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思考実験『宇宙の形とその外側』

かとうゆうです。

 

今日は宇宙の話です。

 

私は時々量子力学とか最新の科学について調べることがあります。

 

さて、今日の思考実験。

物質は”存在”しない」というもの。

 

難しい理論や数式まで熟知しているわけではないので、少々強引さもありますが、ちょっとこんなことを考えてみます。

 

宇宙の外側にはなにがある?外側があるとしたら、その外側は?

 

宇宙の形っていうのは、今も世界的論争です。

いわゆる丸くて、シンプルに膨張しているっていうのもありますが。

平坦だったり、四角だったり、いろいろ。

 

どんな”形”でもいいとして、「では、その外側は?」って考えてみると不思議な感覚になります。

 

仮に”外側”を定義したとします。でもそれが「存在」しているっていうことは、その存在を成立させる、「さらに外側」がある。

 

こうやって考えていくと、「あれ?存在ってなんだろう?」と思います。

 

もちろん宇宙理論はこんなシンプルではなくて、例えば「無限」「閉じられた時空間」になっているという説もあります。

 

メビウスの輪みたいに「外側」がなくて、元に戻ってくる。

あるいはそもそも3次元というのは「時間と空間の定義」ですので、その定義自体が無効になるような「閉じられた時空間」

 

さらに「次元」というのも、例えば超弦理論という、「弦」のような形を想定する理論もあります。その理論上では「9次元」まである。

 

4次元まではなんとなく想像できても、9次元ってもう想像もできない。

 

「想像」っていうのも、私たちがフィジカルベースで考えた場合、可視されたものの中で想定されることを「想像」するだけ。

つまり「時間も空間も超越した」ところって、「想像すらできない」

 

でも本当は9次元とか存在していて、私たちが「想像できない」だけ、だということですね。

 

仮に、です。

「9次元」でも「無限」でもいいんですけど、「じゃあ、その外側は?」って考えたくなります。もちろん「無限」では、外側を想定すること自体できないんですが、「存在する」「ある」っていうことは、それを成立させる・・・私たちが想像もできない法則が適用されているものがあったとしても、「それを成立させる」ものが”ある”ことになる。

 

そんなこんな考えていくと、「ある」とか「存在」って、きわめて曖昧で、幻想みたないものだという感覚になります。

 

「これはある」って、物質的にですね、「ある」って定義した瞬間に、その「ある」が成立させているものを含めて「想像もできない」わけです。

 

時間は存在しないっていう理論もありますが、これも結局、私たちが「観測者」として、そのわかる範囲で、時間と空間、重力を定義し、それを「あたかも時系列である」かのように「理解」しているだけで、実際のところは「観測者が観測者たりえるときに、定義されるものに過ぎない」ので、「時間は存在しない」と。

 

これ、でも科学者の想像ではなくて、ものすごい数の数式や実験を通じて導いているわけですね。

 

宇宙の終わり・・・もわかっていない。

永遠に膨張する、っていうのは「膨張」と定義される「サイズの限度」がないと定義できないです。

最終的に、微小な単位であるプランク長になって、ビッククランクを迎え、それで1点に集約するという説とか、また「再膨張する、ビックバンは〇回目」だという理論もある。

 

さらに「並行宇宙」っていうのも、ごく普通の理論です。

今は「並行かどうか?」よりも、「並行する宇宙同士の関係性」について研究されています。

パラレルワールドっていうものですね。

 

 

以前私たちはが理できる範囲は「五感で識別できるもの」だけで、ダークマター含めてほとんどわかっていないという話をしました。

 

また「スピリチュアルと科学」を分離される考え方も、意味がなくなっているでは?とも書いてみました。

 

そうなんです。

最新の量子力学とか宇宙論を見ていると、例えば「引き寄せの法則」も”科学的”に説明できちゃうわけですね。

 

なぜなら、すべての物質というのは「エネルギー」ですから。

一定の波動を持っている。それは1秒間に何十万回という想像もできないですが、「あまりに早く振動している」ために「固定的に”ある”」と認識されているだけです。

 

なので「思考する」というプロセスも、「物質化する」というプロセスも、同じエネルギーの、表現形態が違うだけなので「引き寄せ」というのが十分説明可能です。

 

さらに今は「魂」とか「ソウル」についても科学はかなり踏み込んでいる。

生と死の概念もそうだし、脳の研究の先で、「テレパシー」的なものも想定される。

 

とにかく私たち人類は「自然や宇宙」について「ほとんどわかっていなくて」、識別できる範囲の中で「理解」しているに過ぎないわけです。

 

日々の生活で、いろいろな喜怒哀楽を感じることがあると思いますが、「そもそも?」みたいなことを自分なりに調べてみると、結果的にそれは生活にも生きてくるんじゃないかなー、って思っています。

 

それでは今日はこのへんでー!