かとうゆうです。
今日も私の気づいた「あ、これ【思い込み】だ」ということで。
【他者との競争】
これ当然と思われているかも?ですが、私は「不自然」だと思っています。
まず最初に出会うのは「学校」ですね。
競争原理。
他者と比べるために、統一テストやら内申点やら。
それで「優劣」「ランク」をつける。
ちなみに世界的に日本の学力レベルは低いんですが、一方の北欧諸国では、
・テストがない(自己評価としての課題表はある)
・基本的に、どの生徒も、生徒と先生の間も「対等・優劣がない」
が多いそうです。
で、北欧は教育レベルトップクラス。
そもそも教育って「ひとりひとりの育成」ですから。
っていうことは「対等」が前提です。
競争して優劣つける必要がないんです。
こどもは可能性を最大限伸ばしてあげることが、一番社会にも貢献できるんです。
ちなみにうちの子の学校は、北欧型なので、テストもないし、服装ばらばら、校則も最低限(お酒・たばこだめとか)
で卒業生は、アーティストから有名大学まで。
結局、子供は「勉強を覚える」ことではなく「勉強する楽しさや意味」を理解してもらうと、その子なりにどんどん努力していくんですよね。
次出会うのが、多くは「会社」
ここも「競争」と「ランク付け」です。
そのために人事評価ってありますけど、
世界的には今、ノーレイティングっていう制度が次々導入されてます。
「評価なし」です。
基本的には上司との1on1的な話し合いで「その人の目標達成度を話し合う」ものですね。
なので人事制度のランクって、正規分布を維持しますけど、絶対評価なので分布関係ないです。
考えてみたら、人事制度って「その人のパフォーマンスの最大化」が目的ですよね。
その目的のこと考えたら、いつもハレーションが起きる人事評価で、もめたり、人材が流出することを防ぐこともできます。
まだ発展途上なのでデメリットもありますが、この根底も「競争は必要ない」ですね。
戦後、軍人から社会に戻った人が、軍隊の「階級」「ランク」を元に、システムをつくった影響が大きいっていってます。
日本はだから、特に何か人の力を伸ばそうとすると「他者との競争」を適用しちゃいます。
でも、本質的にそれ不要なんですね。
ある人がいってました「他人が他人を数字で評価するなんて神様以外無理」って。
そうだなー、と。
評価する方だって大変だし。
私人事制度設計の経験あるんですけど、
「評価が高い人は、もっともらえて当然」と思い
「評価がそこそこの人は、不満が残る」こと多いです。
結局誰も心から納得できてない。。
なんてこともありがちです。
そもそもフランス革命で、私たちは「人類みな平等」という理念を得ましたけど、今もってそれは「平等」とはいえないですね。
もっというと、そもそも資本主義っていうのが「競争原理」です。
これについても新しい経済システムって、いろいろな人が検討してますけど、そもそも「経済的に豊かになること」のために「競争」という概念が必要なのか?から問い直してもいいかも、くらい思ってます。
あ、、共産主義じゃないですよ。そうじゃないです。
そういう「平等の不平等」じゃないです。
それぞれの人が、豊かに自分を表現することに価値がおかれる。
差別し、競争するんじゃなくて、表現されたものにどんどんONしていくようなもの、、ちょっと抽象的ですけどね。
ひとりひとりみんな「特別」
そこには「違い」はあるけど、「差も優劣もない」
そんな社会こそ、目指したいなーと思っています。
それでは今日はこのへんでー!