未来の自分とリンクする、そのために「手放す」
かとうゆうです。
今日は、ちょっと「注釈付き」で。
というのも、今までブログで「自分のあまり具体的な事例」を書いてきませんでした。
少しぼかして。
というのも、「具体的」であるほど、その「具体的」なこと自体を、一般化して、つまり「それらを全部」、批判や否定していると思われるのは、違うな、と。
でも、今日は、少しはっきりいきますね。
具体的なこと、あげますが、これ自体がどうこうではなく
「私という、他の人ではない、私だけのストーリーとして、必要な考え」に過ぎませんので。
さて。
結論からいきましょう。
私が「手放す」ための、最大のもの。
それは
「会社」です。
一般論ですが、会社って
・上下関係がある(えらい人、従う人が存在)
・自分以外が決定する(異動・所属・仕事内容)
・働き方が固定的(1日8時間・週5日=フルタイムできることが、”健常な人”
もちろん、私は
・組織に上下関係は不要
・仕事内容は自分で決定する
・働き方は自由に選択できる
これが未来のあり方であり、現実的にもティール組織など多くの「あり方」が登場していますね。
いつまで「中世のやり方をひきずっているだろう・・・」そんな風にみてきました。
、、、とここまでが前置きです。
冒頭書いたように「あくまで私の・・・」ですから、今、会社員でいる人を批判しているとかそういわけじゃないです。
会社員でいることが・・・ではなくて、「そこにどのような解釈やしがみつきを、”自分”が持っているか?」の話ですから。
今、会社員の人でも、「手放すべき」ものは、人それぞれですからね。
たまたま私は「会社」だった・・・というだけ、です。
で、、、
私は「非常に今の会社のあり方に疑問」を感じ、
あるべき姿を描き
「なんとかしてやろう」と。
もちろんすべては無理ですが、「私なりにできること」を探してきました。
ところが。
「この探していること」自体が、「しがみついていた」と気づきました。
「過去を手放す」とはよくいいますが。
自分なりに、”善意で”、”確信して”、”謙虚に役立ちたい”・・・と思っていましたが、私は完全に「そこ」にしがみついていましたね。
もちろん、会社のあり方もいろいろですが、
上記のような、上下・他律決定のような「会社」については
なんとかしよう、ではなく
「もう完全に手放していい」ということだと。
実はこの間いろいろやってきました。
提案書を作って、提案したり。
とある小さなセミナーで登壇したり。
いろいろな人脈、機会。
でも、「なんかうまくいかない」
「行き止まり」みたいな感覚。
自分なりに、いろいろ「行動」してきましたけど、
どれも「不発」
もちろん「不発は、やり方がまずい?」と思って、さらにいろいろやってきました。
そんなとき、ふととある動画をみて。
「あ!」と。
「私、しがみついていた!」と。
もう「なんとかする必要もないもので、だから、もう自分とは”完全に無関係”」
そして「無関係なのに、しがみついていた!」と。
同時に
「未来へ」
というキーワードが思い浮かんできました。
過去のリンクを「手放す」
手放し方は簡単です。
「批判」
「恨み」
「疑念」
こうした気持ちをもっているものは「すべて手放せます」
そうはいったって、「あのときの、あの人の言動は、今思い出しても、気分がわるくなる」・・・そんなときもあるかも、です。
でも、忘れてはいけないのは
すべての出来事、すべての他人は、実は「自分と内なるもの」との対話、です。
出来事や他人が、「自分以外の存在」してあるわけではなく、
出来事を経験する選択も「自分」
どのようなネガティブに思う出来事も、です。
例えば「あいつは!・・・」という他人。
しかし、それもソウルレベルでは、お互い「この経験をしよう」ということで、合意してきた「ソウルメイト」かもしれないのです。
現実感覚からは信じられないかもしれませんが、
「え?あいつが、ソウルメイト?お互い必要な体験だってこと!?」
その視点を持ち始めると、「その過去をだんだん手放す」ことができます。
こうして、どんどん「手放す」
この世界。
この地球。
周りの人、モノ、コト。
すべて「自分」なんだ、と。
そして、今、その自分が最もみつめるべきは
「未来」なんだ、と。
未来といっても「先の時間」ではなくて、
「未来」と設定している「未来の自分」に、
「今、なること」だと。
しかし、、、まぁ、「会社」
私にとっては長かったですねー。しがみつき期間。
よほどそういうことに対して、いろいろネガティブだったんですね。
でも、もう「それいらないよ」と。
「あなたは、すでに”そこ”にはいないよ」と。
さぁ。
今。
今やりたいこと。
やりましょう、ということなんだな、と。