かとうゆうです。
日本は、1000年単位ともいえる大変革で、大きなパラダイムシフトをしているという話をしました。
ま、、、難しい話は抜きにして。
さて。
学校。
どんなイメージありますか?
たぶん多くの人が「義務教育」のあり方になんだかなーと思ったのでは?
はい。
そうなんです。
古い、、、っていうか軍隊なんです。
なんで軍隊かっていうと、社会学者の小熊英二さんが指摘したんですが。
戦後ですね。
たくさんの軍人さんが、帰ってきた。
もちろん亡くなった人もたくさん。。
帰ってこれた軍人さんは、会社にいったり、学校の先生に。
で、そこで「理想」として設定したのが「軍隊的」なもの。
本人が意識してたかどうか?はわかりませんけど。
適用したのは「競争と統一」です。
競争・・・っていうのは、軍隊も身分設定ありますけど、「優秀かどうか?を判定してランク付けする」それを競わせる、ですね。
でも競争って、そもそも学校には合わない。
だって、学校は、ひとりひとりを育てる。
っていうことは、「ひとりひとりに優劣はなく、個性」から出発しないといけない。
北欧の教育なんかみても、「他者比較」がないそうですね。
つまりテストがない。
統一テストなんて不要だし、内申点も不要。
あるのは「自己評価」です。
それに対して、先生がアドバイスする。
だって「ひとりひとりが特別」ですからね。
そもそも学校に競争が必要ないってことは、本来、テストだの内申なんかいらないって話です。
あと統一。
軍隊って、同じ服だし、同じ行動です。
でも、これ戦闘では重要です。
雪の中で、ひとり真っ赤な服だと、味方まで撃たれちゃう。
「お前は、右いけ!」といわれたら「はい!」という行動しないといけない。
だって。
「いや、、、右って敵多いと思うんすよ。それに戦略上は、、、」なんて理屈こねられたら戦闘に勝てません。
だから「統一」
これも学校で適用しちゃいました。
同じ服、同じ行動。
制服ってあってもいいんですよ。
イギリスみたいな伝統を示す学校とか。
でも、ぜんぶの学校必要ないです。
そもそも服装に個性があると、なにがまずいというのか?
それに先生も「上官」みたいですね。
まぁ、さすがにここまでいわれないものの、理想的には
「先生の話をさえぎるな」とか「両膝にこぶし」とか。
いやいや、学校って、チームワークとかディスカッションを通じて他者との関係や自分を見つめていく場ですから。
「先生!ちょっとそれ違うと思います」
って普通にいえないと。
「競争と統一」
これ企業も同じですね。
職階制。
そもそも会社の人事制度に競争原理がいるのか?って話です。
「え?でもさ、モチベーションあがらないじゃん」って。
普通に思います?
いえ、全然普通とは思わないです。
「理想すぎて誰もあてはまらないモデルを設定して、それに対して合う合わないの判定」するって、いうのがそもそも変だと思ってます。
だって、ビジネスって「付加価値を生む」のが目的ですから。
だったら、みんなで、多様なみんな集まって、アイディア出し合った方がいい。
アイディア自体に優劣もないですし。
「あなたらしさを発揮できたかどうか?」
これが評価尺度であったっていいと思ってます。
現にティール組織っていう、管理職いない組織があり、実績もあげてます。
ま、会社の話はこのへんで。
学校に戻りましょう。
、、、というわけで、根本的に教育とかっていうのがおかしくなっている。
富国強兵時代の、いつか徴兵される人を育てる機関みたい。
だからみんな「なんとなく、塾とか偏差値とか、違うよな」と思いつつも、それに従う。
でも、冷静になりましょう。
冷静になるには「ひとりひとりの個性を活かすには?どういう学校がいいか?」から出発して、全部組み立て直すってことです。
学校は、こうだ、とかそういうの全然いらないです。
ちなみに北欧って、テストもないし、内申もありませんが、
教育水準が世界トップクラスです。
だから、もう明らかに日本の学校、根本から変えないといけない。
気をつけないと「競争と統一」ってのは社会人になってもしみついてしまう。
「会社って、お金稼ぐところだから、自分を表現せずに、与えられたミッションをこなす」
とか。
「割り切る」なんていってますけど。
仕事も、プライベートも全部「あなた」ですから。
仕事だけ、分離させて「割り切って」る、それそのものが変なんです。
学校だって会社だって、明治くらいですかね。
たかが150年くらい。
だからいくらだって変えられるのに、
なんだか「地球が公転する」法則みたいに「変えられない」とあきらめている。
全然、真理でも、物理原則でもないですから。
ちなみに日本。
賃金は先進国最低。
生産性も最低です。
ね?・・もう、ね、ほんとに変えないと。
いつまでも戦後復興期のやり方にこだわってる場合じゃないです、ほんとに。
世界じゃ管理職がいない組織すらできてますから。
部長?課長?
そもそもいるの?って話です。
で、そんなふうに気づいた人が少しでも増えると、いくらでも現実は変わってきます。
だって、そうやって変えてきましたから、わたしたち。
幕末から明治とか。
モンゴルの侵略とか。
戦後復興とか。
そんなデカい話じゃなくても、何かの声がたくさん集まって、物事を変えるっていう話は、ネットでいくらでも、毎日のように伝わってきます。
だから気づくことが大事なんです。
「あれ?、、、そうか、学校。えーと、6時間授業で、国語、算数があって、、、それぞれ先生っていう人がいて、基本的に話しを聞かないといけなくて。。。とかって、冷静に考えたら、別になんの根拠もないじゃん」くらい。
6時間である必要があるのか?
教科はこれでいいのか?
「ひとりひとりの個性を生かすため」だけに焦点あてて、考える。
イチから考える。
考えたら、SNSでもどこでも発信してみる。
仲間ができたら、いろいろやってみる。
いくらでもやれるんです。
ほんとに。
「いくらでもやれる」っていうことよりも、「あきらめ」「しかたがない」「そういうものだ」とかっていう空気が強くなってしまっている。
でも、「空気」ですから。
変えればいいですね。
私たちなんのために生きてます?って話です。
そしてわたしたち人類は、氷河期から2度の世界大戦まで、いくらもで、なんでも変えてきたんです。
じゃなかったら、人類、地球にいませんから。
ここで「あきらめてる」場合じゃないですね。
進化論のダーウィン先生に、失礼です(笑)
その一歩。
「冷静になって、本当の目的に焦点をあてて、すべてを客観視してみる」
これ、わかってるけどできないのは、
「今の社会は、いろいろ問題あるけど、それなりに最先端だ」という思い込みがあるから。
全然、最先端でも、それなりにいい感じでもないですから。
またどこかで話をしますけど「お金がいらない社会」っていうビジョンもあるんです。
管理職も、お金もない???
どうやって生きるの?って思いました?
でも、そう思うこと自体、思い込みです。
私たちの社会は、すべて人為的に作られただけですから。
当たり前なのは、人や動物、自然にとってのシアワセとは?というテーマと根本的な物理法則だけです。
そしてシアワセを追求して、私たちは何万年も進化、適応してきたんです。
どうですか?
ちょっと観念外れましたか?
それでは、今日はこのへんでー!