かとうゆうです。
マティアス・デ・ステファノさんの動画つながりですが。
「なるほどなー」って。
アトランティス時代の
「義務教育」
この内容を知って
「なるほどー」って。
3大科目は
「性」
「食」
「睡眠」
だそうです。
7歳から義務教育として学ぶそうです。
なるほど、、、って。
冷静に考えると、
国語・算数・理科・社会・・・
これ、単に「スキル・技能」ですね。
だから「暗記」メインになる。
資格をとるのと同じ感じ。
でも。
教育って
「ひとりひとりが価値ある存在として、らしさ全快」ですから。
冷静に考えると
当然
「生活・生き方」
ここを学ぶのが「教育」ですよね。
で。
生活・生き方。
これが「中心科目」で
周辺科目、補足として
「日本語」とか「基礎計算」「テクノロジ-」がある・・・
こっちのイメージの方が、はるかに「教育」だなーって。
よくいわれますが、
アメリカでは「お金の授業」があるそうですが、
日本人はない。
性知識も、
保健体育という「機能的」な話。
性の話は「恥ずかしい」「しちゃいけない」って意識があるから、
結局、ちゃんと「性と愛」みたいなテーマを学ぶ機会もない。
食や睡眠も同じ「機能的」な話。
食と体、そして意識とか。
なので。
考えてみると、
多くの人々は
「本当に大事な知識や探求を、ほぼ知らないまま、社会に放り出されている」
そんな状態なのかもなーって。
でも。
前のブログでも書きましたが、
地球って「腎臓」の役割でもある。
仮に、ちょー最高に、教育いい感じです、と。
生き方、生活を学びますと。
もちろんそれがいいんですけど。
逆に
「あちゃー。教育全然いけねーじゃん」って感じることによって、
自己探求に向かうプロセスを生んでいる、、、ともいえますね。
そう考えると、
もちろん教育を変える、、、っていうのも大事だし、是非未来はそうあってほしいところではありますが。
私自身ひとりの親として考えると、
子どもに「探求の機会」をしっかり提供することが何より大事なんだろうなって思ってます。
「だよねー。学校、全然いけてないとこあるよねー。じゃあさ、本当は何が学んでみたい?」
お金とか生き方とか、食生活とか学びたくない?・・・
そんな問いかけなどなどをすることで
子供に自己探求のきっかけを提供していければ、、、と。
そう考えると、
よくいわれますが、
起きていること自体はポジもネガもなくて「中立」だよ、と。
これはそうですね。
教育=いけてない・・・じゃあ、ネガティブ?っていうと
「それがあるからわかる」わけです。
だったら、違うオルタナ的教育の学校に転校するという選択肢もあるし、
なかなか現実的に難しくても、
「なぜ、いけてないと感じるか?」ということを
「起点」にして考えていくことができる。
マティアスもそうですけど、世界にも、日本にも、アセンションや精神性の深さを思い出した人たちがいたりますけど
よく考えたら、
その人たちだって
「今の教育、学校」受けてきたんですよね(笑)
学校がほんとうにダークサイドで、ふれちゃいけないくらいネガティブだったら、そういう人たちも存在できない。
なので、
ポジ
ネガ、、、これは深く味わう必要ある概念なんだなーとあらためて思いましたー