わたしたちは「アバター」として地球上に肉体をもって、体験し、学んでいる・・・これが科学からもいえそうな気がしている今日この頃
かとうゆうです
今日も暑いですねぇ。。
暑い=熱い
というのは分子の運動が早くなっているから。
熱とは要するに速度です。
「物理法則は、時間の前後を想定していない」
これ興味深いですよね。
要するに数式的には
「ものがこわれる」
「こわれるものがもどる」
両方とも可能なことを示すわけです。
確かに
1+2=3
2+1=3
ですから。
逆方向にしても、答え=法則は成立する。
もちろんこれに対して
「エントロピー」という概念がありまして。
高いエントロピーは、誤解を恐れず表現すると「カオス」
低いエントロピーは、「固定・統一的」
前者は確率が高く、後者は低い(かなり低い)
このエントロピーによって、物は「だんだんカオスになっていって、やがて消滅する」と。
そこに不可逆性があるので、「時間」として認知される、と。
エントロピーを「高い・低い」という状態として認識しているのは、人間ですが、時間というのは「認識」だという説もあります。
過去とか未来とかは脳の中で時系列的に理解しているだけ。
つまるところ、その「人類的合意」によって「時間が存在」しているだけ。
実際には、時間は存在せず、ただ「状態」があるだけ。
しかも多世界解釈だと、それは「パラレルに存在する」
もうこうなってくると、なにがなんだか、、、ですが(笑)
しかし、少なくともいえるのは
「時間とか空間とか、そうしたものは、人間の感覚によって、時系列的に理解されている」わけです。
実際・・・というか本当の状態。
宇宙や次元の状態はまったくわからない。
「人間が時系列として認識」しているだけ、なので。
そう考えると、肉体としての人間っていうのは、ほんとうに「限られた範囲」
いわばメタ空間で、アバターとして存在しているようなものですね。
メタ空間の中で生活し、アバターとして振る舞っているけれども、実は「メタ空間をメタたらしめているもの」「アバターをアバターたらしめているもの」について、
アバターは認知できない。
そう考えると、ほんとはもっと異なる次元があって、そこが「本体」で、わたしたちは「アバター」として地球上に肉体をもって、体験し、学ぶというスピリチュアル的には普通の考えも、実は量子力学や宇宙論から導けるなー。
そんな思いをはせつつ、夏の読書にいそしんでおります。
それでは今日はこのへんでー!