ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

アセンションのコアワードは、社会から日常生活まであらゆるところで応用できる、だって「コア」ですから、、、という話

かとうゆうです。

 

毎度いきなりですが(笑)

 

「介入しない」

「統合する」

 

宇宙存在は、基本的には「介入しない」ですね。

「あれをしろ、これをしろ」とはいわない。

 

なぜなら地球人も「対等な、創造の存在」だから。

 

「介入」するってことは、

それを否定すること。

つまり、「自分」を否定することにもつながります。

 

あと。

「統合」

 

アセンションとは「統合」だと。

私たち人類は、この数千年の間。

 

様々なものを、バラバラにして、名称をつけ、区別してきました。

社会でも「定義」をして、区別。

 

細かく、細かく、、、バラバラに。

 

でも。

宇宙やスピリットというのは

「区別」「分断」はありません。

 

宇宙の万物は「つながっている」

というのは最新科学でもいわれており、

 

スピリットは、様々な次元がある

「そのすべてが”私”」です。

 

なぜバラバラにしたか?というのは、

こうした「つながり」を、「忘れる」ため、

ネガティブを体験するために、バラバラにしてきました。

 

で。

「介入しない」

「統合する」

 

これは「日常生活」でも使えます。

 

他人との関係で「介入しない」

あなたがスピリットであるように、

他人もスピリットとして体験するために地球にいます。

 

他人の選択は「介入しない」

これは、かりに「悪口をいわれた」ときも

「だから、なに?」

と、自分には「介入させない」ことも意味します。

 

統合する。

優れている、劣っている。

私は足りない、他人は足りている、、、、

 

こうした優劣概念は「実態のない定義」です。

ネガティブを体験するための「定義」です。

 

統合は、

「すべて、今」

「すべて、ここ」

「すべて、満ちている」

 

この感覚に戻ること。

 

なので、

周りが結婚しているから「焦る」とか

比較する必要も、ないということです。

 

で。

今日、なぜかふと思ったのは。

「ヒーリングも同じ」だということ。

 

私自身、ヒーリングには何度かサポートされておりますが、

 

ヒーリングの本来は

他律的な”なにか”を、相手に”送って”、その”送った”なにか”によって、本人を”変える(回復させる)ことではない」です。

 

もしそうだとすると、それは

「介入する」ことになります。

 

もちろん、そのアプローチでも「改善」されることはあります。

しかし、「本質的ではない」

そのため、一時的だったり、本人の覚醒につながりにくい。

 

本来のヒーリング

それは「なにかを”送っている”感覚」があるかもしれませんが、

 

実際には「本人が、本人のエネルギーによって回復」しています。

そのきっかけではありますが、「回復そのもの」は「本人」です。

 

そして「回復」とは、多くの場合

「統合する」ことでもあります。

 

自分の心に分離や乖離

偏りやしがみつき

焦りや奢り

 

偏り・・・は、「何か特定の出来事」を「自分と区別して」、「それが”ない”と区別」し、求めることに「執着している」状態。

焦りや奢りも、同様に「自分と他人を”区別””比較”」して、定義しているから生まれます。

 

こうした「バラバラにして、名称をつけて、区別」することをやめて

「今、この瞬間の私に”統合する”」ことです。

 

ですので。

ヒーリングは、

ヒーラーが「私のパワーでなんとかするんだ!」という場合。

 

効果はあるかもしれませんが、

「本質的」とはいえないです。

 

ヒーラーは「ただひたすらその人のことを想う」

「その人のありのままの"想い”、送る」とき

そのエネルギーがきっかけとなります。

 

パワーの例でも、上記でも、同じ「送る」という言葉がでましたね。

 

「パワーでなんとかするんだ!」という「送る」・・・ではなく、

「ありのままのその人、あるいは、その人も私も大きな存在としては”同じ”だ」として、「送る」

 

このあたりの「感覚」は、「繊細微妙」な領域ですので、ちょっと言葉で表しにくい感じはありますが、

 

少なくとも「変えてやるぞ!回復させてやるぞ!」というのは、ちがう、ということですね。

 

 

そして「統合の”送る”」をきっかけとして、本人自らが「統合」され、回復します。

 

と、、、今日はたまたまヒーリングの話になりましたが、

 

「介入しない」

「統合する」

 

この二つのキーワードは、ある意味アセンションのコアでもあり、

コアだからこそ、社会から日常生活まで、応用できます。

 

もし、なにか「あ。ネガティブなことにあった」というとき、

客観的になってみる、、、という意味でも

 

えーと、「介入しないってことは・・・」

「統合するってことは・・・」

 

そんな視点から、自分に問いかけてみるのもよいかもしれません。