ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

そうはいっても、しんどいときは「人生を理解する」

かとうゆうです。

 

前回「悩みは、自分の心から」というテーマで書きました。

 

fivelaws.hatenablog.com

 

でも、人生それだけですまないことがあるのも事実ですね。

 

貧しさ、、家庭不和、、、DVなど。

「悩みは、心だ」なんていっても、どうにもならないときもあります。

 

今回はそれについて。

 

どうにもならない「苦しさ」は、次の2つの構造を持っていると思います。

①そもそもどうにもならない

②自分の心でネガティブを定義している(=小さな行動を起こせていない)

 

②は前述のブログお読みいただければと。

 

そして、どうにもならないのは

①がもうほぼ8割くらいと大半。

さらにネガティブ思考になり②も加わる、という2つの構造だと思います。

 

そのとき理解すべきポイントがあります。

まず①のどうにもならない・・・とはっきり定義しても仕方がない状況とは?です。

 

というのも①だと思っていることが、②の自分の心のときがあります。

これはもう当事者は本当に苦しいのを重々承知で、あえて究極的に書くと、例えば「夫のDV」は、離婚、別居という「行動」が可能です。

苦しいし、複雑な事情もありますが、②の自分の心を見つめ直す家庭で、「行動」が可能です。

 

このようにみていくと、①のどうしようもない・・・は「運命的に自分では変えられないこと」から多くの場合起きてきます。

 

自分では変えられないことは、しかし人生すべてで起きるわけではありません。

・生まれた場所、日時、国や地域

・生物的な意味での性別

・親とその環境

 

これがほとんどです。

そしてどうにもできないですね。

 

もちろんスピリチュアル的には「それを選んできた」というカルマ的な見方になりますが、ともあれ現実的にはどうしようもないです。

 

逆に上記以外の場面は②の自分の心・・・が多くの場合あてはまります。

 

ただ、これあくまで説明のために「簡便化して」ますので、個々の事例に必ずしも、、、はもちろんあります。

 

とはいえ、多くの場合「生まれ育った環境」です。

貧困だけではなく、そこで負った心の傷です。

 

もっと極端にいうと、殺人、戦争といった破局的なものもあります。

 

多くの方は、、、というより私自身そうだったのですが「なんでこのような運命になるのか?」ずっと探り続けます。

 

そして多くの方は「カルマ」という考え方にたどりつきます。

 

すなわち前世の行いや不足を、改めるために「罰」として受ける、です。

 

仮に、です。

仮に「罰」だとしましょう。

 

でも、「あなたは今ここに存在している」

ひょっとすると、魂とかってレベルで前世と「同じ人」かもしれませんが、でも確かに「あなたは今ここに存在している」ですね。

 

そして思い出してほしいのは②の自分の心・・・です。

 

今つらい状況。

それが「罰である」と自分の心が定義してしまったとき。

 

もうほんとうにつらいことを、つらいだけ体験するしか解決策はなくなります。

 

しかし仮に「カルマみたいな罰」だとしても、そもそもカルマとは「完成された人を目指す過程で足りないところを補う」のが目的です。

 

さきほど「仮に」といったのた真意はここにあります。

 

「本当の幸せになるために起きている」のがカルマです。

 

そしてカルマというのもを信じようと信じまいと、今起きていることがどのようにつらくとも「本当の幸せになるために起きている」と思うことです。

 

いえ、、、「思う」というやわらかな表現では不十分ですね。

 

『覚悟』です。

 

どのようにつらかろうとも「必ず、私はこの困難を乗り越えて、本当の幸せをつかむのだ」という覚悟です。

 

覚悟を決めるための方法はいくつもありますが、私の実体験です。

生まれた家庭が相当荒れていました。

「家族団らん」というものをしったのは、結婚してからです。

 

苦しいし、自殺も(するかどうかは別にして)想像した、若いころでした。

 

しかしある日、「覚悟」が決まりました。

 

それは「親も他人である」という覚悟です。

他人、、、というと語弊がありますね。

「自分ではない」ということです。

 

私が責任を持つべきは「自分」だと。

 

だからあえて「親とはっきり距離」をおきました。

今までの自分なら「見放した罪悪感」があったかもしれませんが、もう覚悟を決めていました。それもこれもぜんぶ含めて「自分の人生に責任を持つ」ことを。

 

いろいろありましたが、もちろん今だって親と距離感はとっていますが、若い頃のように憎んだり、、、はなくなりました。

 

「覚悟」は、、、思いがけないところからやってきます。

意外と相談した人からはもたらされず、ふとみたテレビのドキュメンタリーとか。

 

なので大事なことは「私は覚悟を決めるんだ」とい覚悟を決めることです。

それが具体的にどんな覚悟かは慌てて探さなくて大丈夫です。

 

覚悟を決める、という覚悟です。

 

そして次は「焦らないこと」

すぐにでも抜け出したいと思うかもしれませんが、最大の解決は「時間」がもたらします。

 

そして不思議なことに「時間がかかる。あせらなくていい。」と思ったときから、意外と早く解決が訪れます。

 

さきほど、どうしようもないことは①と②の自分の心の二つだ、と書きました。

 

覚悟を決めて、時間とともに焦らず進むとき、②の自分の心が、、、①のどうしようもない現実を上回るときがくるようです。

 

なので、

・詳しくはわからないが、「覚悟を決める」という覚悟

・自分の人生に責任を持つんだという決意

・時間が解決する。だから焦るなという気持ち

 

これがそろうことが重要です。

 

そしてその歩みを進めていくときに大事なのは「逃避」です。

 

逃げてもいいんです。

愚痴ってもいい。

怒ってもいい。

ののしってもいい。

 

それはあなたの自然な心の叫びです。

「ネガティブとは、ネガティブなことをネガティブなことであると定義したとき」です。

 

だから怒りや哀しみは、マイナスでもネガティブでもありません。

あなた、そのものであり、大地が揺れたり、嵐がきたりする自然が流れていくのと同じ「なにひとつ否定しなくてもいい自然なこと」です。

 

なので、覚悟や決意をきめ、そして我慢しない。逃げてもいい。どんな感情も否定しない。

 

そして小さな小さな一歩を進む、、、

 

もちろん「そんなに簡単じゃないよ」ということもたくさんあると思います。

 

ただ、ただひたすら、このブログのどこかの言葉が少しでもヒントになれば、、、そう願っております。