ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

あなた以外の”あなた”になる必要は全くありません

かとうゆうです。

 

多くの方は「自分以外の誰か」になろうとします。

 

学校でも、会社でもそれを求められます。

あるいは夫として、妻として、、子供として、、、

 

学校では常に「理想像」が提示され、それに合う合わないで判定されます。

偏差値とか内申とか。

 

そこで求められているのは「偏差値が高くて、先生のいうことをよくきいて、リーダーシップがあり、思いやりがあり、気遣いができ・・・」

 

そんな生徒はいません。

いる必要がないのです。

 

なぜなら生徒は「ひとりひとりが特別」だから。

 

会社でもそうですね。

コンピテンシーだ、スキルだ、と。

果たしてコンピテンシーの理想通りの人って、そもそもいるのか?

仮に全員がそうなったら、まるで「量産ロボット」みたいです。

 

長所は短所。短所は長所。

相対的な見方で意味はありません。

 

評価された、されないの世界に生きていると自分を見失います。

あなたは、あなたのままでいい。

 

大自然の、大きな海を前に、精一杯背伸びをしている「あなた」でいいんです。

 

たしかに私たち社会は「あなた以外の誰か」を常に求める。

子供のときからずっとです。

 

だから身にしみついてしまっている。

 

だけど、「ひとりひとりが特別」でいいんです。

生徒なら、「内気で、挨拶の声も小さく」てもいいんです。

そんなのどうでもいい。

 

会社員なら「積極的だ、自主的だ」とか。

それもどうでもいい。

 

さらにいうと「神なるもの」という「あなた以外の誰か」を提示されることもあります。

宗教とかそういうことではなくて、「なにか理想の、おもいやりがあって、それで。。。」と。

 

そんな風に「理想の誰か」を設定し、そのギャップを感じ「私はこんな程度」と。

 

それもどうでもいいんです。

(神なるもの自体を否定しているのではなくて、そういう”あなた以外”になる必要がないことを強調したいです)

 

あなたはあなた。

 

禅の世界でも、そのほかの様々な哲学も教えています。

 

あなたは、「そのままのあなた」でいい。

 

「そのままでいい」ことがわかれば、何か「あなた以外の誰か」とギャップを感じる必要はない。

なにかを恐れたり、不足を感じて、相手に攻撃的になったり、批判的になる必要もない。

 

「そのままのあなた」でいい。

そのままでいれば、何かネガティブな行動をとる必要がそもそもなくなります。

 

そして大事なことは「そのままのあなた」でいい時代だということです。

 

会社、、、つらい。

興味ないけど、お金のため、、、、

 

それらは全部手放せます。

 

少しみてください。

スキルシェア。

ココナラでもストアカでも。

 

普通の人が、「自分のやりたいこと」ができる。

そして、「やりたいことをやっていると、自然にお金も必要なだけはいる」

 

お金のために我慢が必要だ、とか。

お金のために多少の苦労は必要だ、とか。

 

それは私たち人類は、生存のために命をかけていた時代の話です。

もちろん世界にはまだまだ多くのそうした地域もあります。

 

しかし少なくとも日本はそうではないですね。

もし会社とか、経済とか、そこに「仕方がない」「あきらめる」「だれかがやる」と思っていることがあれば、それはすべて「私たちが変えられる時代」だということです。

 

あなたは全人格的に存在しています。

どこかの時間だけ分離して、苦しむ必要はないし、そうだとすれば変えていいんです。

 

すべてのネガティブは、恐れや不安、そして幼い頃から「世の中はこうだ」という決めつけから生まれます。

 

そして今、それが必要のない時代になりつつあります。

 

動物たちと関わりたいのであれば、それができる小さなことをしてみましょう。

何かを創ったりするのが好きなら、それができる小さなことをしてみましょう。

 

世の中にはたくさんの「スキル」本がありますが、そこに書いてある「プロとは?」とか「必要なスキル」とか「誰も真似できない」とか、そういうのは全部不要です。

 

まったくいらないです。

 

やりたいことの、小さなことをはじめた瞬間。

「あなたはプロですし、誰もまねできない」のです。

 

だって、「あなたは、この地球にたったひとりしかいない特別な存在なのですから