かとうゆうです。
最近、ショック!と思ったことがあり、もんもんとしつつある中、
逆に「探求」がいろいろあって。
今回は、自分に言い聞かせるつもりで書くので、ちょっと背景説明とか舌足らずですが。
まずは
「ショック!」と思ったことが「ショック!」じゃかった、、、ということ。
仕事でいろいろありまして。
うまくいかない、と。
で、はしょって結論からいうと、
「そういう状況を体験することを、自ら引き寄せていた」な。
私は、ティール組織から貧困学など、社会課題についていろいろ学ぶことが好き。
で、しみじみ思うのは
「まだまだ、いけてないな、この社会」
ジェンダーギャップもしかり、生産性の低さ、教育の硬直性。
でも。
「まだまだいけてない」と、自分が「思っている」ということは
当然
「まだまだいけてない」という体験をする、、、ってこと。
とはいえ
社会が「いけてない」ってのは、それはそうだ、と。
では、どう考えるか?ですが。
「パワーを与える」
つまり。
自分が「いけなく”ない”状態」になること。
そのような「いい感じの状態」に、社会全体もなることを「確信」し、イメージすること。
ここかな、と。
いけてない・・・を「いけてない」とするのは、いけてないにパワーを与える。
でも、いけてない、、、をフラットでみつつ、
そこに「パワーを与えない」
なにより「自分は、そういういけてない状態にない」
これが大事。
、、、ということは。
今まで、「自分が感じていること(いけてないと思うこと)を、シェアして、少しでも気づきになれば」、、、という状態は、
ある意味
「いけてない」・・・にパワーを与えている。
よく考えると、
いけてない、、、にパワーを与えず、フラットにみつつ、「手放した」ことに
「陰謀論」あるな、と。
今は「もう全然、気にもしてない」「そもそもそんなシンプルじゃない」と、
わりとばっさり。
だから、「陰謀論」的と思わず表現したくなるような「構造」があることはフラットに「知っている」けど、知っているだけで、だから、なに?って状態。
この陰謀論に対するとらえ方と同じように
「社会課題」も考えていく。
これが、大事かも、、、と
やっとこさ気づきはじめた、、、、という話でしたー!