ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

新時代のリーダーは”判断”も”決定”もする必要がない。「誰よりもメンバーのことを想って、行動できる人」が大事。

かとうゆうです。

 

ちょっと前提を飛ばして書いていきますので、わかりづらいときは下記もお読みいただけるとうれしいです。

fivelaws.hatenablog.com

 

今日は「リーダー」とは?です。

 

リーダーは「率先垂範、優れた判断を下す人」というのは、私は旧時代の考え方だと思っています。

 

リーダーは「メンバーへの奉仕者

メンバーが力を発揮しやすい環境、メンバーのアイディアや意見を積極的に、謙虚に聞く姿勢だと思っています。

 

今時代は、旧時代とは前提条件が異なっています。

 

情報の格差の縮小。そして「組織から個人へ」です。

専門的な知識は、いくらでも手にすることができます。

インフルエンサーは、社会も動かす。

 

旧時代は、「組織」でした。

なぜなら「情報の格差」がありました。それ以前は「身分の差」も。

「知っている人」と「知らない人」に壁がありますので、リーダーや経営者というのは、一定の知識階級だったり、富裕層です。

こうした構造では「知っている人が、率先し、優れた判断をする」というリーダーが適合的です。

 

今は違います。「だれでも経営者でも、なんでもなれる時代」「個人の時代」です。

ですから、そもそも「率先する必要もないし、優れた判断はあなたができるとは限らない」時代です。

 

そしてもうひとつ。

無限のつながり」です。

知識を持ち、多様性を身につけた個人が無数のつながりをもっています。

社会は明らかに複雑化、多層化しています。

こうした中にあって、「特定の人が、すべからく優れた判断ができる」わけではありません。

 

むしろ、様々な視点を持つメンバーが集まり、対等に話し合い、アイディアを出す。

「多様性から生む」ことの方が、パワフルな付加価値を生みます。

 

世の中では「ダイバーシティ」と呼ばれますが、人権的視点だけではなく、ビジネス戦略上も、「多様な人が、多様な視点を持っていること」が、この複雑化した社会の中でパワフルな価値を生む原動力になります。

 

ティール組織はその進化形ですね。

「管理職はいません」「全員が経営者視点」です。

誰かに、働き方や職務範囲を定義され、それに従うのではなく、自律的、共同的に動きます。

 

とある会社には「マネージャー」がいません。

オフィスマネージャー」がいます。

つまり「メンバーが最大の力を発揮できるように環境をつくる人」です。

 

そもそも「マネージャー」に、働き方からやり方、あらゆる物事の判断や決定をさせるというのは旧時代です。

個人の最大化が重要ですので、働き方もやり方も多様でよい。

物事の判断は、メンバーの多様性から生む方がよい。

もちろん意見の対立などはありますが、そのときにもトップダウンで決めつけるのではなく「調整」です。

 

 

ですので、今の時代のリーダーは、

・メンバーが最大化できる環境、働き方を推進できること

・多様な意見やディスカッションをフラットな形で、より本音ベースでいえるようなディスカッションスキルがあること

・調整や納得といった「共感」を得られる人間性があること

 

これが大事だと思います。

 

ところが日本は、高度経済成長期「率先垂範」で成功しました。

ですので、多くの方は「私が進んで前に出て、私がほかの人よりも優れた判断ができる」ことだと思っています。

 

しかし時代は変わりました。

「ひとりひとりが特別である」という前提にたって、すべてを変える必要があります。

 

仮に「マネージャーや役員」であろうと「対等」です。

人としてなんら優劣はありません。

「役割と意見は別であるはず」ですが、多くの場合、上位者がいうと沈黙し、納得するしかない、従うしかないというエネルギーが働きます。

 

これではメンバーが集まって、パワフルな付加価値は生まれません。

 

ある会社では入社2年目の方が「役員」となりました。

それは「多様な視点」が必要だという判断です。

 

これも自然のことです。

なにか判断力や、スキルがすべからくメンバーより「上位」にいられる人は、ほぼいません。そういうシンプルで格差を前提とする社会からは変化しています。

 

責任の重さ、役割の違いはありますが、逆にいうとそれだけのこと「あとは全員対等です」

 

こうしてみると多くの企業が「トップダウンから自由でフラット」へ、「役職ではなく、さんづけ」など取り組んでいるのは、大きな時代の流れであり「そうではないと、ビジネスに勝てないから」です。

 

ただし、その多くでは「トップダウンが事実上残存」しています。

同僚から呼ばれても「あ、忙しい」と素っ気ない態度をみせますが、部長に呼ばれると急に飛び出す。

 

よくある風景ですが、本来「対等」がベースであれば、こうしたことは生まれません。部長だろうが社長だろうが「いやー、いまテンパってて」ですみますし、もしそれをいわれた部長や社長が「ムッと」したら、それは「私があなたより優れた人間だ」と誤解しているともいえます

 

ですので確かに各社「フラットな社風」を目指してはいるものの、実際の意思決定は「トップダウン」です。ということは「パワフルな付加価値を生む機会を制限している」ともえいます。

 

意思決定はメンバーで協議して決めればいいのです。

マネージャーだけが集まって、「方針」を決める光景がありますが、方針も「マネジャーだけではなく、メンバーが集まって、みなが納得できるものにして周知する」が基本です。

 

しかし未だに「特定の階層が方針を決め、それを伝えられたメンバーが従う」という旧時代の構造はあちこちにのこっています。

 

そもそも「方針や目標を達成するためには、方針や目標自体をメンバーひとりひとりが納得し、”よし!目指そう!と思ってもらうことが重要なはず」なのに、です。

 

なにか「重要なこと」は「特定の階層で決めるべき」だという決めつけがあって、それがマネージャーだという意識がありますが、そもそもその前提自体を変える必要があります。

 

マネージャーにしても、なにもかも背負うことになりますから大変です。中間管理職は大変といいますが、それは「判断、実行、決定」すべてをひとりで担うためです。

 

マネージャーは、環境を整える。ひとりひとりが生き生きしているかに最大の配慮をする。そして常にフラットな話し合いの場や雰囲気を作る。

そして自分の意思とは異なる「判断」がメンバー総意としてくだされても、メンバーを信じて任せる「度量」、そしてなにかあったときは自分が矢面に立つ「覚悟と責任」

 

判断も意思決定もしなくてよいし、無理に率先垂範しなくてもいい。

それはみんなで話し合って、よりよいものに決めればいい

ただとにかく「誰よりもメンバーのことを想って、行動できる人

 

これが今の時代のリーダーではないかな?と思います。

 

それでは今日はこのへんでー!