引き寄せた」のであれば、「なぜ引き寄せるネガティブがあったのか?」

 

「運命的に設定されていた出来事」だと感じるのであれば、「設定したのは自分だから、だとしたら、そこでどんな選択ができたのか?ちがう選択があったとすれば、それは、今に生かせるか?」

 

 

などなど。

 

難しく考える必要もなくて、要は

ものは考えよう」っていうことですね。

 

そして私たちは「考える、イメージする」というスピリットの世界が「本体」で、肉体は「アバター」ですから

 

ものは、どんな風に、どのように解釈するのも自由だし、

どんな解釈も「事実」だということです。

 

そう考えていくと、

 

究極的に

「自分は完全に自由だ」ということに気づきます。

 

実は、過去を「罪悪」「羞恥」

そして現時点を「恐怖」「不安」

と「イメージ」しているのは、「自分」で

 

それは実際のところ「どのようにでも変えられる」し、変えていいということですね。

 

なぜなら、宇宙が進化・創造しているように

私たちも進化・創造している。

 

仮にネガティブだと定義した体験も、それがやがて「芽生え」となって、次のステップを導く・・・

 

その意味では「ネガティブ」自体存在しない。

 

同時に「ポジティブ」も存在しない。

 

ポジ、ネガは「自分の解釈」

そして「解釈は自由」でいい。

 

結構、私たちは、「自分で、自分を裁いて」います。

このときは「よかった」

このときは「わるかった」

と。

 

そして他者についても

これは「よかった」

これは「わるかった」

と。

 

そして、その「よい」「わるい」の定義の上に、行動しています。

 

あのとき「わるかった」から、もう「やらない」とか。

 

でも、「よい」「わるい」自体が、実際のところ解釈自由

 

自由ということは

「わるかった」から、もう「やらない」という解釈もあれば

「あれがあった」から、「よかった」という解釈もいい。

 

 

そう考えると究極的に

過去も、今も、起きた、起きている出来事、現実は「本質的に中立」だということですね。

 

あとは「中立」にどんな意味をあてて、「自分がどのように自由に生きていくか?」というテーマだけです。

 

そして「中立」だということは、意味を与えなくてもいい。

「ま、あんとき、あーだったな。人生の一コマってやつだ。」とシンプルに片付けでもいいわけです。

 

 

なので、大事なのは、過去でも未来でもなく

「今、この瞬間」

 

ここに未来も過去もぜんぶ存在している。

 

今、この瞬間を、どう自由にしていくのか?

 

そこだけ焦点を当てるのがいいのかな、と思いました。

 

それでは今日はこのへんでー!