ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

「組織」「部・課」は識別番号に過ぎない。あなたが「我慢」する必要はない。

かとうゆうです。

 

会社員の方は「組織」に属すると思います。

部とか課とか、チームとか。

固有名称はいろいろです。

 

そしてそれぞれの単位で目標が設定されます。

部として、課として、、、

そして個人として、、、

 

どんどん「分割」していきます。

 

これ当たり前のことか?というと、私は「不自然」だと思っています。

 

いくつか視点がありますが、まずは「お客様・クライアント」から見て、です。

 

お客様やクライアントにとっては「部・課」といった組織は、「識別」に過ぎません。

 

ある会社があって、たくさんのサービスがあるとします。

そのサービスについて、もしなにか不満がでたとき、お客様やクライアントは

「あのサービスの、あの部はイケてない」とは思いません。

 

その会社全部ひっくるめて「あの会社はイケてない」になります。

逆に「いいな」と思ったとき、それは会社全体を含めた感想として、SNSなどで拡散します。

 

一番大事なことは「サービス全体、会社全体」です。

 

ところが社内の論理では、「部や課」で、どんどん目標が分割されていきます。

そして分割された「個々の目標」は遠心力をもちます。

 

つまり自己目的化します。

 

これによって起こりがちなのは「部や課の目標は達成された」けど、「お客様やクライアントは満足しているものではない」ということになったりします。

 

最近はどの会社でも「KPI」といいますが、目標を数字だけにして、どんどん分割すると上記はよく起こります。

 

そもそも「組織」は、「目標を達成するための組織」ではなく「そのサービスをよりよいものにするために、便宜的に”区別”されたもの」に過ぎません。

 

もうひとつの視点は「働く人々」からみた場合です。

分割され、分割された目標は、やがて個人単位に分割されます。

 

そのためよくあるのは「目標は達成した」が、「個人として力を発揮したとか満足した」とはまったく関連がなくなることです。

 

不思議に思いませんか?

「会社は成長、部も達成。でもお客様の満足感はたいして変わってない。なにより働く私たちのモチベーションも変わらない」

 

これは多くの企業が「企業の成長が自己目的化」していることを意味します。

そして「企業の収益、株主の利益」が自己目的化しているともいえます。

 

収益は存続の基盤ですが、どこまで背伸びしても「目的」には絶対になりません。

私たちは企業が成長するために働いているわけではなく、「豊かになるために働いている」からです。そのための実現手段として最も重要なのが「数字」だということです。

 

「数字は、重要きわまりないものですが、どこまでいっても”目的”にはなりません」

 

「前年度はみなさんがんばっていただきました。○億です。これはみなさんの力です。」とリーダーが表明しても、個人として虚ろに思えるのがこの現象です。

 

組織=目標、ではありません。

組織は目標を達成するために、便宜的、利便的に区分されたものに過ぎません。

 

ですので、どこの組織に属していようと、「個人は、そのサービスをよりよくするために縦横無尽に動いてよい」ですし、その方がはるかにお客様やクライアントも満足してもらえます。

 

今は、組織=目標=意思決定の単位、になっていますので、たとえばA部に所属する人が、B部の会議に参加するのは簡単ではありません。

所属長の承認とか、場合によって「参加の可否を判断するための会議」など設定します。

 

しかし本来「サービスをよりよくする」のが目的ですので、そのために必要であれば、その人がどこの組織に属していようと関係なく、必要と思うところへどんどん参加してアイディアを出し合えばいいわけです。

 

という感じで「組織=目標=意思決定」=「行動単位」となってしまうと、組織はどんどん硬直化していきます。

IT部門と営業部門がもめる、とか。

「それはそうだが、当部としてはストレートに受け入れられない」とか。

そのための膨大な調整時間も発生します。

 

そしてこうした右往左往は、お客様やクライアントにとってはまったく無関係なのです。

 

マトリックス組織という考え方があります。

組織が縦と横に交差します。

 

IT部の所属であり、営業部の所属という複数所属が当たり前になります。

こうした組織では、目標は分割されません。

「そのサービスが満足いただけること、その対価として収益に寄与すること」という大きな目標だけが設定されます。

 

もちろん部や課の目標もありますが、状況に応じて「常に変化」するのが前提です。

なぜなら「全体の目標」が目標で、それを達成する手段として部や課の目標みたいなものがあるだけだからです。

 

あるいはプロジェクト型組織もあります。

「部や課」という硬直的、恒常的組織が存在しません。

 

私たちはときどき、そしてしばしば「働くこと」に我慢を許容します。

しかし、そもそも「我慢」自体が不自然です。

 

日本の企業はトップダウンです。

方針も、人事異動も、どこかの少数者が「勝手に」決めて、上からおりてきます

 

こうしたやり方では「納得性」も「やりがい」も減損します。

 

人事異動も自己申告制度がありますが、「いうだけ」のケースが多いです。

 

そもそも何か「会社の、少数者が意思決定をする」ということ自体が不自然だと思っています。

 

方針はみなで話し合って納得できるものにした方が、はるかに共感も価値も生みます。

人事異動も、誰かが決めるのではなく、思い切って「全面的に社内公募」にしてもいいかもしれません。

前回書いたように、最近は「人事評価をしない」人事制度も登場しました。

 

 

会社というのは、上部構造から分割されて、上から下へ伝わる・・・という形自体が旧時代ともいえます。

もう上から下へ、ではなく「上も下もない」時代ともいえます。

 

ティール組織には管理職もいませんし、評価も「話し合い」ベースですが、こうした組織が今どんどん生まれているのは、「もはや上下構造と意思決定を持ち、硬直的で分割された組織では、ビジネスの付加価値をむしろ制限する」という大きな時代の流れがあると思っています。

 

そしていつも繰り返していますが、時代は「組織から個人へ」です。

個人は「あなたは地球で唯一のスペシャルな存在だ」ということです。

 

生命や哲学からいえば、ごく当たり前のことが表現し、発揮できる時代になっています。

 

そう考えると、思いがちな「会社とは・・・」というのが、いかに固定観念や定義によってがんじがらめであるか気づきます。

 

そして大事なことは、会社だけではなく、経済システムも、生活のあり方も、すべて「変えていいタイミングがすでにきている」ということ。

 

ようやく私たちは「生命」として、「生命本来の自然である状態を目指せる」「あなたは、あなたのままでよい

 

そんな時代に、すでに入っているということが何より重要かなと思っています。

 

それでは、今日はこのへんでー!