ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

子育ては、”子供は対等な存在”

かとうゆうです。

 

ゲーム三昧でした(笑)

 

さて。

育児って大変ですね。

 

私、兼業主夫です。

妻が大黒柱。

育児家事は「分担」ではなく「分業」です。

 

分担は「妻が大変だから、手伝う」要素が強いかも。

分業は、単独でも、すべての育児家事ができることが前提。

(正確にいうと、男性は授乳と出産以外、、、ですけどね)

 

だからなんでもやってきました。

保育園時代が激動でしたね。

お迎えいって、速攻、食事の用意。

その間にも子どもの相手をし、風呂、洗濯・・・

 

よく添い寝しながら寝てました(汗)

 

さてそんな私がずっと心がけていたのは

子どもは自分と対等」です。

 

よく中高生くらいでいわれるかも、ですが、私は「赤ちゃんも対等」です。

 

赤ちゃんもそうですが、自分と対等です。

優劣はない。

何か幼稚でもない。

 

単に知識がないだけ、です。

気持ちを表現する方法とか。

社会的知識とか。

 

でもそれって「気づく」ことで備わる。

だから知識が、この社会で生きるに必要なものがまだ備わっていないだけ。

 

赤ちゃんは、お腹が減っても、いやなときも「泣く」しか方法を知らない。

でも、「おなかがすいた」「これは嫌だ」という感情は、大人の私も同じ。

単に表現手段が違うだけ。

 

だから赤ちゃんだって「対等」です。

 

妻がよくいってたんですが「育児はフラストレーションがたまる。日本語は通じないから。」と。

 

それも確かにそうですね。

もう自分に余裕がないとき、泣かれるとてんぱります。

ときどきいらだちをあらわにして、後悔することも。

 

私は、もちろん赤ちゃん言葉も使いましたが、普通に「大人の言葉」を使ってました。

「よしよし、いやなのか?・・・よくわかるよ。パパもそんなときあるからね。うんうん。」

なんていいながら、話しかけてました。

 

もちろん言葉そのものは伝わらないです。

でも、不思議なことに「通じる」ときがあるんです。

 

すべての場面とはなかなか難しいですけどね。

でも「通じる」

 

子どもって、お腹の中にいるときから、パパとかママの様子とかすごく知っているっていいます。成長につれ忘れるみたいですけど。

だから「胎教」なんてのもある。

 

だから、確かに「泣きじゃくって」いるかもしれませんが、「すごくよくわかっている」

言葉じゃなくて、何かテレパシー的な?イメージ的な?ものが伝わるのかどうかわかりませんけど。

 

イメージしたことが伝わった!と思う経験、確かにあるんです。

 

話は飛びますが、日本の教育って「優劣と競争」ですね。

偏差値とか。

 

でも教育って「優劣」はあっちゃいけない。

だって「子どもは全員ひとりひとり特別」です。

その前提。

 

その前提に立って、テストがない北欧が、世界的水準はトップクラスですね。

学校っていっても「優劣」

 

優れた人から、劣っている、幼稚な人に「教える」

 

でも、私はちがうと思っています。

先生も、生徒も、親も「対等」

 

表現が未熟だったり、社会的知識がないだけ。

 

だから、しっかり「意見をきいて、尊重することが大事」

 

子どもが大きくなると、進学とか就職とかありますね。

親はだいたい「自分が育った環境から」、こうした方がいいといってしまいますが。

 

でも社会は明らかにものすごいスピードで変化している。

オンラインも VRもあたりまえ。

規模の大きさは「安定」を意味しないし、「安定が安定」だとも限らない。

大企業、公務員・・・っていう親のイメージとは全然違います。

 

学校もそうですね。

偏差値じゃない。

「自分の意見をもち、表現し、他人の意見をきいて、みなで話し合えること」

このスキルがどれくらい社会で大事かはみなさんご存じの通りです。

 

子どもに苦労させたくない。

子どもは安定して働いてほしい。

 

でも、一歩間違うと「親のエゴの押し付け」になります。

 

あと日本だと気を付けないといけないのが「男尊女卑」

まだまだ若い世代にも残ってます。

 

「理系なんて、モテないぞ」

 

そんな父親の言葉にきずつき自信を失ってしまった女子高生のドキュメンタリーをみました。

 

どうしても、日本人の根底には「女性は一歩さがる」「夫唱婦随」みたいな理想像が妙に横たわっている。

でも夫唱婦随かどうか?は本人の選択ですね。

そういう関係が心地よいかどうか?

 

でも、ほんとにこれ気を付けないと、「親の男性とは、女性とは・・・で子どもを制限すること」もあります。

 

話があちこちいってしまいましたが。

 

「子どもは対等」

 

子どもはひとりひとり。

男性とか女性とか、レッテルやラベルを貼ってしまっては可能性を制限します。

 

なので「赤ちゃん」でも対等。

私と同じ。

 

いや、、、、もっといえば「私よりも、高い見識をもっている」かもしれません。

 

育児をしていて痛感したのは「あ、これ。私自身の”学び”だと」

 

子どもが親に学びの機会を提供している。

子どもが親を「教えている」

 

そして親も、社会で生きるスキルを「教える」

 

だから「対等」

 

そして、ある社長さんから、直接きいたんですが、

「今の成功を、過去の成功体験で語るのは”老化”はじまり」だと。

 

「安定」とか「大規模」とか、もしいいたくなったときは、一旦言葉を飲み込んでみましょう。

どんな成功も、理想も、そのときの社会条件が前提です。

社会条件が違えば、そのときに体験し、使ったスキルや経験は異なる。

普遍的ではない。

普遍的なものは「愛情」とか「やさしさ」とか、もっと人間の素朴な気持ちに沿ったものです。

特に進学とか、就職は「親がこうあっってほしかったという気持ちを、それは社会的条件で成立するものを、あたかも”普遍的”なように子どもにいってしまうこと」これは避けなくてはいけなません。

 

Youtuber?いいじゃないですか。

フリーランスでもいいじゃないですか。

親の、自分とは時代が違うんです。

 

それを常に自分にいいきかせてました。

 

冷静に考えて、そこに「エゴがひそんでいないか?」

 

 

、、、なんて書いてしまいましたけど。

親だって、人間ですから、イライラしてもいいんです。

しっかり息抜きしながら、「さぼる」ことも大事ですね。

 

それでは、今日はこのへんでー!