ラクになった瞬間~現実はいくらでも変えられる~

仕事も生活も、ぜんぶ思ったまま自由に生きる人

「どうネガティブを手放し、どう自分を大好きになっていったか」

かとうゆうです。

 

今回は、具体的に、

「どうネガティブを手放し、どう自分を大好きになっていったか」

 

このプロセスを書いていきます。

 

私が、ネガティブなことを想像するとき

もう、ほんとうに「最悪、最低」の「あらゆるパターン」まで思考が及びます。

 

何か「ん?」というときが起きたとき、

あらゆるパターンの最悪、最低を考え、それに対して自分が対処できるかどうか?を延々と思考します。

 

仕事であれば、解雇とか退職せざるを得ない、あるいは休職せざるをえない

「あらゆるパターン」です。

 

では、なぜ、

「そこまで考えないと、ある種の”安心”を得られないのか?」です。

 

ここでのポイントは

あらゆるパターン、、、とはいえ、常に、最悪、最低のネガティブ「しか」思考しないということです。

 

最善、最良のパターン。

 

これは「あるかもしれないが、そこに期待して、裏切られること」に対する

「恐れ」を感じています。

 

だから、”安心”のために、

あらゆるネガティブなパターンを思考し、それへの対処を想定しないと、安心できない。

 

もちろん、こんな思考では「いくら考えても、安心はできない」

ネガティブは永遠に想像できます。

 

だから、考えすぎ、心配し、悲観し、

10代後半は自殺も想像し、これまで幾度かうつ病になりました。

 

そもそも、

なぜ

「この現実世界を生きるために、ネガティブなパターンを思考する必要を感じているのか?」ですね。

 

ずーっと自分に問いかけていました。

 

多くの人がそうであるように

「その根源は、育った家庭環境」にあります。

 

私もそうでした。

 

私の両親は、機能不全家族

 

小学生低学年の頃から、

夫婦仲はわるい。

 

だけど、喧嘩する、、、というよりも、

 

母親が突然ヒステリックになる。

ものにあたる。大きな音をたてる。

聞き取れないような早口で、罵声をつぶやく。

 

それは「夫」、つまり私の父に対する言動です。

 

食事の準備の前が一番多かったように記憶しています。

そして、テレビ。

 

父と兄妹でテレビをみていると、

母は、なにごとか聞き取れない罵声を発し、ドアを思い切り閉めたり、そして食事を作り始めます。

 

私たちは、テレビをみているだけですが、

「何か悪いことをしている」

気持ちになりました。

 

母の機嫌を伺う、、、これが私の日常でした。

 

このような母に対して、父は、反論も攻撃もせず、ただただ

「黙って耐えているだけ」でした。

 

父はその生い立ちも含めて「ネガティブなことは”耐える”」という態度をとります。

 

だから、父は、私にとって「守ってくれる」存在ではなく、

「同じ”被害者”」のような関係でした。

 

このような機能不全家族ですが、

両親は今も家庭内別居中、です。

離婚も、世間体が気になるとかでできず、

母は、自分がどうしたい?というよりも、父を責めるばかり。

父は、その問題から、逃げるように生きています。

 

そして。

このような家庭環境をあらためて思い出すと

 

私は

「何か特定のことを恐れ、不安になり、それがそうなったときのことを常に考えている」ことがわかります。

 

これはまさに、幾度も鬱病を経験した思考と同じ

「あらゆるネガティブなパターンを想像し、そうしないと”安心”できない」という心理につながります。

 

私は小さいときから、ずっと、このパターンを

繰り返し、繰り返し訓練されてきました。

 

だから、なにか起こると、

あるいはなにか未来を想像するとき、

 

なぜかポジティブなことは「起きなかったときの裏切り、恐れ」を感じるから「想像しない、

 

そして、あらゆるネガティブなパターンばかり考える・・・ここにつながっているようにかんじました。

 

でも。

一方、この経験は、

とはいえ、とても長い時間と辛苦を体験してきましたが、

 

「そのような思考パターンは、”幻想”であること」を気づかせるための経験でもありました。

 

むしろ、たくさんの時間、体験が必要なほど、

「私に染みついてた」ものです。

 

前世。

確信はなく、なんとなくですが、

私は

何度も「絶望的な戦いで自決」を体験してきたように感じています。

 

太平洋戦争での硫黄島戦、南北朝での敗北、自決。

 

恐らく、前世でも「この思考パターン」を繰り返してきたように思います。

 

その根幹は、

 

本当はネガティブというのは、「自分」が想像しているから、具現化する・・・ということですが、

 

私は「ネガティブ」は他律的に、まるでペナルティのように「私に襲いかかるもの」だと思ってしまっていたのでしょう。

 

この数年。

私は「そうではない」ことを「知る」ことになりました。

 

そうじゃない。

すべては「自分の想像と創造」

自然の法則

すべての人が「対等」で価値ある存在。

 

どんどん視点が百年先にいったような感覚になり、

会社とか経済とか、「そうである」と思っている仕組みが

滑稽にすら感じられるくらいに「知る」までに至りました。

 

でも「知る」が「しみこむ」までには、

何回かテストが必要です。

 

テスト、、ですが、実は、これはネガティブだから起きているのではなく、

「私へのギフト」です。

 

本当にポジティブ、宇宙と同じ無条件の愛を感じ、自分を愛することを、

自然に、なんの力もいれずできるために起きている「ギフト」です。

 

その「ギフト」が

この1,2週間の出来事でした。

 

そう考えてみると、最近の出来事と「思考パターン」にあまり関連はなく、別のネガティブが私にあるように感じましたが、

 

ちがいました。

 

同じです。

「他人、他物の”機嫌”を伺う」「ネガティブパターンをたくさん想像する」

 

1,2週間でおきたのは

 

所属する組織で感じました。

「これじゃあ、だめだ。こう”すべき”だ」と。

 

”すべき”というエネルギーは、

宇宙の法則、介入しないに反し、相手も自分も破壊する行為です。

 

相手も私も疲れる結果を迎えるのは必然でした。

 

最初、こう思っていましたが、ここに「家庭環境と同じ」がありました。

 

つまり。

 

私は、

他者、他物の機嫌、それはネガティブで最悪なことを恐れ、想像・・・してました。

 

そして、それに「対抗し、守るために」、つちかったのが

「すべき」です。

 

母なら、こうあるべき

父なら、こうあるべき

 

私は両親を直接攻撃することはありませんでしたが、

内心で、母や父に対して「こうすべき!」と怒りを向けることで

「必死に自分を守っていた」こと・・・

 

これに気づきました。

 

私が「すべき」が口癖になっていたのも、同じ「根源」でした。

 

こうして、

私は、この1,2週間の出来事を、むしろ「ギフト」だとらえはじめ、

私を支えてきた「ネガティブシステムの構造」に気づくことができました。

 

もちろん「テストとしてのギフト」はあるかもしれません。

でも、そのテストが「ネガティブにみえる」必要はありません。

ポジティブな「テスト」もあるでしょうし、もはやポジティブ以外に意味づけする必要すらないと感じています。

 

そして、ここが大事なことですが、

何回かテストを繰り返すと、「振り幅」がだんだん小さくなってきます。

 

そして、そのスピードはとても速くなっていると感じています。

 

親。

これも「私が選択」したことです。

 

現実的には「つらい」体験ですが、

しみついた思考パターンに気づき、本当の自分に気づくための「選択」です。

 

そう考えると、

 

あらゆる出来事は「中立」

意味づけは「あなた」

なぜなら、この世界は「あなたが創造している」

 

このことを「本当に体得」する

そのために、今、アセンションで加速する地球を選択し、

両親を選択し、鬱病、先天的奇形、膝の障がい、大病などいろいろな体験をテーマとしてきた。

 

まぁ、、、明らかに「不器用」で、

もっとほかにやり方あんだろ?と思いますが(笑)

 

私のソウルはそう選択したようです。

 

そして、今、私は、

「自分を愛する。抱きしめる」ということを、何度も言葉にし、思考することをしています。

 

繰り返し、繰り返し

「もう、恐れ、不安はいらないんだよ。それは、もともと”あなた”じゃない。あなたは、宇宙から100%、ちょーかわいい存在だと思われているんだよ。」

 

「今、起きていること。これから起きること。それはぜんぶ”ギフト”だよ。そして、ギフトだと思った瞬間から、あなたはすばらしい未来を、今、創造しているんだよ」と。

 

もうこれはあらゆる本や情報から、

耳にたこができるほど「理解」していることではありますが、

 

何百年か何千年かわかりませんが、

ネガティブを体験するために、ネガティブを体験し、

しみついてしまった「癖」「習慣」を、

 

完全に手放すプロセス、だと思っています。

 

 

・・・・って、、、まぁ、今日は、なんかマジメモードで書いちゃったなー(笑)

基本、ちゃらちゃらしてんすけどね、あたしゃ(爆)

 

なんかいけてない文章ですいません!

 

でも、この文章を書く・・・これ自体も自分の浄化であり、癖から解放する機会にしたい、、、なんて勝手に思って書きまくりました-!

 

追記)

ちなみに、読み返していたら、もう一個気づいちゃった(笑)

 

離婚したら?と父と母にいったことがあります。

でも、母は、父へのヒステリーを繰り返すだけ、

父は「耐える、逃げる」だけ。

 

「この人たちは、問題を直視していない!」と。

 

でも、ここで止まってましたね(笑)

 

要するにこうです。

「あなたはどうしたいの?あなたは、あなたの未来を創造できるんだよ!」

 

って、つまり、これは「私」に対するテーマでした(爆)

 

ネガティブ、出来事。

それは「他律的」に起きているわけじゃないし、いくらでも変えられる

 

「私は、私の気持ちの赴くままに未来を創造していいんだよ!」

 

これに気づくために、

こんな両親(?)、を「選択」した、、、

 

と気づきました-!

 

ま、難しいこと考えず

とにかく「やりたいこと、なりたいこと」

ここを素直にみて、想像して、等身大で生きていくってことですね!